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「星が墜ちた」


 大雨に打たれながら、長老の一人が言う。星見の櫓を司る『イッツェの耳』だ。他の長老たちがざわめく。


「星。何の星だ」

「分かりませぬ。ただ影のマナが引いてゆきます」

「黒い繭は撃たれたか」

「リリンを名乗るものか」

「影の器か」


 ざわめく長老たちは、けれど「静粛に」の一言で黙る。最長老『アンジャの頭』の言葉だ。


「ラッカラの眼はどうした」


 その言葉に、長老たちは何も語る言葉を持たない。彼らはずっとこの場所に居た。そしてそれは、この場所を物理的に動くことの出来ないアンジャの頭も同様だった。


「彼女はここよ」


 その言葉に振り向けば、そこに居たのはリリン一行の一人だった、まだ幼い少女である。彼女の手いっぱいの真っ黒な薔薇の花束。それはどこか不気味だった。


「……どういう意味だ」


 アンジャの頭が言う。対する少女、エステルは威圧感のある長老たちに囲まれてなお、飄々としていた。それは幼さゆえか、それとももっと別の理由からか。どうも長老たちには判断がつかなかった。


「あのお方はお花があまり好きではないから。これはあなた達に返すわ」

「その花束が?」

「あなたたち、探してるんでしょ? それがアカシャよ」


 長老たちはざわめいた。もしもその言葉が事実だとしたら、この年端も行かない娘が、存在の変成という高次元の魔術を行使し、あまつさえ『イザンデの腕』だったアカシャを倒したということになる。


「……何者だ」

「あら、知ってるんじゃなかったの? がっかり。でも、あのお方の事には随分詳しいみたいだったけれど」

「……魔王の眷属か」

「ええ。ワタシは黒薔薇。エステル・レカンフルール」

「『花の宝石箱(レカンフルール)』か。何故アカシャを斯様な姿に変えられた?」


 長老たちは緊張感で色めき立っていた。エルフは世界の調停者であることを望む。彼らにとって魔王であれ、アズヴァル神であれ、逆らうことは本意ではない。


「だって、この子……。生意気だったから。あのお方を聖王国に突き出す? とか? ええ、別にワタシは構わないのよ。この子がどうなろうと。でも、あなた達は違うでしょう? だから一応、連れてきてあげたの」


 そう言って、エステルは丁寧に花束を地面に置いた。雨の下で花束を添える姿は、さながら葬式の弔問客のようだった。


「取引。だったかしら。ワタシたち――違うわね。リリンさんは黒い繭を倒す。その代わり、食料をもらう。そういう取引だったはず。けれど、あのお方を陥れようと言うなら……。容赦はしないわ」


 そういうエステルの体の周りから、真っ黒な薔薇が花を咲かせる。長老たちはそれがハッタリなどでないことをよく理解していた。


「すまなかった。我が同胞の非礼を詫びよう。……だが、一体何が望みだ」

「ええと……。望みはたくさんあるけれど、あなた達に解決できることではないし……。そうね、そうだわ。身分が欲しいのよ。帝国に行った後、ワタシたちの身分になるものが欲しいわ」

「……それだけか?」


 エステルは悩ましげな表情を作る。


「本当はもっと吹っかけても良いのよ? でも、大抵のことって何とかなるのよ。あのお方は、たとえ力を削がれていても、素晴らしい存在だから。……あなた達に替われることなんて、殆どないのよ」

「ならば、分霊……。『黒水晶』の在り処について教えよう。我らアンジャの民だけでなく、ロランド聖王国のかつての使徒たちは、世界中にその分霊を隠した。丁度、魔王の復活を阻止するためにな」

「へえ。それが本当なら、ワタシたちとしても助かるわ」

「ああ。我らとしても、大いなる存在に貸しを作ったままにしておくことは本意ではない。どうかこれで完全に、一切の遺恨無く、全く手打ちということにしていただきたい」

「ええ。約束するわ。……それで?」


 アンジャの頭は深く瞑想し、落ち着いた声色で語る。


「無論、我らも全てを教わったわけではない。……帝国領を根城にする地下組織、『良き墓守たちの火葬会』とやらも、『黒水晶』を持っているはずだ。彼らは我らアンジャの民と同じく、アズヴァル一柱による世界の停滞を望まぬ者たちだ。きっと力になってくれるだろう」


 そう言って、彼は長老たちの一人に何やら耳打ちをして、一つの箱を持ってこさせた。その箱には古代のエルフたちの文字で呪いが施されている。それを開けば、中にはいっていたのは一つの巻物だ。


「我らと使徒の会話を残した、ヒトの言葉で言うところの『議事録』になる。我らの持つ『黒水晶』の情報はこれだけだ。古の盟約により、これを譲り渡すことは(あた)わぬが、隅々まで精読召されよ」


 エステルはその巻物を手に取り、開く。使われているのはアンジャ族の言葉だが、魔女にしてみればその程度の読解は容易い。知識の集積者こそが魔女なのだから。


「……ふうん。確かに、これくらいの情報なら手打ちで良さそうね」

「かたじけない限りだ。……身分と、食料だったか。用意させよう」


 アンジャの頭が目配せをすると、長老たちはそそくさとその場を立ち去った。誰だって、生きたまま花束にされることは望まない。


 ふと気づけば、いつの間にか雨は止んでいた。木々の間から空を見上げれば、雲の切れ間から一筋の光が差し込んでくる。木々の間をすり抜けた光は、目の前に置かれた黒薔薇にそそいだ。


「因果っすね」


 声に振り向けば、雨でびしょ濡れになったフォマが居た。


「あら、フォマじゃない。愛しの先輩はどうしたの?」

「うちにも我慢できる軽口のラインがあるんす。ぶち殺すっすよ」

「怖い怖い」


 エステルが冗談めかして言えば、フォマの眉間にシワが寄る。けれど、すぐにフォマの顔はいつもの表情に戻った。


「因果っすね」

「何が?」

「うちが先輩に救われた日も、こんな天気だったんすよ」


 フォマはそう言って空を仰ぐ。嵐がすぎれば、しばらくは快晴が続くだろう。


 アンジャの頭はぽつりと言った。


「客人よ。アカシャを連れて行ってはくださらぬか」


 その言葉に、エステルとフォマはアンジャの頭に眼を向ける。


「……あら、不思議なことを言うのね。ワタシがそれを望むとでも?」

「アカシャは『ラッカラの眼』。我らアンジャのハクトウワシとして、森の外の見聞を持ち帰ることが役割。その付添の聖職者となれば、帝国でも身分は確保されよう。我らとしても、このお役目は彼女自身の禊としても相応しいと考える」


 エステルは考える。確かにそういう役目であれば、帝国でも動きやすくなるかも知れない。何より、もしも帝国の地下組織と接触するとして、アンジャ族であるアカシャの助けがあるのならば心強い。


「……ワタシ、あまりこの子に優しく出来ないわよ?」

「……承知している」

「そう。それじゃ、その提案は受け入れることにするわ」


 エステルが指を鳴らすと、花束はまたたく間にアカシャの姿に戻った。アカシャは驚いたように周囲を見回して、自分の体を見て、ホッとしたような表情になる。だが、エステルの姿を目にとめると、すぐさま飛び退いて、怯えだした。


「いっ、あ。やっ……あっ、あ……、あっ、ご、ごめんなさい。すみません、ごめんなさい! 許してください、許してください!」


 エステルはその場で何度も頭を地面に擦り付ける。フォマは顔をひきつらせ、エステルは楽しげに笑った。


「あら、自分の立場が分かったみたいね」


 エステルはアカシャの長い髪を掴むと、無理やりその顔を持ち上げた。アカシャの表情が痛みに歪む。


「……ワタシ、あのお方を傷つけるものを許さないわ。それは貴女だけじゃなく、この世界の全てがそう。だから、貴女の役目はワタシたちを案内することだけじゃなく……、そういう不届き者を見つけ次第、殺すこと。どうしても殺せないなら、ワタシに報告なさい? それでいいわ」


 アカシャは目に涙を浮かべながら、何度も首を縦に振った。エステルはそれを満足そうに眺めると、その手を離した。アカシャの頭が地面に落ちる。アカシャはすぐに居住まいを正して、その場で頭を下げる。


「あっ、ありがとうございます!」

「族長さん。ワタシ、この子気に入ったわ。しっかり役立ててあげる」

「……何卒、お手柔らかに」

「それはこの子次第ね」


 フォマは終始引きつった顔をしている。


「エステル、めちゃくちゃ趣味悪いっすね」

「あら、フォマだけには言われたくないわ」


 と、そこでエステルとフォマは、同時に同じ方向を見た。残ったエルフの長老たちや、アンジャの頭すらそうだった。


 一陣の風。光にいざなわれるように、一人の人影が歩いてくる。


 皆、一様に圧倒されていた。


 白雪のような銀の髪と、水面のように透き通った翡翠色の瞳。透き通る硝子細工ような美貌。風のようにしなやかな肢体。漆黒の外套が風に揺れて、けれど、その美しい瞳の奥に、薄暗い影をたたえている。


 皆、理解できた。黒い繭は討たれたのではない。あれに飲み込まれたのだと。そこにあったのは影の女王。かつてロランド聖王国を火の海に変えた、正真正銘の魔王。


 ベルナドット・ザス・カルトナージュ。


 魔王は、ゆったりとした歩調で道を進む。


「エステル、あまり虐めないであげてよ」


 そう言って笑う。エステルは思わず居住まいを正した。その表情は、間違いなく過去のベルナドットの表情と同じものだった。


「ベルナドット様……。完全に復活なされたのですね」

「え? 違うよ? 完全にボクの体が戻ったらそうかも知れないけど」

「……リリンさんの意識を残したんですか?」

「うん。当たり前じゃん。ボク、リリンのこと大好きだからさ」


「そう、ですか」と、エステルは驚いたが、すぐに納得したようだった。「それが、ベルナドット様の決めたことであれば、ワタシに二言はありません」


 安心したのはアカシャも同じだった。アカシャは「ありがとうございます」と言ってベルナドットの足元にすがる。リリン(・・・)は困ったように眉を下げた。


「……どうしたんですか、これ?」


 それに答えたのはフォマだ。


「ちょっとエステルがやりすぎたんすよ。……ま、大丈夫っすよ。うちらの帝国入りの頼れるガイドさんっす」

「……なるほど? よくわかりませんが、よろしくお願いしますね、アカシャさん」


 そう言って微笑むリリン。その顔に、アカシャはしばらく呆けたような顔を向けていたが、やがて頭を振り、「はい!」と頷いた。


 フォマは余計なことをしたと思った。

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