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第十二席

「あの、えっと。お、お、お久しぶり……です」


 私とベルが国境へ向かおうと夜道を行けば、そこに立っていたのは背の高い女だった。


 腰まで伸びた長い髪は枝毛だらけで、目元には大きな隈。女性にしては背が高い、どころか、男ですらここまで背が高い者はあまりいないだろう。けれど、自信なさげに丸められた背中のせいか、あまり威圧的な印象はない。しかし、その胸の大きさは十分に威圧的だった。


(うっわあ、おっぱいでっか。え、何? リリンの知り合い? ねえおっぱい揉みたいんだけど。お願いすれば揉ませてくれないかな?)

(変なことを言わないでください。……ええ、知り合いですよ。ベルも何度か名前を聞いたと思います。彼女は――)


「――マティア」


 私がその名前を呼べば、女の自信なさげに俯いた顔が、ぱっと華やいだ。


「そ、そうです! 第十二席のマティア・コルンです! お、覚えてくださってたんですね……」

「勿論です。十二聖人の名前は、全員」

「……も、もしかして、怒って、ますか?」


 マティアは恐る恐る、といったふうに尋ねる。この人は昔からそうだった。予言魔術の使い手なのに、いつもこれから起こる未来を恐れている。いや、むしろ予言魔術の使い手だからこそ、そうなるのだろうか。


 いずれにせよ、私には関係のないことだ。


「怒っているかどうかで言えば、私は怒ってはいませんよ。ですが、きっと貴女のことも、私は殺す」

「……や、やっぱり、怒ってるんですね。……でも、当然です。わ、私。私たちは、リリン様に、酷いこと、した、から」


 マティアは今にも泣きそうだった。まったくペースが乱れる。本当に勘弁してほしい。


「私たちは急いでいます。道を開けてくれれば、今ここで殺し合うつもりはありませんよ」

「……で、でも。駄目です。わ、私、見えないから」

「見えない?」

「な、何回も神託を受けようとして、で、でも。今日より未来の、リリン様のこと、ぜ、全然見えないんです。だ、だからきっと。今日がリリン様の最後だから。……見届けないと」


 どういう意味、と聞こうとして、気配を感じる。そこら中だ。私の周りを取り囲むように、沢山の人がいる。


「……も、もう、列聖委員会の斥候がたどり着いてます。……リリン様、えっと、違うや。あの、えっと、魔王に囚われた異端のリリン様……。えっと……。ごめんなさい、ちゃんと覚えてないです……」


 そう言いながらマティアは俯いて、下を向いたまま続きを口にする。


「……え、えっと。とにかく、まとめると。……えっと、リリン様には、一億シリの、懸賞金が懸けられて、えっと……。ロランド聖王国の全員が、あなたの敵になりました」


 辺りを取り囲んだ気配は、全て人だった。この村の人々。沢山の人々。


 松明。抜け道も退路もなく、ただただ、人の群れ。どうして今まで気づけなかったのだろう。


(魔法で隠蔽されてたね。もしかして、このマティアちゃんがやったのかな?)

(ええ、そうでしょうね。彼女はこういう幻術が得意ですから)


 この村の人々だろうか。服装は質素で、手には鎌や鍬のような農具を持っている。武器代わりにしては貧相だけれど、これだけ数が集まれば驚異にはなるかも知れない。


 この村の人たちに恨みはない。まったくない。今更人を殺すことに対して抵抗はないけれど、それでも、ミルイちゃんやカンタラさんの知り合いであろう彼らを殺すことには気が引けた。


 それに、マティアもいる。普通に戦うなら問題はないだろうけど、これだけの人数を、マティアの幻術に惑わされないように相手取るのは難しそうに感じる。


「り、リリン様は、や、優しいから……。えっと、こ、こんなに沢山の、関係ない人は、多分、えっと……、殺せないと、思う……。んですけど」


 少し前の私だったらそうかも知れない。でも、今はもう、関係ない。それを言う必要もない。


(ねえ、ベル。この包囲を抜け出せますか? できれば、ミルイたちの知り合いかもしれない人は殺したくないんですが)

(えー。面倒だなあ。まあ、リリンがどうしてもって言うなら良いけどさ。……だって、それって苦しめるのも駄目なんでしょ?)

(ええ。そうです)

(楽しくないのは嫌だなあ。この程度の有象無象が相手なら、リリンだけでも十分じゃない?)


 十分、なのだろうか。私には少し自信がないけれど、ベルが言うならそうなのかも知れない。


(もしかしてさ、リリンって虐められる方が好き?)

(……何を言ってるんですか)

(いや、だって、いっつもギリギリの時とか、苦しいときとかは覚悟決まってるのに、こういうヨユーあるとこではパッとしないじゃん)


 それは、そうかも知れない。例えば、もしも第四席のアンドレイと戦ったときのような覚悟が、この場で出来たら? 確かに、そうだったら余裕かもしれない。


(リリンはさ、まだまだ抜けてないんだよ)

(抜ける? 何がですか)

(……正義の味方気分が)


 どろり、と。真っ黒なものが私の奥底から湧き上がってくる。


(自分より弱いものを守るため。自分より強いものに歯向かうため。自分の限界を越えるため。……そんな『理由』を持たなければ本気で戦えないなんて言うのは、甘えだよ。たとえ自分より弱くても、吹けば飛ぶような奴らが相手でも、情け容赦無く、殺す。それがボクらの在り方じゃない?)


 ねっとりとした影が、つうと目の端からこぼれ、頬を伝う。抑えきれない影が、目から、口から、溢れてくる。


(ほら、思い出せ。君はもう、聖女なんかじゃない。アズヴァルちゃんの加護もなく、聖剣の力も引き出せず、聖人たちに命を狙われ、そして今、守るべきはずの民にさえ、殺意を向けられている)


 ――もう君は、魔王なんだよ。


 ベルの言葉は底冷えするように鋭くて、けれど、同じくらい暖かくて、魅力的だ。私は復讐すると決めた。私とマリナをこんな目に合わせた奴らを殺すと決めた。今まで信じていた全てに裏切られても、ベルだけは私を裏切らないのだろう。だって、そうなれば、ベルと私は同じものだ。


 ……でも、それでも、私はまだ、真に聖なるクロイライト。


 たとえ魔王がこの体に忍び込んだとしても、あの時の地獄は、人の血の味は、あれだけは私のものだ。あれだけは渡してなるものか。あの絶望が、この胸に彼女たちの悲鳴を響かせ続ける限り、私はクロイライトであり続けなければならない。


「ベル。調子に乗るな」


 自分でも、ゾッとするような声が出た。心臓が高鳴る。これは私のものだろうか。それとも、ベルのものだろうか。わからない。けれどどうでも良い。


「忘れないでください。私が、ベルを使うんです。ベルが私のものなんです。逆じゃない。大人しく私に従いなさい」


 正直、もう限界だった。大人しくベルの誘惑に負けて、もう全てを力でなぎ倒して、斬り伏せて、血の雨を降らせたい気分だった。でも、今はその時じゃない。そう思っていたのに。


 その時。人の一人が、言った。


「……おい、あの外套、カンタラのとこのじゃねえのか?」


 私の外套。カンタラさん、ミルイちゃんから譲られた外套。


 ざわめきが広がる。


「あの家には、魔女に助けられた娘がいる」

「魔王を匿ったのか」

「あそこん家の嫁は売女で、村長(むらおさ)に体を許してるらしい」

「カンタラは魔女の子を育てているって噂だ」

「魔女の家に入り浸っていた、あの呪われた娘の名前は何だ」


 確か。誰かが言う。


「――確か、ミルイと言ったか」


 駄目だ。


 ここにいる奴ら全員、殺さなきゃ。


「良いよリリン。任せてよ」


 体中に、心地よい全能感が満ちる。影。真っ黒なマナ。目から、真っ黒な涙がこぼれ落ちる。足元から、真っ暗な『玩具箱』が広がっていく。


 ボクはそういうの、得意だから。


 足元の影から、黒い腕が並のように湧き出る。それは村人たちに向かって掴みかかる。無数の腕。それは掴んだ人から順に、ペラペラの薄い紙に折りたたんでいく。


 助けてくれ、殺さないでくれ、やめてくれ、許してくれ。


 色々聞こえるし、堪能したいところだけど、そうも行かない。リリンの望みはミルイちゃんに危害が及ぶのを防ぐこと。そのためには、リリンとミルイの関わりを知ってしまった、この場の全員を殺したり廃人にしたりする必要がある。


 効率優先で紙細工にしているけど、こんな平凡な味の紙細工(カルトナージュ)はボクの玩具箱にはふさわしくない。だからそのまま燃やして、塵になってもらおう。生きたまま燃やされるようなものだけど、人間の体より紙のほうが燃える時間は短いし、きっと苦しむ時間は短くなるだろう。リリンはそっちを望むはずだ。


 紙細工にされた人たちが、自分の持っていた松明で燃えていく。逃げようとしたものは、影から伸びた黒い腕に掴まれて、紙細工にされていく。命乞いをしたものも、許しを請うたものも、ただ叫ぶだけのものも、泣くものも、全員等しく、燃えていく。


 ゆっくりと歩く。紙にした人を燃やすのは、あまり趣味じゃない。だって、じっくりと恐怖や絶望を感じてもらえないから。でも、この紙が燃えていく臭いは好きだ。なんだかお祭りみたいで、ちょっと楽しくなる。燃える炎も綺麗で、そこも良いところだ。


 そうやって歩いていけば、そこにはたわわな乳があった。


 いや、乳は付随品で、人だ。人がいる。黒い髪の、背の高い女。腰を抜かして、その目には涙が溢れている。よく見ると下半身に濡れたような染みができている。


「十二席のマティアちゃんだっけ? 怖くてお漏らししちゃうなんて、可愛いとこあるじゃん」

「や、やだ。やだやだやだ。こ、殺さないでください。わ、私、み、見ての通り、な、何もできないんです」

「ウソつけ。幻術使いこなしてたじゃんか。ボクを騙そうったってそうは行かないんだけど?」

「ごごご、ご、ごめんなさい! ごめんなさい! 許してください! 騙そうとなんて、し、してないです! 許してください、殺さないでください! 何でもします!」

「え? 何でも?」


 ボクは固まってしまった。目の前には腰を抜かして動けない、背が高くて何より胸の大きい女。そして、ボクは史上最悪で最強で、イチバン美しくてカッコいい魔王。もはや選択肢は一つしか無い。


「じゃあ、おっぱい揉ませてよ」

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