告白
動かなくなったはずのマティアの腕が、私の腕を掴んだ。
『……ち、違う。違う違う違う!』
「……死んでないんですか」
『ベルナドット様は、あ、あなたのモノなんかじゃ、ない』
心臓を叩き潰され、腕を圧し折られたはずのマティアの眼が、ギョロリと私を睨む。
「随分頑丈になりましたね」
『あ、あなただって、分かってるはず、です。影のマナは、流動と、破壊と、再生。次に進む全てを司る力。あなただって、心臓を貫かれた程度では死なない』
「……違います。あなたと私が同じなんじゃない。ベルの力です。それをあなたが盗んだだけ」
『違う!』
マティアの足元から、大量の虫が吹き出る。真っ黒な蝶々と、そして芋虫たち。ヌルヌルと這い回る虫が、私の足にまとわりつく。振り払う。
「……悪趣味ですね」
『……ベルナドット様は、ヒトの上に立つお方。誰かのモノなんかじゃない』
「いいえ。私のものです」
聖剣を振って、マティアの首に打ち付ける。簡単に上下が分かれて、マティアの首が地面に転がる。けれど、転がった首の視線は私を捉え続ける。落ちた首はどろりと真っ黒に溶けて地面に沈み、頭を失った胴体から一瞬で頭が生成される。
「……厄介な」
『べ、ベルナドット様のちからです。す、素晴らしいでしょう? すべての人が無限の命を得られれば、誰も苦しまなくて済む。それはきっと、理想郷です』
「どうでも良いです。私の目的は十二聖人を全員殺すことだけ。そして、ベルは私のもの。返しなさい。……早くベルを返しなさい!」
だったら、と言いながら、マティアは私に向かって歩いてくる。伸ばした手を何度切り落とそうと、マティアはすぐに再生した。私にベルが取り付いていたときより、明らかに影の力が強く出ている。それが私を苛立たせていることを、私は客観視出来ていた。
どうして、私の体よりも、マティアの体の方がベルの力に馴染んでいるんだろう。許せない。ベルは私の体が素敵だって言った。私の体が全部欲しいと言った。それなのに、どうして。
そして、どれだけ斬っても元に戻るマティアは、私の頬を両手で撫でた。
『む、無駄ですよ。わ、私の体は、あの繭の中で、作り変えられた。もう私に、物理的な体はありません』
「ベルは、どこですか? 聞こえなかったか? ……早く返せ!」
『可愛そう』
憐れむような目。私は思わずその体を斬り飛ばした。
『ふ、ふふふふふ。む、無駄。無駄です。無駄ですよぉ……』
「返せって言ってるでしょ!」
『別に、良いんですよ。わ、私は弱いから……。たぶ、多分あなたに勝てない。だ、だから、ホントは簡単なんです。あなたがベルナドット様の力を取り返すのは。……私を食べれば良いんです』
「は……?」
『あなたが昔そうしたみたいに、私をペロッと食べちゃえば良いんですよ』
目がチカチカする。口の中に昔の記憶がフラッシュバックする。どうして、今、その話をする?
『ねえ、本当に、ベルナドット様が欲しいんですか? じゃあ、どうしてその胸に中に、そんなモノがあるんですか? その紙細工 知ってるんですよ。それは、マリナ。マリナ・エリュトロンの亡骸! そんな未練タラタラで、次の女を返せって、つ、都合良すぎじゃないですかァ?』
「貴様らがマリナの話をするな!」
私が剣を振っても、すぐに再生したマティアが絡みついてくる。周りをはためく蝶と虫たちが鬱陶しい。
『き、気付いてるんでしょう……? どうして最後の一人にならなかったのに、まだマリナが残ってたのに、あなたが開放されたのか? わ、分かるでしょ? あなたがマリナを殺さなかったからですよ」
「やめろ!」
『最初っから、決まってたんですよ。あなたが聖女にされるのは。あなたが器になるのは! あなたがマリナを殺せなかったから、だから仕方なく、あそこで実験は終わったんですよ! 最初から、あそこに集められてたのは貴女のための生贄!』
「それ以上言うな!」
剣を振る。ひたすら振る。全部の骨を砕くくらい乱暴に叩きつけても、マティアの表情は変わらない。
『あなたは、救えたんですよ。最初から誰にも手を出さず、誰のことも殺さず、ただ飢えに耐え続けていれば、きっと第四席も諦めました。……でも、あなたは殺したし、食った』
ああ、可哀想に、と。そう言うマティアは笑っていた。
『あなたさえいなければ、みーんな苦しまずに済んだのに』
たぶん今、私は震えている。動悸が激しい。マリナの顔、あの日の手の感触。血の色。人の味。
まだだ。私は自分に言い聞かせる。思い出すな。だって、私は真に聖なるクロイライト。決して折れず、錆びず、鈍らない。そうだ。あの日誓った。
――でも、その誓いそのものが。私の身勝手だったとしたら。
私のその一瞬の動揺に、私の胸元から、かつてマリナだった紙細工が抜き取られる。マティアはそれをゆらゆらと揺らしていた。やめろ、雨で濡れたらどうするんだ。それは、それは……。
「返して……」
『さ、さっきから、図々しすぎじゃないですか。返してって、どっち? ベルナドット様? そ、それとも、マリナ? ねえ、どっちもだなんて、そんな横暴……許されませんよぉ』
頭がぐちゃぐちゃになる。マリナがいなければ、きっと私は折れていた。ベルがいなくても、私は折れていた。なんで。どうして。なんで私だけが、こんな目に合わなきゃいけないんだろう。
私は聖女などではなかった。私は、悲劇の被害者でもなかった。ただ命を奪って、生きて、それで、もう分からない。もうどうしようもない。
なんで、私はここに来たんだっけ。
「リ……」
なんだろう。
「リ……い」
声だ。
「リ……先輩」
声がする。
「リリン先輩!」
土砂降りの中、泥だらけのローブを身にまとって、フォマが居た。
「リリン先輩! 惑わされちゃダメっす! リリン先輩は、決して折れず、錆びず、鈍らない! そうでしょ! 先輩、言ったじゃないっすか! 先輩はどうするんすか! 誰のことが欲しいんすか!」
そうだ。
そうだ、そうだ、そうだ。辛いし、死にたいし、消えてしまいたい。だけど、違うだろ。そうだ違う。辛い目に合わせたやつを辛い目に合わせる。死にたい目に合わせたやつを殺す。消えてしまいたいと思わせたやつを消す。
「――十二聖人を全員殺す。ベルを奪い返す」
そうだ。知ったこっちゃない。確かに私は運命を変えられたのかも知れない。けど、こうなった。皆死んだ。私が殺した。私が食った。マリナは私をかばって死んで、そしてベルは私の味方だ。
迷うことなんて無い。だって、私は真に聖なるクロイライトで、そしてベルナドット・ザス・カルトナージュの契約者。
「今まで死んだ全員。そう、全員!」
吐きそうだった。泣き出しそうだった。でも、それは許されない。ベルが何度も言っていた。私は王になる。私は支配する側。私は奪う側。暴虐の限りを尽くし、自分のためだけに生きる側。
「全員、私がベルと出会うための、踏み台だった」
そこら中に散らばった水溜りから、声がする。小さな声。
「ありがとう」
「うれしい」
「すてき」
「ありがとう」
「うれしい」
「ありがとう」
ドロドロと煮えたぎる影のマナ。それが渦を巻き、かたちを作る。真っ黒な影が、ヒトのかたちを作っていく。まるで夜がそのまま人になったかのような、美しい女性がそこに居た。初めて見る姿で、けれど、それが誰なのかはすぐに分かった。
濡羽色の長い髪、月のように輝く黄金の瞳、病的に白い肌、傾国の美女と呼んで差し支えない、ゾッとするような美貌。
きっと、あれがベルナドット・ザス・カルトナージュ。
『ベルナドット様! ずっと応えてくださらなかったのに! わ、私です! マティアです! 脳みそ。脳みそグチャグチャにしてください!』
叫びだすマティアを、ベルはまるで意に介さないようだった。冷たい、何も感じさせない表情。その顔が、私を見つけて、私に微笑む。
「ありがとう、リリン」
ベルはその細い手で私を抱きしめる。
『なんで! ベルナドット様、どうして! だって、わ。私のほうがずっと良い女ですよ! ずっと胸も大きいし、だって……』
マティアの言葉には耳も貸さず、ベルは私の耳元で言う。
「ありがとう。リリン。嬉しいよ」
私は何かを返そうとして、けれど、何も言えなかった。流さないと決めたはずの涙が溢れてきて、止められない。自分でも、これが何の涙なのかわからない。でもきっと、誰も気付いていないはずだ。だって、今日はこんなに雨が降っている。
「ボク、最初はリリンが欲しくて欲しくてたまらなくて、きっとこの体をボクのものにしてやろうと思ってたの」
「でも、ベル、今、体が……」
「人形遊びみたいなものだよ。僕の体はもう消滅して、この世界の何処にもない。これ、とっても大変だもの。でもね、リリンを抱きしめたくて、頑張ったんだよ」
「ベル……。ありがとう」
ベルは抱きしめていた手を緩めて、私の顔をじっと見つめる。
「ボクね、気付いちゃった。ボクはさ、リリンの意識がなくなっちゃうの、嫌なんだ。だからさ、それに気付いてからずっと……。ボクがリリンの体を出来るだけ傷付けないように、ずっとずっと、影の力を抑えてたの。……でも、きっとこの先、リリンが『黒水晶』を集め続けたら、どこかでボクはリリンを壊しちゃう」
ベルの綺麗な顔は、今にも泣き出しそうなくらいに崩れていた。
「ボク、わからないんだ。生まれてきて初めてなんだよ。壊したいと思ったことは何度もあった。苦しめたいと思ったことも沢山。でも、リリンは壊したくない。幸せで居て欲しい。でも、ボクにはそのやり方がわかんない! ねえ、ボク、どうすればいいんだろう」
今度は、私がベルを抱きしめる番だった。
「良いの。良いんですよ。私、ベルがいないと駄目です。ベルと一緒がいいです。私は、全員殺したい。そのためには、ベルが居ないと駄目なんです」
「リリンは、十二聖人が全員死ねば、幸せ?」
ベルはそう聞く。答えは最初から決まっていた。
「はい。幸せですよ。それだけあれば、あとはもう、何も望みません」
そっか、とベルは無邪気に笑った。綺麗な顔だけど、ベルはやっぱり何処か子供っぽい。
「ベル。安心してください。私は壊れません。だから、ベル。全部ください。ベルを、全部私にください」
「――うん。あげる。私をぜんぶ、ぜんぶ、リリンにあげる。私、リリンが好き。リリン、私と、ずっと一緒になって」
ベルは、私に口づけをした。




