黒水晶の在り処
真っ暗な地下室。ランプの明かりが小さく灯っていて、石壁の中央に置かれた机の上には、所狭しと実験器具が並んでいる。空気は少し湿っているが、不快感はない。
机の手前。一人の男が居る。深くローブを被った男。魔術師の中には、こういう手合が居る。地下を住処とし、禁じられた実験に手を染める者たち。多くの魔術師たちが名誉を求めるのとは反対に、純粋に知的好奇心を満たすことを目的にする者たちだ。
日向の魔術師たちが『塔』をシンボルにするのとは対象的に、彼らは『牢獄』をシンボルにする。すなわち、現世を牢獄に見立て、叡智と実験に寄って牢獄からの脱出を試みる者たち。己の行為が世界に歯向かうものだと認識した上で、なお自由と知識を求める者たち。
彼らは自分たちを「脱獄囚」と呼んでいる。
ローブの男は天井を見上げながら、手元の『石』を弄んでいた。真っ黒に濁った石。そして、机の上、実験器具であろう透明な管の中に収められているのは、『黒水晶』だ。
「……分からぬ」
男は、まだ若い研究者だった。たまたま闇オークションで見つけ、手に入れた真っ黒な水晶。純粋な力の結晶体であることだけは分かったが、どうやってもその中身を抽出できない。
様々な方法を試して、ようやく出来上がったのがこの真っ黒な石。けれど、力はこれっぽっちも感じられない。どうやら、この黒水晶の力によって映し出された虚像のようなものらしい。
虚像だが、たしかに触れることができる。様々なマナを研究してきたが、男にとってこれほど不思議な性質を持つマナを見るのは初めてだった。
男は視線を下げる。部屋の隅に置かれた箱。ちょうど人間が一人入れるくらいの大きさの箱には、本当に人間の死体が入っている。
これはつい最近、いつも取引をしている闇商人から手に入れたものだ。仕入れどころを聞いても口を濁すばかりだったが、死体に付着していた土を調べたところ、どうやらアンザス山から拾ったものらしい。
背の高い女の遺体。胸や尻が大きく、妙に扇状的な肉体の女で、いささか値段が張った。闇商人から死体を買うような人間には、男のような脱獄囚の他にも、他人には言えないような性癖の好事家もいるのだ。
だが、男がこの死体を買ったのはそんな低俗な理由ではない。その死体の皮膚に浮かび上がった黒い痣。
その黒い痣が、この石と全く同じ黒をしていたからだ。
この不思議な黒水晶の力を解き明かすヒントになるかも知れない。男は安くない金を払ってこの死体を買った。だが、確信があったのだ。この黒水晶の秘密を解き明かすことは、きっと世界の真理に通じる重大な叡智をもたらすと。
男が箱に近づき、箱を開く。そろそろ、この死体を使って実験を始めるべき段階に来ているのかも知れない。だが、男は違和感を覚える。
「……無い」
箱を開けば、たしかにさっきまで存在したはずの死体が無い。
何故だ。男は考える。この地下研究室は誰にもバレていないはずだ。商人たちとのやり取りはいつも別の場所を使っていたし、同じ「脱獄囚」の同志たちにすら、この場所を教えたことなど無い。
入り口は魔術的に隠してあって、鍵だって簡単に開けられるものは使っていないし、何なら、この研究室は世界と切り離してあって、一定時間で入り口が変わるようにしてある。
死体を盗み出すなんてことは不可能なはずだ。
突如、男は背後から声を聞いた。
「……ああ、可哀想に」
女の声だった。聞いたことのない声。けれど、不思議と体が震え上がった。
「可哀想に、お姉さま」
男は恐る恐る振り返る。すると、そこには死体がいた。確かに、死んでいた。冷たくなり、脈は止まり、顔面蒼白だったはずだ。けれど、たしかにそこに居た。背の高い、黒髪の女。
女はあの「黒水晶」を愛おしげに眺め、持ち上げている。
男は思わず叫んだ。
「それに触れるな! その黒水晶はそんな雑に扱って良いものじゃない!」
すると。
ぐるりと、女の双眸が男を捕らえた。
「……あなた、誰に対してモノを言っているのですか?」
女の目は、底知れない輝きに満ちあふれていた。
男は思わず尻もちをついた。理解できた。決して触れてはならぬものに触れた。それを否応なしに理解してしまった。
「……お、お、お前は、お前は何なんだ!」
「……わたくし、ですか? ……どうでしょう。マティア。ええ、その名前もまた、たしかに真実でしょう」
女は、黒水晶を持ったまま男に近付く。
「……もしかして、あなた、知識欲に溺れているタイプの方ですか?」
「だ、だ、だったら何だ」
「いえ、あなた、この水晶をまるで自分のものみたいに言っていたから……」
「そ、それは俺が買ったものだ!」
「あなた、愚かですね。たとえばあなたが玄関に飾っていた絵画を盗まれたとして、それを闇市から買った別人に『俺が買ったものだから俺のものだ』なんて言われたら、腹が立つでしょう?」
「そ、それはお前のものなのか……?」
男の目が、にわかに輝いた。今までまったく分からなかった黒水晶。もしもここで持ち逃げされてしまうとしても、その真相に少しでも近づけるなら無駄足ではなかった。男はそう思い、色めき立つ。
「教えてくれ! それは何なんだ?」
「嫌です。教えません。あなたの態度、腹が立ったので。何も知らないまま死んでください」
女は微笑む。まるで天女のような柔らかい笑みだった。
その瞬間、男の体は光り輝き、そのまま塩の柱に変わった。
女は、いや、マティアの体をした何かは当たりを見回す。すると、声がした。
「ちょっと、どういうことっすか、コレ?」
マティアが声を見遣ればそこに居たのは桃色の髪の少女。フォマだ。
「……マティアねーさん。いや、違うっすね。……気色悪い。誰すか、あんた」
「あらあら、分かってしまうものですね。今後のために教えていただきたいのですけれど、どのあたりが変でしたか?」
「全部っすよ、全部。マティアねーさん、ずっとクソ陰気臭い顔してたのに、あんたと来たらなんすか、その気色悪い笑顔」
帝国立魔導学院の制服を着たフォマは、そう言いながら、部屋の中に入ってくる。
「ま、あんたの中身とかどーでも良いんす。こっちは疲れてるんすよ。まずあのクソ厄介な魔女の尻拭いだけでもダルいのに……。エルフの長老に言われたとおり、『善き墓守たちの火葬会』にコンタクトして……これでさえクソ面倒だったのに、奴らと来たら『黒水晶』を売り払ったと抜かしやがるんすよ。ほうぼう探し回って、やっと見つけたハグレ魔術師の研究室に忍び込んだら、えっと? なんすかこれ」
フォマは怪訝そうに部屋を見渡す。
「肝心の『脱獄囚』は死んでるし、死んだはずのマティアねーさんは変なのに乗っ取られてるし、目当ての『黒水晶』はあんたが持ってるし。……いい加減面倒なんすよ。それ、うちの先輩のモノなんで、返してもらっていいっすか?」
「いやです。これは私のお姉さまのモノ。あなたの先輩なんかのものではありません」
二人は睨み合って、ふと気づいたように「あ」と声をあげる。
「一応、一応っすよ。うちはアンタのお姉さまとやらを知らないっすけど、一応、一応確認しときたいっす」
「ええ。わたくしも確認したいわ。あなたの先輩って、わたくしは知りませんけど、念の為確認したいです」
二人は目を合わせ、同時に一人の名前を口にする。
「「ベルナドット・ザス・カルトナージュ」」
フォマは小さく息を吐く。
「……あんた、何者っすか。魔王の妹? 聞いたこと無いんすけど」
「あなたこそ、お姉さまの名前を口にするなんて不敬です。……人間ごときが触れていい方じゃないのに……。いいえ、いいえ。それだけではありません。あなた、嫌な匂いがします。あの、憎い憎い、黒薔薇の香りがします」
「……エステルを知ってる?」
フォマがエステルの名前を出した瞬間、マティアの姿をした女は突然叫んだ。
「ふざけるな! ふざけるな! ふざけるな! あのクソ売女の名前を出すな! なんだ、仲間か? 手下か? いいや関係ない。殺す。あの女、まだお姉さまに色目を使ってやがったな。殺す。苦しめて殺す」
女はフォマの襟首を掴んだ。
「おい、エステルは何処だ。教えろ」
「あー、まあうちとしても、エステルは嫌いなんで殺してくれるぶんには嬉しいっすけど……」
フォマは考える。別に、エステルが死んでも問題はないはずだ。あの魔女は確かに有能かも知れないが、どうにも思考回路が危険過ぎる。関係ない第三者とか、アカシャちゃんとか、別に巻き込んで使い潰してもいい、というあの女の発想は如何にも不滅の魔女らしく、人間のフォマからするとかなり面倒だ。
リリンと魔王はどう思うだろうか。あの女が消えても二人は仲睦まじいままだろうが、二人とも悲しむくらいはしそうだ。
悲しむか。
悲しむなあ。
フォマは肩を落とす。
「……けど、先輩が悲しむんで、教えないっす」
「そうですか、なら死ね」
光が放たれる。
更新途切れてしまいました。今後の方針について活動報告にまとめます。




