首
エステルの首が落ちた。
けれど、それに対して反応している暇はない。今この場において、シモンの『無明』に対抗できるとしたら、最初に首を落とされなかった方、つまりフォマだけだ。首が落ちたことが、既に『無明』が発動した合図になる。首、肝臓、手首、足。それから心臓。命を断つための選択肢はおおよそそのくらいで、全てを回避するのは不可能。即死しない手首と足首は諦める。
思い切り、右手に握った釘を突き立てる。シモンの刀はフォマの髪を数本切り払い、代わりにフォマの聖釘がシモンの肩に突き刺さった。
その瞬間、シモンの口から苦悶の声が漏れる。釘が突き刺さったことに寄って、シモンの痛覚が戻ったのだ。
「う……あ、うぅぅぅ!」
シモンは体中を掻きむしるようにその場に転がった。体中の皮膚が無いのだから当然だろう。血まみれの体に痛みが急激に戻り、そして肩には深々と釘が突き立っている。痛みでショック死していないことが不思議なくらいだった。
「はは、シモンちぃ。行けると思ったすか、うち相手に」
フォマは釘を持った手をひねって、えぐるようにかき回す。その動きに合わせて、シモンは叫ぶ。
危ないところだったけれど、もしも間違いが合ったとしたら、それはシモンが抱えていた恐怖だろう。本来ならば、手の内を知っているフォマから殺すべきだった。けれど、シモンは恐れた。初撃をフォマに防がれることを。あるいは、魔女を驚異と認識してしまったか。
どちらにしろ、結果だけがある。
「良いカッコじゃないすか。この間もそうしたっすもんね。慣れてないもんだから、爪を一枚ずつ剥がされただけで、まるで箱入り娘みたいにピーピー泣き叫んじゃって……」
釘でシモンの体をかき回すフォマの顔には、うっとりとした笑顔が浮かんでいる。
「さあて、今回も大人しく負けを認めちゃえば、楽になるっすよ。釘だって抜いてあげるし……。何で、リリン先輩を足止めするんすか? リリン先輩の命の有無は、列聖委員会の目的とは関係ないっすよね?」
シモンは押し黙る。フォマは笑みを深める。
「へえ……。言いたくないってことっすか?」
「……あっしゃ、まだ負けてございやせん」
シモンの目が、フォマを捉える。突き刺すような視線だった。フォマは咄嗟にシモンの間合いから離れる。
シモンはゆらゆらと体を起こす。ありえないはずだった。普通の人間では耐えられないほどの痛みを、本来痛みを感じないはずの男が受けている。少し体を動かすだけでも、まるで体中が引き裂かれるような激痛が走っているはずだった。
それなのに、シモンはまだ、諦めていなかった。
「フォマ殿、獲物を甚振る趣味もほどほどに召されるが良いでござんしょう」
何がシモンをそうさせるのか。どうしてシモンは諦めないのか。フォマにはよく分からなかった。よく分からないけれど、でも、一つだけフォマにも分かったことがある。
もし、フォマがこれほどまでに自分をすり減らすことがあるとしたら、それはきっと、リリン先輩のためだ。よくわからないけれど、今、このシモン・ジンという男にも、きっと譲れない何かがある。
シモンは構えた。神速の『無明』。腰を落とし、刀の切っ先は下に。痛みを取り戻したシモンが、己の体を更に酷使する技を、限界の体で使う。文字通り、シモンは命を切り崩して戦っている。
フォマは考えた。果たして、この男に自分は向き合えるだろうか。抑え込めるだろうか。殺しきれるだろうか。ただリリンを助けたい一心で、その場の思いつきで情報を集め、なんとなくムカついたから列聖委員会を糾弾し、ふんわりとリリン先輩のためにここまで来た。
ころころと流されるようにやってきて、けれど十分だった。
リリンのためなら、命を捨てられるだろうか。その程度の簡単な二者択一なら、フォマの答えは決まりきっていた。
「じゃあウチも、命、すり減らしてみるっす」
フォマは釘を両手で持って、その先端を自分の心臓に向けて振りかぶる。フォマの切り札。
けれど、その釘がフォマの心臓に突き立つことはなかった。何故か。シモンがやってくるときに空いた、天井の大穴。そこから、影が振ってきたからだ。
一言で表すなら、白銀だった。
一条の光。着地とともに砂埃が舞い上がり、ゆっくりと上体を起こし、立ち上がる。まるで降り積もる新雪のように輝く銀の髪。深い水面のような碧い瞳。その顔は今にも溶けてしまいそうなほど儚く、美しく。そして、誰よりも強い。
右手に、『鏡面湖畔』。輝く鏡の聖剣。真に聖なるクロイライト。
「――リリン先輩!」
フォマはその顔に満開の花を咲かせた。憧れの人。誰よりも美しい人。フォマがリリンに駆け寄ろうとするけれど、リリンが駆け寄ったのは、首を落とされた魔女の方にだった。
「ミルイちゃん!」
◆
話を少し戻す。
「じゃあ、おっぱい揉ませてよ」
「え? は、おっぱ、え? ど、どういう……」
ベルが突拍子もない事を言えば、当然ながらマティアは困惑した。けれど、ベルはそのままマティアに歩み寄ると、正面から、そのたわわな胸を思い切り揉みしだき出した。
「うっわ……。すっご。相当長い間生きてきたけど、こんなでっかいおっぱい始めて見た」
「や、やっ、やめてくだ……」
「柔らか……。あー懐かしくなっちゃうなあ。ボクもね、封印される前の体は、そりゃもう魅惑のボン・キュッ・ボンだったんだけどね」
そう言いながらベルは胸を揉む手を止めない。
(ベル……? えっと、これには何の意味があるんですか?)
(意味? いや、単純に興味あったから。え? いや、だって、こんなにおっぱい大きい人みたことある!?)
私は少し辟易していたが、事実として手に伝わってくる感触が、私の胸とは全く違うように感じるのは、少し楽しい。それはそれとして、本当にこんなことをする意味があるのだろうか。
ベルは立ち位置を変えて、マティアの背中側に回り込み、その肩に顎を乗せ、後ろから胸を掴む。
「ところで、ええと、マティアだっけ? ボクらは今から帝国まで逃げるんだけどさ、その前に十二聖人の動向が知りたいんだよね。……もちろん教えてくれるよね?」
「い……いやで……ひんっ!」
「ちょっと、ヤラシイ声出さないでよ。ボクは真面目に聞いてるんだけど?」
「そ、そのっ、胸……揉むの……やめ……」
「ふうん。答えたくないんだ?」
「こ、答え……ひんっ!」
「答えたくないんだ。じゃあ仕方ないね」
と、ベルが言った途端、ベルの足元の『玩具箱』から細長い触腕がしゅるしゅると伸びて、マティアの耳の中に入っていく。
「教えてね、キミのこと。隠さなくて良いんだよ。全部、全部。ボクに教えてよ」
「い、嫌でひゅ……ひっ」
「教えてね?」
「ひゃ……ひゃい」
ベルに言わせれば、第四席の脳みそをかき回した時と同じような要領らしい。マティアはすっかり無抵抗で、口も開きっぱなしだった。そうして色々なことを調べてみたベルは、一つだけ見逃していたことがあることに気がついた。村長だ。
「村長が持ってる宝石が、どうやら滅茶苦茶大事らしい」
「宝石がですか?」
「どうも、その宝石をボクに渡さないために、十二聖人が頑張ってるみたいなんだよね」
「……待ってください。村長は、ミルイと魔女にされたナーヤの関係を知っているはずです」
私の命を狙っていた村人たちは殺した。ミルイのことに気付いたやつらも、全員殺した。これでミルイ達の安全は守られると思ったけど、そうじゃない。村長はミルイと魔女の関係を知っている。
そうだとしたら、シモンの再生が間に合って、異端審問官たちがミルイの家までやってきたとしても不思議ではない。何より、ミルイは私の居場所を知る重要な参考人だ。しまった。このままでは、ミルイの身に危険が及ぶかも知れない。
私は一度、ミルイの様子を見に行くことにした。
ミルイの家まで戻れば、そこにあったはずの死体が全て無くなっていて、眠っていたはずのミルイは居なくなっていた。何が起こったかはわからないが、少なくとも一つだけ、確実に分かったことがある。
十二聖人が死体をどうこうしたとするなら、第八席のフォマ・キルシュヴァッサーが来ていることは確実だということ。
そして、ミルイはどこに連れ去られたんだろうか。連れ去られる程度ならまだマシだ。殺されていたり、あるいは殺されるよりも酷い目に合っている可能性だってある。もしそうだとしたら、それは私の落ち度だ。考えるより先に体が動いた。なにか知っている者がいるとするなら、この村の長しかいない。
そうしてやって来てみれば、そこは酷い有様だった。おそらく雇われていたのであろう護衛は、見るも無残な姿で殺されていた。全身の爪が剥がされ、目は掘り出され、指という指が全て丁寧に折られている。
死体の中には武装をしていない人間や、まだ年端も行かない幼子も居て、一言で言うなら地獄だった。もっとも、ベルに言わせれば「趣味が合いそう」らしいが。
そんな中で、音がする方に向かえば、どうだ。
ミルイの首は、真っ二つに斬り落とされていた。
「ミルイちゃん!」
駆け寄る。その体と頭は、どうしようもないくらい完全に両断されていた。鋭利な痕。だとすれば、きっと殺したのはシモンだ。急激に頭が冷えていく。
「ベル。殺しましょう」
(待ってリリン。何かおかしい。十一席の首に、えーと、第八席の?)
(フォマですか?)
(そう、フォマちゃんの持ってる釘が刺さってる)
だとすれば、この二人は戦っていた? どうして? リリンが眉をひそめれば、その間にもベルは違和感を説明する。
(それに、この首、おかしい。ミルイちゃん……? 似てるけど、違う。何か、とても懐かしいような……)
(懐かしい? どういうことですか?)
その時だった。抱えていたミルイちゃんの頭の、閉じていたはずの目が開かれて、目線が合った。
「ああ――」
その頭が、言葉を話す。
「――ああ、お会いしとうございました。ベルナドット様」




