雷鳴のアカシャ
南アンザスの深い森では、アンジャ族と呼ばれるエルフたちが暮らしている。彼らは人間の三倍近い寿命を持ち、白い肌と美しい金の髪を持つ。何よりの特徴はその耳で、尖った独特の形状をしている。
人間の基準では皆一様に美しい容姿をしていて、かつては奴隷商たちにとって格好の商材だった。酷いときでは、傭兵たちは閑散期になるとエルフたちを捉え、商人に売ることで稼ぎを得ていたらしい。
かつてのロランド聖王、オルデナンド大公が奴隷制度を禁止してからも、闇市では未だに奴隷市場は生きている。王都はともかく、郊外の諸侯は奴隷を未だに使っているからだ。
そうなれば、エルフたちを狩るのは裏社会の人間たちだ。非合法なことを生業とする者たち。そういった組織はロランド聖王国にも蔓延っていて、彼らは合法だった時以上に卑劣なやり方で彼らを『捕獲』している。少なくとも、オルデナンド大公以前はエルフたちも金銭を受け取っていた。今や、エルフと人間の関係は、過去最悪と言えるほどに冷え切っていた。
勿論、人間たちを極端に憎むアンジャ族も多い。
「慎重に行きましょう。山越えのための食料などを得るためには、アンジャ族の協力を得ることは不可欠です」
「大丈夫なんじゃないかしら。聖職者が二人と年端も行かない女の子が一人よ? 巡礼の旅とでも言えば、まさか王国全体に狙われる大逆者だとは思わないでしょう」
「とは言え、ここは彼らの土地ですから。最低限、彼らの流儀には則る必要があるでしょう」
「……あなた、ベル様が好きそうな性格してるわね」
「……どういう意味でしょうか」
「そのままよ。純粋で、優しくて、……それで」
エステルがそこまで言うと、「見るっす」とフォマが言葉を遮る。
「この痕。まだ新しい焚火の痕っすよ。アンジャ族の狩人は、集落に戻らずに一週間くらい狩りを続けることもあるらしいっす。まだ暖かいし、近くにいるかも」
エルフの狩人。彼らは生まれながらの弓の名手だ。一生を森の中で暮らす彼らにとって、最も身近な武器は弓矢であり、幼い頃からその使い方を習い続ける。習熟した達人ともなれば、もはや弓も矢も要らず、ただ構えるだけで飛ぶ鳥が落ちてくるとも聞く。
「どうするっすか? この道を追えば、アンジャ族の狩人に会えるかも知れんすよ」
「そうしましょう。エルフの風習には詳しくありませんが、旅の食料を対価と交換することくらいは大丈夫なはずです」
「対価っすか。……うちら、金貨に銀貨に……。そんなものしか無いっすけど。森で暮らすアンジャ族が、金貨とか要るっすかね」
フォマの疑問に答えたのはエステルだった。
「ええ、むしろ喉から手が出るほど欲しいんじゃないかしら。金はともかく、銀は魔法の触媒にもなるしね。生まれつき金属が苦手なエルフたちが貴金属を得ようとしたら、人間たちとの取引以外にはないもの。昔は銀と引き換えに幼いエルフを沢山買ったものだわ」
「……エステル、ひょっとしてロリコンっすか?」
フォマの目が鋭くなる。エステルは心外だとばかりに否定する。
「言いがかりよ! 人間たちの体を使おうと思ったら、まだ魂の不安定な子供のほうが楽なのよ。本当に昔の話なんだから。ナーヤだった頃は、全然、全くもってそんなことはしてないわ!」
「……エルフの代わりに人間の子供っしたもんね」
また二人の雰囲気が険悪になる。
「とにかく、物騒な話はよしましょう。もしエルフの方がそんな会話を聞いたら警戒されてしまいます。私たちは、二人の聖職者と親を失った幼女。神に祈るための巡礼の旅! そういう設定なんですから」
私がそう言えば、二人は渋々といった様子で言い合うのをやめた。
(ボクがアズヴァルちゃんに祈るなんて、面白い冗談だなあ。アズヴァルちゃんがボクに頭を下げることがあっても、その逆はないよ)
(ベルは前から『アズヴァルちゃん』って言いますけど、面識があるんですか)
(当たり前じゃん。……いや、そうでもないのか。アズヴァルちゃんはボクの妹だよ)
(………………え?)
初めて聞いた。そんな事があるだろうか。ベルは魔王。魔王というのはつまり魔物たちの王で、それはマナ溜まりに命が宿ったものだ。アズヴァル神はこの世界を生み出した唯一神。それが妹? 何の冗談だというのだ。
(……詳しく説明してください)
(詳しくって言われてもなあ。ボクは神様になるのが嫌で逃げ出してきたんだよ。アズヴァルちゃんはボクに行ってほしくなかったみたいで、散々嫌がらせさせられたんだけど。元はと言えば、アズヴァルちゃんが人間たちに「魔王は悪いやつだぞー」って言い聞かせたから、ボクも渋々キミらと殺し合ってたんだから)
(いや。いやいやいや。だって、教典によれば原初の混沌の海に、まずアズヴァルの声があったって……)
(バカなこと言うなあ。そのときに人類なんてまだ居ないでしょ。エルフたちの神話が、キミらの神話と違うのと同じ。全部妄想だよ)
妄想だなんて。アズヴァル神は絶対で、私たちを作り、そして教典を残した……。いや、でも、ベルが言うならそうなのだろう。私は結局、何も知らなかった。何も知らなかったから、騙され続けていたんだから。
(アズヴァルちゃんはなあ……。顔は可愛いしおっぱいもデカいんだけど性格がなあ……)
(……おっぱいって)
最近気づいたのだが、ベルはどうも大きな胸が好きらしい。というか、アズヴァル神は胸が大きいのか。その姿を想像してみれば、出てきたイメージは十二席のマティアだ。あの日のことを思い出して思わず顔がひきつった。イメージを振り払う。よく分からないけれど、少なくともアズヴァル神がマティアだということは無いだろう。
(じゃあ、ベルは魔物ではないんですか?)
(うんにゃ。多分似たようなものなんじゃない? マナ溜まりに命が宿れば魔物になるんでしょ? 命の代わりに、神界の意識の一つが宿ったのがボク)
驚きと同時に、納得もあった。アズヴァル神と同格の存在だったとしたら、アズヴァル神を降ろすことが出来たというかつてのロランド聖王国を崩壊させたことも頷ける。けれど、だとしたら。もしそうなのだとしたら、ベルの力はこの程度なのだろうか。
「あ」
と、そこでフォマが急に思い出したような声を上げた。
「どうしたんですか、フォマ」
「貴金属の話で思い出したっす。リリン先輩に渡さなきゃいけないものが」
そう言ってフォマが懐から取り出したのは、真っ黒な水晶が埋め込まれた耳飾りだった。引き込まれるように美しい、底なしの深い黒。背筋の凍るような美しさをたたえながらも、どこか淋しげで、そして、温かい。
「……フォマ、それは?」
私は正直、冷静さを失っていた。自分でも驚くほど、その耳飾りへの渇望が抑えられなかった。どうしてだろう。今まで、こんなに「もの」を求めたことがあっただろうか。どうにかその渇望を隠しながら、私は訪ね返す。
「リリン先輩は、魔王ベルナドット・ザス・カルトナージュの最後について、どこまで知ってるっすか」
「……先代の聖女によって、封印されたと」
「ロランド聖王国をメチャクチャにしたくらい強いベルナドットを封印するためには、その力を削ぎ落とす必要があったらしいっす。……全部で十二個の『黒水晶』に、その力が分けられたとか。どこまで本当かはうちにも分からんすけど」
力が、弱くなっている? 今まで、ベルはまったくそんな素振りを見せてこなかった。いや、「まだ体を動かすのになれていない」というようなことは言っていた気もする。
(ベル、何処まで事実……)
(そういうことだったのか……)
(気付いてなかったんですか!?)
ベルは自分自身の力が削ぎ取られていることに全く気付いていなかったらしい。それだけのことをされて、どうして気が付かなかったのだろうか。
(いやあ、道理で起きてからこっち、どうもやり辛いと思ってたんだよね)
(そんな、気付かないことなんてあるんですか?)
(確かにおかしいよね。もしかしたら、何か仕掛けがあったのかも?)
(仕掛け?)
私が聞き返しても、ベルは黙ったままだ。考え込んでいるようだ。それはともかく……。もしそうなのだとしたら、あの『黒水晶』に対するこの渇望も、ベルと繋がってしまったから生まれた気持ちなのだろうか。だとしたら、どうしてベルはそんな素振りを見せないのだろう。ベルは、平気なのだろうか?
私は、思わず手を黒水晶に向かって伸ばしていた。そんな時だった。聞いたことのない、よく通る声が響いた。
「貴様ら、何者だ! 名を名乗れ!」
声は木々の上から響いた。そちらを向けば、そこに居たのは金色の長髪を風にたなびかせる美しい少女だ。
「……エルフ!」
「如何にも。我こそはアンジャ族の『雷鳴のアカシャ』! イザンデの腕にして、ラッカラの眼! 人間よ、何故我らが領域に足を踏み入れた!」
その腕に轢かれた弓は、キリキリと音を立てるほどに張り詰めている。
「リリンと申します。見ての通りの巡礼の旅の途中。山越えの食料を取引したく、アンジャ族の集落を探しております」
「事情は理解した。だが、ここら先に進ませるわけには行かない」
そういう『雷鳴のアカシャ』の顔には、強い決意が見えていた。




