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 教会には、いろいろな子供たちが集まる。身寄りのない子、捨てられた子、犯罪者だった人、貴族の次男、それからフォマのような、家出してきた子供。


 そんな教会の子供たちは、仕事を得たり、奉公に出たり、なんだかんだと社会に戻っていく。それでもフォマは市井の一般市民として生きていかなかった。聖書を(そら)んじ、祝祷術を覚え、魔導を習い、異端審問官として大聖堂に配属された。


 教会で生きていこうと思ったら、異端審問官という仕事はハズレだ。危険だし、何より血を受けた聖職者は青服と呼ばれる上位神官になれない。出世を望む者たちにとって、異端審問官は成りたくない仕事の一つだった。


 だから、一言で言って、フォマには出世欲が無かった。


 フォマが生まれたのは、カテナ盆地という、聖ロランドの西方に位置する小さな領だった。そこを治めるディブルヒッツ家の長女。その時の名前をフォマは思い出したくない。


 ディブルヒッツ男爵は商人から貴族に成り上がった功名心の強い男で、言ってしまえば金の亡者であり、権力の虜だった。貧しい商家の子として生まれた彼は、幼い頃から様々なコンプレックスを抱えて生きていた。しかし、ディブルヒッツ男爵は頭の切れる男だった。


 彼の手掛けた商売はまたたく間に軌道に乗り、もはや王都では知らぬ者のいない大商人となった。それを目に止めたのが、カテナ盆地を治める先代のディブルヒッツ男爵だ。


 先代の娘と婚姻を結び、彼はディブルヒッツに婿入りした。そこからディブルヒッツ男爵の野心は際限なく大きくなった。すなわち、国政への介入だ。


 フォマにとっては不幸で、男爵にとって幸運だったのは、フォマが美しい少女だったことだ。美しいということは、権力を超えた価値になる。王室とは言わぬまでも、例えば公爵家の妾としてフォマが迎え入れられれば、吹けば飛ぶような叩き上げのディブルヒッツ家の権力も大きくなる。もはや男爵は、フォマを自分の権力のための駒としか考えられなくなっていた。


 フォマは、そんな父親が嫌いだった。


 ある日のことだ。ディブルヒッツ男爵の馬車が王都に登城する際、その馬車が山賊に襲われて壊滅するという事件が起こった。彼らは惨殺されており、一人娘は行方不明になった。


 フォマと名乗る少女が孤児院の門を叩いたのは、それから数日後のことだった。フォマは自分を攫った山賊たちを殺して、逃げ出してきたのだった。けれど、その時の話をフォマが誰かにしたことはない。フォマは生まれてからずっと、孤児(みなしご)のフォマだ。



 ◆



 異端審問官には二種類の人種が居た。泣き叫ぶ人間を見るのが大好きな根っからの人でなしと、頭のぶっ飛んだ狂信者。けれどフォマはそのどちらでもなかった。(少なくとも本人はそう思っていた)一番権力から遠い、平穏な場所。フォマにとっての異端審問官はそういう仕事だ。


 ある日のことだ。フォマの所属していた隊に課せられたのは、ある場所に大量発生した魔物の鎮圧だった。異端審問たちは魔物の鎮圧を嫌う。なぜなら、魔物は苦しまないし、叫ばないし、つまらないからだ。当時のフォマの隊長は、手足を切り落とした人間を牢屋に打ち込んで、天井から吊るしたパンを食べようと跳ね回る姿を見るのが好きな変態だった。当然、その隊長もやる気はなかった。


 彼らの油断はもっともだったが、フォマは別に油断することはなかった。なぜなら、フォマは異端審問官としての仕事を楽しんでも、嫌がってもいなかったからだ。ただ職務に忠実に、殺し、生かし、傷つける。言い換えれば、当時のフォマは抜け殻だった。


 けれど、無感情に人を殺すフォマを気味悪がる者なんか居なかった。なぜなら、異端審問官にまともな人間は居ないからだ。今になって思う。第四席が「人間の蠱毒を生み出そう」なんて気の狂った考えにとりつかれたのも、あの環境があったからだろう。


 ともあれ。その日は酷い雨だった。ちょうど今日みたいな。そして、現れた魔物もとびきりに凶悪だった。そう。凶悪な魔物はマナを歪める。マナが歪めば天気が崩れる。今思えば簡単な話だが、雨の中に人の悲鳴だけが響き渡る光景は、不気味の一言だった。


 異端審問官たちはあっという間に殺された。大量の魔物の群れ。その一体一体がいつもの何倍も強くて、しかも統率している群れのボスが居た。フォマは岩の陰で震えていた。


 見知ったクズたちが、泣き叫びながら死んでいく。教会に所属する時、フォマは聖書を諳んじられるまで読み込んだ。聖書には書いてあった「悪行には報いが、善行には救いが齎される」。これがきっと、報いなのだろう。


 フォマは悪人だった。なら、フォマもいずれ、細切れの肉片にされる。苦しみたくはないけれど、きっとあの死に方は苦しいだろう。フォマはよく知っていた。だって、同じ殺し方をされた人間は、いつも苦しそうにもがいていたから。


「助けて」


 と、その言葉を何度繰り返しただろう。助けが来ないことは知っていた。けれど、無様に泣き腫らすことしかできなかった。そしてそれが、自分に対する報いであることも知っていた。だって、孤児院に居た頃から、フォマはずっと言い聞かされてきた。「人を殺してはいけませんよ。そうしたら、地獄のそこに落ちて、苦しむことになるんですから」と。


 それでも、泣き叫ばずには居られなかった。世界中の全てに謝った。父親、母親、あの日殺した山賊、孤児院の友達、院長先生、それから、異端審問官として殺したたくさんの人。


 ずっと祈り続けて、どれだけ経ったかも覚えていない。雨の寒さにからだは冷え切って、恐怖にからだは耐えきれなくなって、私は気を失っていた。目を覚ませば、雨はすっかりやんで、辺りは死んだ人間と魔物の腐臭でいっぱいになっていた。


 曇り空。見上げれば、灰色。その中に、すっと一筋の切れ間が入った。光が、すっと地上に向かって伸びていく。それは、私の目の前だった。


 恐る恐る、動かない体を動かす。そこには、人が居た。


 魔物たちの亡骸。それが積み重なって、まるで丘のように積み上がっている。一際高い魔物たちの塔の上に、一人の少女が立っていた。


 白雪のような銀の髪と、水面のように透き通った翡翠色の瞳。透き通る硝子細工ような美貌。表情はどこか気怠げに、目を細めて空を仰いでいた。


 手に握った銀剣は陽光にきらめき、血と雨で濡れた修道服は、けれど一枚の宗教画のよう。


 もしもフォマの人生に恋があったとするなら、それはあの日に始まった。真っ赤な血に濡れた、真に聖なるリリン・アズ・クロイライト。


 フォマの、初恋だった。





 あの日のような、土砂降りだった。


 あの日から、フォマのクソみたいな人生に意味が生まれた。


 父が死んだのも、山賊を殺したのも、全部リリンに出会うためだったんだと、フォマはそう理解できた。フォマは人生を楽しめるようになった。毎日食べるご飯を、美味しいと思えるようになった。可愛い服を着る楽しさが分かるようになった。戦うための鍛錬に達成感を覚えるようになった。人が苦しんでいる様子を楽しめるようになった。人生につまらないことなんて、何もないって分かるようになった。


 泥だらけの道を走る。フォマは強くなった。逃げなくなった。立ち向かうようになった。前に向かって歩けるようになった。


 フォマに人生をくれたリリンは、けれど、ずっと苦しんでいた。フォマにはリリンがいた。けれど、リリンには誰も居なかった。だって、リリンは真に聖なるクロイライト。彼女は、たった一人で戦っていた。たった一人でも、決して折れず、錆びず、鈍らなかった。


 フォマにとって、リリンは光だった。でも、リリンに光はなくて、フォマはリリンの光にはなれなかった。そうだ。


 フォマの喉から、熱いものがこみ上げてくる。鼻がツンとして、嗚咽が漏れそうになる。でも、雨がある。雨があれば、きっと泣いてるなって思われない。


 リリンがあの耳飾りを愛おしそうに眺めた時、フォマの中にあったのは嫉妬だ。フォマがどれだけ望んでも座れなかった場所に、魔王が居る。フォマではどれだけ頑張ってもなれない。フォマは、リリンの隣には居られない。


 救われた恩を、返したかった。フォマという少女は、あなたが居たから救われたんだと教えたかった。


 でも、リリンはそんな事を言われても、困ったように微笑むだろう。違う。それじゃあフォマの自己満足だ。だから、フォマにできるのはリリンの背中を押すことだけだった。


 雨の中を走れば、そこにはリリンとマティアが居た。


「リリン先輩!」


 大雨でかき消される。


「リリン先輩!」


 何度でも呼ぶ。


「リリン先輩!」


 こっちを見て。


「リリン先輩!」


 リリンの顔が、振り返る。雨に濡れたリリンも美しかった。その整った顔がフォマを捉える。フォマは叫ぶ。


「リリン先輩! 惑わされちゃダメっす! リリン先輩は、決して折れず、錆びず、鈍らない! そうでしょ! 先輩、言ったじゃないっすか! 先輩はどうするんすか! 誰のことが欲しいんすか!」


 多分今、フォマは泣いていた。


 でも、そう。これで良い。フォマはその場にへたり込む。きっと、これで良い。フォマが居なくても、リリンはきっと前に進んだだろう。でも、構わない。今押した背中が、リリンを幸せに向かって少しでも進ませることができていたなら、フォマはそれで良かった。


「リリン先輩」


 呟く。きっと今なら、雨音にかき消されて、誰も聞いていないはずだから。


「リリン先輩、大好きっす」

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