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エルフの森の侵略者

「事情は理解した。だが、ここら先に進ませるわけには行かない」


 アカシャと名乗った美しいエルフはそう言って、私たちの行く先を塞いでいる。


「なぜですか。私たちは決してあなた方アンジャ族に危害を加えようなどとは……」

「違う。お前たちが我らに危害を加えようが、加えまいが、それは関係がない。お前たちが何を考えていようと、我々の集落に案内することはない」


 アカシャは頑として譲る気配がない。エルフには頑固な者が多いとは聞いていたが、まさかここまでとは思っていなかった。すると、私の代わりにエステルが交渉に出た。


「ワタシたち、あなた達と取引できるだけの銀貨を持っているわ。ワタシたちは今すぐにでも食べるものが欲しいの。ワタシたちが目指しているのは帝国領で、だからこの銀貨に未練はないの。足元を見てもらったって構わないわ。それでも駄目なのかしら?」


 エステルは流石というか、昔アンジャ族と取引したことがある、というのも嘘ではなさそうだった。エステルの言葉に、アカシャの尖った耳先がヒクヒクと動く。


「……銀? どれだけ持っている?」

「ワタシ、最近の相場はよくわからないけれど……。そうね。ある魔女は、『これだけの銀貨があれば、若いエルフの五人は買えた』と言っていたわ」

「なるほど。心得た。それは我々も欲しているものだ。だが、それだけの銀貨に見合うだけの持ち合わせが、我々には無い」


 アカシャは木の上から飛び降りて、私たちの前に鮮やかに着地した。香木だろうか。アカシャからは素朴な良い香りがする。


「もう一度名乗ろう、客人よ。我が名は『雷鳴のアカシャ』。ラッカラの(まなこ)として、お前たちを歓迎する。だが、その上で言う。我らが集落は危険だ」

「危険? どういうことかしら?」

「我らは人間の言葉が不得手だ。誤解を招くかも知れないが、おそらくあれは、お前たちの言葉で言うところの『魔物』だ。我らの集落を襲い、そして居着いている。奴は危険だ。今、我らの里の者たちは、ここ一帯のアンジャ族に助けを求めている」


 魔物。理屈で言えば、それはおかしい。彼らは淀んで停滞したマナに命が宿って生まれる存在で、逆に言えば澄んだ清いマナに満ちたエルフたちの領域では、そんなものは発生し得ないはずなのだ。


 それに、だ。仮に魔物が発生したのだとして、エルフたちは皆弓の名手だ。そんなエルフたちが手を焼くほどの存在となれば、それは知性を有しているレベルの、非情に危険な魔物ということになる。


「我らアンジャの民としても、銀は痩せた虎前の縛った兎(・・・・・・・・・・)ほど欲しいものだ。しかし、この状況では取引も満足にできぬだろう。そして恥ずかしながら、我らの状況は逼迫している。お前たちを守りながら戦うことはできない」

「その点に関しては安心してもらっていいわ。ワタシたち、見た目よりは強いと思うわ」

「ふむ、我らにとって人間の(よわい)をはかるのは難しいが、お前たちは年若い人間に見える。強いのか?」

「ええ。ワタシも、ここのピンク髪も。……それと特に、この人は強いわよ」


 と、エステルは私の背中側から抱きついて、顔だけをアカシャに向ける。


「……美しい人間よ。確かにお前からする臭いはただの人間とは違う。珍しい臭いだ。装いは聖職者だが、一端の戦士だな。我らアンジャは戦士に敬意を示す。名を名乗れ」

「名乗り遅れました。申し訳ありません。何分、アンジャの風習には疎いもので」

「構わん。我はラッカラの眼。客人に我らの習わしを押し付けたりはせぬ。だが、名前だけは教えろ。我らは戦士の名に祈りを捧げる。それが出来ぬことは、我らにとっては神の顔に泥を塗ることだ」

「私の名は、リリン。リリン・アズ・クロイライト」

「……不思議な名だ。リリン。そうか、リリンか。意味は分からぬが、さぞや良い名なのであろう。他の二人の名は?」


 アカシャが目線を私以外の二人に向ける。


「うちはフォマ。リリン先輩の後輩っす」

「ワタシはエステル。このお方に救われたの」


 二人をじっと鋭い目で見つめていたが、やがてアカシャは頷いた。


「なるほど。分かった。巡礼の旅の食料が欲しいのだったな。我らの長に掛け合うが、期待するな。魔物を集落から排除するまで、我らはお前たちを満足にもてなせぬことを理解せよ。だが、我らは糧、薬、それからいくつかの魔道具を分けることができるだろう」


 アカシャはそう言って私たちを見回して、頷いた。


「お前たちが戦士だと言うなら、恥を忍んで頼みたい。どうか我らを手伝ってくれないだろうか」


 私が答えようとすると、フォマが私を制した。


「先輩、安請け合いは良くないっす。うちらは急ぐ旅だってことを忘れたらいかんすよ」

「ふむ。お前たちの懸念は道理だ。我らの示す対価で、銀と力の両方を求めるのは、まさしく|一人で二匹の獲物を狩る《・・・・・・・・・・・》ようなもの。分不相応に過ぎるだろう。故に、我らは報酬を示したい。……真っ黒に濁った水晶を見たことはあるか」


 その言葉に、私たち全員の目つきが変わる。銀の対価になるほど珍しい、真っ黒に濁った水晶。その言葉を真実だとするならば、それは『黒水晶』に他ならない。ベルが封印されてから遺失した、十二ある水晶の一つだ。


「我らはこれを『黒水晶』と読んでいる。あれはいつだったか……。まだ我が生まれる少し前だから、百年ほど前になるだろうか。アンジャの(かぶり)が、当時の人間から受け取ったという。お前たちの臭いに覚えがあり、今思い出した。お前たち……、いや、リリン。お前からする臭いはそれに似ている。あれは災いを呼び寄せるが、しかし放てば世界が朽ちる代物であると、長は常々言っていた」


 そう言って、アカシャは顔を私の目の前に近づけた。触れ合えそうな距離。香木の香りがする。まつ毛が繊細に輝いている。その距離でアカシャは鼻をヒクヒクと動かす。


「うむ。確かにこの臭いだ。長はこうも言っていた。『奪うものあればこれを討ち、求めるものあれば譲り渡せ』と。お前たちは、きっとあの黒い水晶が必要なはずだ」


 アカシャの表情は読めない。ずっと仏頂面のままだが、エルフは人間と感情表現が違うのだろうか。


「……ええ。確かに私たちはそれを集めています」

「それは良かった。我の勘はよく当たる。……あんな不吉なものを集める理由はわからないが、お前たちにとって必要で、我らにとっては不要。ならばそれを分け与えるのは、アンジャの掟だ」


 正直なところ、私はアカシャをどこまで信じて良いのか分からなかった。あれがベルの一部で、だからこそ私はそれを心の底から求めている。けれど、『黒水晶』は邪悪だ。それを理解できないエルフではないだろう。何か騙されているのではないか。そんな不安がつきまとう。


(リリン、良いね。そういうの)

(……ベル。何が『良い』なんですか?)

(だってリリンってば、前は純粋で、騙されやすくて、とってもお馬鹿さんだったじゃない。でも今はそうやって、人の悪意に怯えて、繊細になって、そして迷ってる)

(……ベルだって、一度私を騙したじゃないですか)

(そうだね。でも、ボクはもうリリンを裏切らないし、騙さない。だってボクはリリンのものなんでしょう?)


 真っ黒な、ドロドロとしたものが、私の心を這い回る。それはベルなんだろう。そして、きっと恐ろしいはずのそれに、酷く安心する私が居た。


(オドオドしてるリリンも可愛いけど、でも、駄目。リリン、君はボクで、ボクは君だ。だからね、そんなのは王者の態度じゃないんだよ。……裏切り者は殺す。騙したやつも殺す。ムカつくやつも殺す。それで良い。それを叶えるだけの力が、リリンにはあるでしょう?)


 確かに、ある。もしもこの、目の前の香木の匂いがする美しいエルフが私を罠にはめようとしているのだとして、その時、(ベル)はこのエルフを苦しめて、泣き叫ばせて、そして命乞いを聞きながら殺すことができる。そして私は、きっとそれに罪悪感を抱かない。


「……わかりました。ですが、どうして『黒水晶』のために私たちが戦う必要があるんでしょうか。銀だけでは対価として不十分ですか?」

「否。そんなことはない。だが、物理的に難しいのだ。現れた魔物は、その『黒水晶』を飲み込んだ。それ故に、奴を倒さなければ『黒水晶』を譲ることが出来ないのだ」


 そう言うアカシャの表情は相変わらず読めないが、けれど、少なくとも本気で言っていることは理解できた。私はフォマとエステルに目配せをする。二人とも頷いた。


「わかりました。アカシャ。協力しましょう」

「恩に着る。人間の戦士よ」

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