第五席
結局、あれから一度もアカシャと話していない。カリナの脳裏をぐるぐる回っているのはあの桃色美少女の言葉。命惜しくば関わるな。
カリナは夜の帝都を歩いていた。魔導技術の発展は、この都市を不夜城に変えた。夜といえども街灯はきらめき、街を往く人は絶えず、何処からともなく酔っ払いたちの声が響いてくる。
未成年のカリナが夜の街を歩くのは決して褒められたことではないけれど、それを咎めるものはいない。衛兵にさえ見つからなければ特に問題はないし、夜の街で働いてる同級生をカリナは知ってた。
目的はない。ただ、漂っている。
この間の夜は、あんなに前向きだったのに。自分の不甲斐なさにうんざりして、カリナはため息を吐いた。
気づけば足取りはフラフラと郊外に向かっていって、たどり着いたのは学院の寮舎の前だった。ぼんやりと見てみれば、カリナはアカシャの部屋の窓が開いていることに気付く。
「……ストーカーかよ」
寮舎に近づいて、窓の近くまでやって来る。それで、どうする? なんて言う? 夜中にやってきて、「ちょっと会いに来た」なんて、あきらかに変なやつだ。
と、カリナは開いた窓の奥から声がすることに気付く。くぐもった声。まるで口を抑えられたまま、叫んでいるような。心臓が鳴る。息を殺すようにして、こっそりと窓の奥を覗き込む。
部屋の中。二段ベッドと、それと向かい合う位置に机。
机の上に座っているのは、まだ幼い少女。そして、ベッドの上にいるのは、真っ黒な茨に押さえつけられて、腕を真っ黒に膨れ上げさせたアカシャ。
思わず飛び入ろうとしたところを、後ろから押さえつけられた。声をあげようとするが、あげられない。口を塞がれている。
そのまま強引に引っ張られて、寮舎から離れた人気のない道まで連れてこられた。そこでようやく開放される。咳き込みながら後ろを振り返る。一体誰が。
そこに立っていたのは、随分と背の高い大柄な男だった。髪は丸刈りで、剃りこみが入っている。夜だと言うのに色眼鏡を掛けていて、着ているのは仕立ての良いスーツだ。
「おっと、そんな睨まねえでおくれよ嬢ちゃん。オジサンは嬢ちゃんを救ってやったんだぜ?」
「……誰だ、お前?」
見たことのない風体の男だ。というか、こんないかにも堅気じゃなさそうな男、一度見たら忘れるわけがない。
「……あんまし大っぴらには名乗れねえんだな。ちょっとばかしこっちにも事情があってよ」
「怪しすぎるだろ。人さらいか? オレみてーな女子学生の口をふさいで、夜更けにこんな人気のないところに連れてきて。衛兵呼ぶぞ」
カリナは重心を変える。学院で簡単な戦闘訓練は受けた。本職にはかなわないけれど、逃げる隙くらいなら作れるはずだ。
「おいおい、嬢ちゃん、落ち着け。まてよ。オジサンは嬢ちゃんを助けたんだって! 良いか嬢ちゃん、さっきの部屋ン中見ただろ! 一体アイツが何者だと思ってんだ!」
「そうだ! アカシャ!」
そうだ。部屋の中は血だらけで、アカシャの体も大変なことになっていた。助けなきゃ。道を戻ろうとすれば、すぐさま肩を掴まれる。
「離せオッサン!」
「おいバカ、落ち着け! ガキが一人で何とか出来ると思ってんのか!」
「でも、アカシャが!」
「黙らんかアホ!」
凄まじい剣幕で怒鳴られて、カリナは思わず尻もちをついた。殺されるかと思った。カリナはようやく気付く。この大男は、戦いなれている。血の匂いがする。
「くそ、仕方ねえな。嬢ちゃん。……こうなりゃ協力してもらう。嬢ちゃんはエルフの嬢ちゃんを助けたい。俺は倒したい敵がいる。目的が一致してる」
「……どういうことだよ」
男は真剣な眼差しでカリナを見る。
「こいつは口外無用で頼むぞ。もしも嬢ちゃんが喋ったと合っちゃあ、オジサンは嬢ちゃんを殺さなきゃならねえ。それは後味が悪すぎる。そうだろ?」
カリナは思わず頷いた。
「オジサンの名前はフィリップ。フィリップ・アクアビット。ロランド聖王国の十二聖人ってのは知ってるか? その第五席だ」
十二聖人。それはカリナも知っていた。このゼースヘッテン帝国の隣、聖王と教皇が治めるロランド聖王国で、今現在最高権力を握っている列聖委員会の構成員だ。
「……本気で言ってる? オッサン」
「せめてフィリップさんで頼むぜ、嬢ちゃん」
「じゃあ、オレも嬢ちゃんじゃねえ。カリナだ」
「カリナちゃんね。それで、カリナちゃんはあのエルフの女の子がどんな状況にあるのか、知ってんのか?」
「……知らない。でも、苦しんでる。それは知ってる」
そうか、とフィリップは曖昧に笑った。
「カリナちゃんは友達思いだな。……良いか、エルフの嬢ちゃんが今置かれてる状況を簡単に説明するぜ。魔王が復活したってのは知ってるか?」
「知ってる。そこらじゅうその話題でもちきりだ」
「オジサンは十二聖人の中でも調査が専門なんだ。それで、帝国に派遣された。ここまではオーケー?」
「……なるほど。だからさっき、アンタは自分のことを話したがらなかったわけか。密偵なんて国際問題になるから」
話が早くて助かるぜ、とフィリップは笑う。そして顔を引き締めて、周囲に目線をやった。
「良いか。結論から言えば、エルフの嬢ちゃんで人体実験をしていた、あの小さい女の子。ありゃ、見た目通りの子供じゃねえ。あれは魔王の配下の一人。『黒薔薇の魔女』だ」
「……そんな。どうしてアカシャがあんな目に!」
「オジサンもそこまでは分からねえ。アンジャ族の里でなにかの取引があったみてえだが……。とにかく、エルフの嬢ちゃんはアンジャ族から魔王への生贄にされたみてえだ」
ひどすぎる。カリナは思わず歯を食いしばった。だが、待て。なぜ魔王の配下が帝国までやって来た?
「なあ、一つ聞いていいか。オッサン」
「フィリップさんで頼むぜ」
「オッサン、魔王は帝国に来ているのか?」
「ああ。来ている。かつての十二聖人の頂点、聖女リリン・アズ・クロイライトの体を乗っ取っている。……オレも直接合ったわけじゃないが。少なくとも、調べた限りではそうだ。修道女のふりをして帝国に潜伏している」
修道女? 思わずカリナの心臓が高鳴る。もしも、もしもだ。もしもそれが真実なのだとしたら、カリナは魔王を知っている。かつてロランド聖王国を火の海に変えた史上最悪の魔王。ベルナドット・ザス・カルトナージュを知っている。前にアカシャと共に訪れた喫茶にいた、あの美しい女性。
「……知ってる。オレ、魔王を知ってる!」
「ホントか? なかなか尻尾を出さねえもんだから困ってたんだ」
「え?」
それは。それは多分、おかしいことだ。
カリナは何となく気づいた。だって、おかしい。もしも魔王がそれだけ気を遣っていたのだとしたら、きっとカリナの目の前に、あんな簡単に現れたりしなかっただろう。アカシャからは距離を取るはずだ。直接遣り取りをするなんてありえない。魔王はきっと、何も気にしてなんかいない。
じゃあ、黒薔薇の魔女が密偵を警戒している? さっきの口ぶりを見るに、フィリップは黒薔薇の魔女をマークしている。ということは、黒薔薇の魔女は魔王との接触を避けているということだ。だって、そうでなければ、偵察が専門と豪語する十二聖人が、まだ魔王の正体をつかめていないことがおかしい。
「……だけど、だとしたら、黒薔薇の魔女がアカシャと魔王が接触することを許す?」
ありえない。そうすると、結論は一つだ。黒薔薇の魔女は、密偵に気づいて敢えて泳がせていた。
「おい、何ブツブツ言ってんだ」
「オッサン! まずい、俺たちバレてるよ!」
「バレてる? どういうことだ」
「『黒薔薇の魔女』に!」
その時だった。足元に違和感。見下ろせば、二人の足が真っ黒な茨に絡め取られている。
「遅かった!」
「ウッソだろ、おい! こちとら隠れるのだけが取り柄なのによお!」
足音がする。石畳。遠く、明るい街を背景にするように、影がそこにあった。
「――だめね。全然だめ。隠れているつもりかも知れないけど、うるさくってしょうがなかったわ」
まだ幼い顔に浮かぶ、凶暴な笑み。
「いちおう、はじめまして? ワタシはエステル・レカンフルール」
その場の全員の足元を埋め尽くすように、真っ黒な薔薇が咲き乱れる。
「『黒薔薇の魔女』と呼ばれて……。名乗るまでもないわね」




