噂話
「なんだアンタ、知らないのか?」
と、たっぷりのシロップがかかったパンケーキを頬張っていたカリナは言う。そのあとモグモグと口元を動かしてからパンケーキを飲み込むと、「いや」と訂正した。
「そりゃ知ってるわけないか。アンタはずっと森に居たんだもんな」
「ああ。初めて聞いた。なんだその悪魔というのは」
「有名なうわさ話だよ。帝都の若者の間で大人気の噂。どんな願いも叶えてくれる悪魔が、聖ロランド教会には住み着いてるっていう」
カリナの眼の前。端正な顔をもぐもぐさせていたアカシャは、ふむ、と天井を見つめる。
「確かにリリン様は聖ロランド教会に住んでおられるが、そんな話は聞いたこともない」
「ふーん、やっぱりそうなんだ。そりゃそうか。どんな願いも叶えるなんて、そんな馬鹿な話あるわけない」
「だが、気になる。火のないところに煙は立たないものだ」
アカシャは真剣な眼差しだった。
どうも、アカシャに話しかけて行ったあの美人は、リリンさんと言うらしい。「リリン様」などと呼んでいるから、カリナが「アカシャの上司なの?」と尋ねれば、アカシャの雇い主の更に飼い主だと言う。あまり深く聞いてはならないらしいので、カリナはそれ以上を知らない。確かに、カリナの少ない知識を紐解けば、アンジャ族のエルフに上司という概念があるかは怪しい。
「思ったより食いつくね。オレはてっきり、アンタはそういうのに興味はないかと思ってた」
「いや……。そういう噂には興味がある」
「へえ、びっくりした」
カリナは本心から驚いていた。そんなのは少し頭の弱い人たちのものだと思っていたから、この眼の前のエルフの少女が興味を示すとは思っていなかったのだ。
「オレも噂くらいにしか知らないよ。学院の連中にはもっと詳しい奴もいるんじゃない?」
「……そうか。我も帝都に来てしばらくは教会にいたが、まったくそんな気配は感じなかったな」
「だから、噂なんじゃないの? フツーにおかしいじゃん。願いが何でも叶うなんて、バカにしてるよ」
「夢のある話だとは思わないのか?」
「ないない。貴族に平民。男と女。金持ちと平民。あと……人間とエルフ。帝国人とアンジャ族。生まれつきだって違って、生まれてから重ねてる努力も、あがいた回数も。……全部すっ飛ばして、なんでも叶える? 馬鹿げてる。必死で生きてる奴らをバカにしてる」
そこまで言って、喋りすぎていることに気付いた。いつもだったらこんなに熱くならないのに。それは、久々に人と話したからだろうか。それとも、相手がアカシャだから? わからない。
「……アンタはどう思うの? 夢があるって?」
「ああ。夢はあるが……。問題は、誰がそんな噂を流したのか、だ」
そういうアカシャは真面目な眼差しをしていたが、頬についたクリームが台無しだった。年の離れた弟たちのことを思い出す。ハンカチーフでそのクリームを拭う。アカシャは驚いた顔になる。
「あっ」
「……あ、ごめん。つい」
「……いや、すまない。……ありがとう」
アカシャはカリナから目をそらす。カリナも少し気恥ずかしくなって、目をそらした。アカシャは咳払いをして、向き直る。
「ええっと、だから、噂を流したのは誰か、という話だ」
「流したって?」
「噂には出どころがある。もしも本当に願いを叶えてくれる悪魔がいるとして、それじゃあ、誰がそれを宣伝するんだ。もし自分が願いを叶えてもらったとして、それを他人に言うだろうか?」
アカシャの言うことはもっともにも思えた。けれど、カリナはそれを否定する。
「……どうだろう。だって、願いが叶ったとして、他の人にも言いたくなっちゃうかも知れないだろ? 人間って意外と単純だし」
「確かに。一人が二人に言うことを繰り返すだけでも、噂は広がるものだ。……いや、そういう話ではない」
そう言ってから、アカシャは首を横に降った。
「……すまない。あまり深く聞かないでくれ」
「なにそれ。気になるじゃん」
「我が気になるのは、噂があるとして、その噂の出どころなんだ」
「ふーん、理由は言えないってこと?」
「言えない……。いや、アンジャ族としての使命……、の一部、に関わりがあることだ。すまない。嘘をつかずに言えるのはここまでだ」
アカシャは立ち上がる。「すまない、会計にしよう。美味しかった。ぜひ、また来たいものだな」席を外して、店員を呼ぶ。カリナは眉を潜めた。礼の修道女に気をつけろという話といい、この留学生には秘密が多すぎる。
同級生の気を引くために意味深なことを言い続けるような同級生も見たことがあったけれど、アカシャはそういう人物には見えない。いや、会ったばかりのカリナに分かることでもないのだが。
「……なんだよ、それ」
カリナはそう零してから、首を傾げる。あれ、どうして今、不満を感じたんだろう。なんでカリナが、多くを語らないアカシャを不満に思うんだろう。だって、カリナだって自分のことなんかアカシャに話していないのに。
カリナは気付いた。もしかして、オレはアカシャと仲良くなりたかった? 気付いたら、思わずアカシャを追いかけて、その手を掴んでいた。
「……どうした、カリナ?」
「アンタ……、えっと、違う。アカシャ! 何ていうか……その。ああ、クソ! こういうの、初めてでよく分かんないんだ」
目線をあちこちに彷徨わせて、最後にアカシャの眼にたどり着いて、けれど、少し逸れる。
友達になって、なんておかしい。仲良くして? それも違う気がする。カリナは考えて、考えた末に一言だけ絞り出すことに成功した。
「……明日からも、よろしくな」
アカシャはキョトンとして、すぐに笑った。
「ああ。よろしく」
◆
いや、おかしいだろ。
カリナは自宅の、自室の、ベッドの上で枕を抱きしめて転がっていた。
いや、おかしい。話の雰囲気が悪くなって、それを誤魔化すために会計に立った留学生を追いかけて、手を掴んで、それで? そんだけ急いで、慌てて、それで「明日からもよろしく?」
おかしい。どう考えてもおかしかった。
カリナは足をジタバタさせる。勿論それで状況が良くなることはない。もっと上手くやれたはずだった。たとえば、会計を終わらせてから、別れしなに「明日からもよろしく」
うん。悪くないように思える。カリナは枕に顔をうずめた。それだったら、あんなおかしな事にはならなかっただろう。なぜ、あんなことをしてしまったんだろう。
思うに、カリナは多分、アカシャと仲良くなりたい。今まで、こんな感情になったことはなかった。友達なんかいなくても良いと思っていた。だって、学院の連中とは反りも話しも合わないし、先公どもに「協調性を大事にしなさい」と言われても、最低限のコミュニケーションはとって、それで良いと思っていた。
「……経験が足りない」
仲良くなる、ってなんだ。カリナは考えた。もう一回食べ歩きたい。もう一回服を見に行きたい。できれば同じ授業を受けたり、話をしたりしたい。
それで、あの硬い口を割らせたい。
カリナは思う。だって、おかしい。あれだけ怖がっていて、あれだけ泣きそうだったのに、それでも我慢している。なぜ我慢しているかと言えば、まだカリナという人間が信用に値していないからだ。
「……まだ信用されてないのが嫌だったんだ」
気付く。
信用される、というのがどういう状態なのか、カリナはいまいち分からなかった。けれど、目指す場所がわかればやり方は分かる。カリナは鍵屋の娘だ。だから錠の開け方はよく知っていた。
目指す場所を見つけて、そのために法則を立てて、論理的にシリンダを動かせばいい。でもそのために、たまには冒険して、間違って鍵を折ったり、錠を壊してしまったりする。いつだってそのリスクはある。
今まで一匹狼だったカリナが、例えば美人の留学生と仲良くしようとしていれば、滑稽に思われるかも知れない。旧校舎にたむろしてる奴らには嫌がらせを受けるかも知れない。
それでも、アカシャと仲良くなりたい。
カリナは上体を起こす。
「オレ、行動力だけはあるんだから」
幼い頃に死んだ母に、何度も言われた言葉だった。「カリナは行動力だけはある」そのとおりだ。すっかり忘れていた気持ちだった。絶対にアカシャと仲良くなる。
窓の外を見れば、銀色の月が出ている。今頃、アカシャもこの月を見ているんだろうか。馬鹿な。カリナは思わず笑って、ベッドに寝転んだ。
寝よう。明日から、たぶん人生が始まる。




