闇
投稿遅れてすみませんでした。お恥ずかしながら体調崩してました。
おまたせしました。
暗闇。最初に感じたのはそれだった。
けれど、不安はなにもない。底冷えするような冷たさと裏腹に、確かな暖かさが私を包み込んでいた。これが、影の力なのだろう。今までに感じたことがないほどの、より純粋で根源的な力。
頭が割れてしまいそうなほどのマナの奔流に、ふと気づけば私は真っ暗な場所に居た。いや、たぶんこれは夢だ。私は真っ暗な場所にふわふわと浮いていて、ただ、漂っていた。
きっと、これが影の力。
「リリン、おはよう」
声がする。気づけば、暗闇は満点の星空に変わっていた。上も、下も、星が輝いている。目の前にいるのは、ベルだ。
「……ベル? ここは、どこですか」
「ボクが生まれた場所。……だと思う。ボクにもよく分からないけど、影の力はこの世界から溢れてくるんだ」
確かに、肌を撫でるマナの感触は、いつもベルから感じるものだ。どろどろとして、少し冷たくて、けれど、温かい。
「少し、昔話をしたいんだ」
そう言ってベルが手を差し伸べる。私はその手をとる。私たちは手をつないで、歩き始めた。
「百年前に、ボクが封印されたのは知ってる?」
「はい。それはもう……」
「その時、ボクの心臓を貫いたのが、リリンの持ってる聖剣。『鏡面湖畔』。それはアズヴァルちゃん……、ボクの妹が作った、本物の聖剣なんだ」
「アズヴァルは……ベルが嫌いなんですか?」
「うーん。どうなんだろう。逆なんじゃないかな。アズヴァルちゃんは、ボクが空から地上に降りていくのが嫌だったんだと思う」
ベルは下を指差す。その先に、ひときわ青く輝く星があった。
「見える? あの青白い星が、君たちの住む場所。名前はないけど、空の住人たちにとっては特別な星なんだ。他の星に、ヒトは居ないから」
ベルはそれから、すこし遠い目をする。微笑んでいるけど、何処か寂しそうだった。
「ボクはね、空の世界が嫌だったんだ。永遠で、平和で、そして安寧がある。でもね、ボクはいつしか、見下ろしていたはずの人間たちの世界を、見上げるようになっていったんだ。前が見えず、がむしゃらで、井の中の蛙。……だけど、だからこそ君たちは空の青さを知っている。ボクらの知らない世界を知っている」
ベルの頭が、私の肩に乗る。サラサラの髪だなあ、と場違いなことを考えてしまう。今まで触れたくても触れられなかったベルが、すぐ隣りにいる。それが少し嬉しくて、私はその頭の上に、自分の頭を委ねた。
「ねえ、ボクはさ、百年前に知ったんだ。ロランド聖王国のヒトは、皆知ってるんでしょ」
「何をですか」
「カエルになったお姫様と、それを探す王子様の話」
それは確かに、小さい頃に聞いたことがある。王子様は最後、お姫様の呪いを解こうとするけれど、お姫様はそれを拒む。お姫様は、醜く争う人間として生きていくことより、幸福にのんびりと暮らすカエルであることを選ぶのだ。
「ボクは多分、カエルだったんだよ」
「ベルが?」
「そう。それでアズヴァルちゃんは、ボクがやってることが、よくわかんなかったと思うんだよね。ちっぽけな人間たちに混ざって、人間ごっこなんかやってるから。だから、ボクを空に連れ戻そうとしたんだ」
ねえ、リリン。そう呼ばれて、肩に乗ったベルの顔を見る。ベルは私を見上げていた。
「リリン。ボクは君を失うのが怖かったんだと思う。ううん、違う。怖かった。ボクがリリンと一緒になっていくにつれて、もしもリリンの意識がなくなったら……嫌だなって」
「私は居なくなりませんよ。私は……真に聖なるクロイライト。決して折れず、錆びず、鈍らない。だから、大丈夫です。私は、きっとベルの力がどれだけ私を蝕んだとしても、私でなくなることはありません」
「本当に?」
ベルの目は、今までにないくらい真剣な眼差しで私を見つめていた。
「本当にリリンは、居なくなったりしない?」
不安そうな目。空から生まれた、最悪の魔王。それなのに、こんなに不安そうに私を見つめている。その事実が、どうしてか私を高揚させる。ベルの頬に手を伸ばす。
今度は私から口づけした。
「しませんよ。ベルは私のもの。ずっと。これから先も。私はどこにも行きません」
「嬉しいな。うん。そっか。……でもさ、ボクはやっぱり、ヒトじゃないから。わからないんだ。何も。リリンが十二聖人を全員殺しちゃったら、どうなるのかとか。ボクがリリンを手放したくない気持ちは、ヒトが言う『好き』じゃないんじゃないかな、とか」
どうだろう。私は十二聖人に復讐したくて、ベルの手をとった。そして今の私は、たぶん、ベルを手放したくなくなっている。
だから私は、少し卑怯になることにした。
「ベルは、どうしたいですか?」
「ボク?」
「ベルは、私をどうしたいですか?」
「ボクは……リリンを離したくない。ボクのものにしたい。でも、違うでしょ? ボクがベルのもので……」
「私じゃなくて。ベルは、私をどうしたいんですか?」
少しの沈黙。
「……ねえ、ベル。らしくないですよ。あなたは、史上最悪で最強の魔王なんでしょう? 私は別に構いませんよ? ベルが私を、したいようにしたら良いんです」
私がそう言えば、次に感じたのは衝撃だった。思い切り背中をうって、この空間にも床や壁みたいな概念があることに初めて気付いた。でも多分、これはベルが生み出したイメージなんだろう。確信はないけど、そんな気がした。
私がなぜ背中をぶつけたかと言えば、それはベルが私を押し倒したからだ。ベルの綺麗な顔が目の前にあって、その金色の瞳は私を見つめている。行きが触れ合う距離に顔があって、私の両手はベルに押さえつけられている。
「本当に、良いの? ボク、手加減なんかわからないから。リリンがどうなっちゃうかわからない。ボクはリリンが消えちゃうのは嫌だ」
「だから、遠慮なんかいりませんよ」
「ボク、ずっとリリンのことを逃さないよ。ずっと、人間の寿命よりずっと長く。この星が朽ちてなくなるまで、ずっと離さない。リリンはそれでも良いの?」
「……ベルが、それを望むなら」
そう言ったら、ベルは笑った。やっぱりベルは人間じゃないんだろうな、と私は思う。でも、それは心強かった。私はベルに出会うまで、どう生きていたんだっけ。もう忘れてしまった。
受け入れれば、ベルはすっと私の中に入ってきた。私はベルを受け入れるし、ベルも私を受け入れる。ひょっとしたら、ベルがその気になれば、私の脆弱な意識なんて、簡単に壊れてしまうのかも知れない。でも、それをベルが望んでいなくて、私だって、そんなに簡単に消えてしまうつもりもない。
今まで、少なからず私の中にあった、影の力に対する抵抗感。それを塗りつぶすように、真っ黒な力が入ってくる。ドロドロとした、真っ黒な力。
視界がひらけた。
そうだ、私は森に居た。アンザスの山地の、アンジャ族たちの集落の中央。影を吸い、私の力はどんどん大きくなっていく。目の前にはかつてマティアと呼ばれていた聖人が、息も絶え絶えに倒れていた。
世界って、こんなに鮮やかだったっけ。
雨。冷たいその一滴一滴をつぶさに感じ取れる。森を流れる土の匂い、木々の呼吸、潜む虫たち、雨宿りをする鳥たち。全部、わかる。
「……ど、どうして」
声がする。目の前のマティアの言葉だ。見下ろすまでもなく、彼女の中の影のマナが無くなっているのは分かった。私がベルと話している間に、きっと全てを吸い尽くしたんだろう。
「ベルナドット様……。なんで、どうして。わた、私を……」
みじめに這いつくばるマティア。この女は、私の居たあの教会について知っているようだった。けれど、うわ言をつぶやき続けるその様子を見れば、これ以上を聞き出すのは難しそうだった。
ふと思いつく。今の私なら、このマティアの中身を覗けるのではないだろうか。
ちょうど頭をイジられたがっていたはずだし、丁度いいだろう。少し頑張ってみれば、私でも影の中から腕を伸ばすことができた。ベルの作る触腕のように器用に細くはできないけれど、きっとギリギリ、なんとか耳の穴には入るはずだ。
それをマティアに向かって伸ばす。耳に入れると、ギリギリ入る。無理やり押し込む。
「うあっ! ああ、痛、いだい! あああ、ぐっ、うう」
「ちょっと静かにしてください。結構、集中力がいるんですから……」
ああでもない、こうでもない、と押し込むがけれど、まったく上手く行かない。
「うひっ」
すると、マティアが虫を潰したような声をあげる。マティアの動きが止まった。
「あれ?」
(あーあ、もう、リリンったらそういうの不器用なんだから。脳みそを物理的に潰しちゃったら駄目でしょ。もう戻らなくなっちゃうよ)
「……ごめんなさい」
少し顔が熱くなるのを感じる。流石にすこし下手だった。もう少し丁寧にやればよかったのかも知れないのに。昔から不器用で、力任せにするのが良くないと、いろいろな人に言われてきた。
「ちょっと、前よりずっと、マナを近くに感じたので……。できるかな、と、思っちゃいまして……」
(まあ、良いんじゃないかな。ボクの力も無くなったし、もう死んでるでしょ?)
触腕を引き抜いて、直接マティアを指でつつく。全く動く気配はない。
あまりにも呆気ない。死体を見れば、その指には指輪がある。見れば黒水晶にそっくりな石がはめてあって、ただその色は無色透明だった。
「もしかしてこれ、『黒水晶』だったんでしょうか?」
(そうかも。影のマナが全部抜けて、透明になっちゃったんだね。記念にもらっていこうよ。何個集めたのか分かりやすいしさ)
「……そうですね」
私はマティアからそれを抜き取り、自分の左手の人差し指にはめた。
「……この死体は、どうしましょうか?」
(……さあ? 首でも斬っておけば? ゾンビになられても厄介だし)
そう言われて、マティアの亡骸を眺める。特に意味があるとは思えないけれど、たしかにスッキリはしそうだと思った。聖剣を手に取る。何か一言かけてから首を切ったほうが良いのかな、と思って、いろいろな言葉を考えた。
「……ええと」
聖剣を振りかぶる。
「ベルは、貰っていきますね」
振り下ろした。




