お節介
王子様とお姫様の童話がある。アンジャ族に伝わる昔話が、吟遊詩人の手でロランド聖王国に広がったものだ。この辺りの住人ならば誰もが一度は聞いた事がある。
魔女の呪いでカエルになってしまったお姫様。王子様は苦難の旅路を乗り越え、ついにカエルに変えられたお姫様と対面する。口づけで人の姿に戻るはずのお姫様は、それなのに王子様を拒絶する。お姫様はこういうのだ。
「私は好きでカエルになっているのよ。カエルよりヒトのほうが幸せだなんて、どうして勘違いしていたの?」
雨を誘うようにカエルの歌が聞こえる。いつもの鳥たちの声は鳴りを潜め、雨に誘われた動物たちが、空からの恵みを祝福しているかのようだ。
曇り空。強い風。きっとすぐにでも嵐が来る。アカシャは一人、森の風を浴びていた。長老会の腰の重い老人たちは、あの『器』であるリリンに干渉しないつもりのようだったが、本当にそんな事でいいのだろうか。
もう随分長い間、あの魔王と対になるアズヴァルは地上に降臨していない。光のマナが枯渇していく中で、急激に影のマナが増え始めている。そうすれば地脈は荒れ、魔物たちが地上に溢れ、いずれ地獄のような有様になることだろう。
アズヴァルは魔王を求めている。彼女が復活した今、アズヴァルが音沙汰もないのは不思議だ。そう言えば、今は教皇も聖王も不在だという。ひょっとしたら、列聖委員会を名乗る王国の人間たちは、地上から神と奇跡を放逐したいのかも知れない。
そこまで考えて、まさかと首を横に振る。そんな事をしたら、それこそこの世界の終わりだ。どちらにせよ、アズヴァルの音沙汰が無い今、世界のバランスを取るためには魔王は邪魔だ。長老たちはああ言うが、彼らは時勢を読めなさ過ぎる。
嵐も好機だ。この中でリリンと黒い繭が戦えば、きっとお互いに消耗する。あの器には巫女と思しき女が二人ついていたが、所詮はただの人間だ。嵐に乗じて魔王に楔を打ち込み、あわよくば再封印する。まだ『黒水晶』を集めきっていない今が好機だ。
いよいよ風が強くなり、さっきまで煩かったカエルたちの声も聞こえなくなっていた。
「アカシャさん!」
名前を呼ぶ声に振り返れば、フォマとエステルだ。二人は慌てたように走ってきて、天幕から突き出した庇の下に入ってきた。
「どうした、客人よ。この雨だ。お前たちの天幕があるだろう。場所がわからぬのならもう一度案内するが」
「リリン先輩を知らないっすか!?」
「我は見ていない。どうした?」
「困ったわね。長老たちに謁見しに言ったでもないとなると……」
「何? まさかこの天気で行ったのか? 嵐が来るぞ」
その言葉に合わせるかのように、空が真っ白に光った。少し遅れて雷鳴。かなり近い。雷に誘われるように、空のバケツは逆さまにひっくり返った。
「まずいわね。リリンさんは、ええと……。今、本気を出せない状況になってるのよ。単身でアレと戦うのは少し……無謀かもしれないわ」
「リリン先輩に限って死ぬなんてことは無いと思うっすけど……すぐに助けに行かないと!」
「お前たち、落ち着け。この嵐で、あの強敵と戦うとなれば命を落としかねない。リリン殿は残念だが、ここでお前たちが行って何になる?」
「アカシャさんはうちにリリン先輩を見捨てろって言うんすか!」
その時だった。集落の方から強烈なマナの波動を感じた。アカシャだけでなく、フォマとエステルもそれを感じたらしい。自然に起こるマナの波にしては、あまりに圧力が強く、そして鈍い。
「……『繭』が孵ったか」
「うち、行くっす」
そう言ってフォマはローブについたフードを被る。
「無謀だ。ただでさえこの辺りの土地はぬかるみやすい。死ぬぞ」
「うち、見た目よりは強いんで」
「驕るな。強さと森の恐ろしさは別だ」
「うちの命に、先輩を見捨てるくらいの価値は無いっす」
フォマは身を翻し、雨の中を走っていく。
「おい! 待て!」
「行かせてあげなさいよ。貴女にはあの子の気持ちなんて分からないでしょ?」
「……お前は行かないのか、エステル」
「見たら分かるでしょ。ワタシったらか弱い幼女よ? 死んじゃうわ」
アカシャは品定めするような眼でエステルを見る。人間の年齢はよく分からないが、この小ささだ。どうも人間にしても年相応には見えなかった。じっとエステルを見ていれば、思い出したかのように「ああ、そうだ」と少女は呟く。
「ねえ、アカシャ。貴女に聞きたいことがあったのよ」
「何をだ?」
「貴女、どこまで知っているの?」
「何の話をしている。まるで意味が分からん」
あら、シラを切るつもりなの? とエステルはアカシャの眼を覗き込む。その瞳の奥は真っ暗な穴のように見えた。アカシャは思わず尻もちをつく。立ち上がろうとするが立ち上げれない。腰が抜けていることに、ここで初めて気付いた。
アカシャはイザンデの腕だ。幼子に眼を覗かれたぐらいで尻もちをつくような、軟な鍛え方はしていないはずだった。
「……お前、何者だ!」
「あら、リリンさんの中身は分かっても、ワタシやフォマのことはよく知らないみたいね。それもそうか。あなた達が信仰しているのは『始祖』としての『あのお方』だものね。……本当、エルフって昔からそう。時間だけ無駄に生きるくせに、その長い命の中でまったく成長しない。驕って、停滞して、そしてプライドだけは高い」
アカシャよりも背の低いエステルに、アカシャは見下されていた。
「貴女、顔は綺麗だから『あのお方』は好きかもね。でも、駄目なの。だって貴女……。『王国に引き渡せば貸しにできる』、とか言ってたわね?」
背筋が凍りつくのを感じた。アカシャは自分の軽はずみな考えを後悔した。何が「人間の年齢は分からない」だ。この、この小さな少女の何処が人間だというのだ。逃げようにもまるで足腰が動かない。ただ冷や汗だけが溢れる。
「ねえ、分かるわよね。ワタシ、貴女を脅しているのよ。……別に、ワタシにとって器の有無なんかどうでも良いのよ。リリンさんに憧れたミルイの気持ちはまだ残っているけれど、それでもワタシはエステルだから……、別に器がなくなっても、『あのお方』は何度だって蘇る」
アカシャは正直なところ、エステルの話など聞く余裕がなかった。恐怖と、そして足元の感覚。同仕様もなく理解できた。真っ黒なバラの蔦が、アカシャの足に絡みついていた。それがアカシャをアカシャではない何かにするモノだということが理解できてしまったから。
「だけどね、ワタシ、フォマのあんな顔見ちゃったから……。分かるもの、どうしようもなく焦がれて、思って、幸せを願って。それなのに嫉妬して……。貴女は知ってる? 恋ってとっても辛いのよ。でも、その点、ワタシはほら。年長者だから。あの子より、その折り合いの付け方は得意なのよ」
「エ、エステル、お前は何者だ!」
「あら、知らないの? ワタシってそこそこ有名人だと思ってたんだけど」
その言葉に、アカシャはハッとする。アンジャ族に伝わる神話以上のことは知らないが、百年前、どこかでその名前を聞いたはずだ。そうだ。エステル。
「……黒、薔薇」
「やった! 思い出してくれてありがとう! そう。ワタシはエステル・レカンフルール」
貴女を綺麗な花束にしてあげるわ。と魔女は言う。蔦がアカシャを這い回り、縛り、そしてバラの花束に変えていく。
「あのお方は、あんまりお花が好きじゃないのよね。リリンさんとフォマはどうかしら?」
そう言って困ったように笑う魔女の姿が、アカシャが見た最後の景色だった。




