魔女
ナーヤは素敵な人だったけれど、たまに、どこか遠くを見つめていた。
焦点の定まらない目。物知りで、優しくて、賢かったけれど、その時だけは、まるで別人のようだった。だから、たしかに魔女と言われれば、そうかも知れないと思わせる雰囲気はあった。
歳を重ねたシワだらけの顔だけれど、背筋はシャンとして、どこか凛々しい。どこか上品で、おばあさんになる時は、こんな風に年をとりたいと思っていた。
ナーヤ婆は、異端審問官たちに魔女だと言われて死んだ。あんなに優しいナーヤが魔女だなんて、もし魔女だったとしても、きっと良い魔女に違いなくて、なんで、死ななくてはいけなかったんだろう。
ナーヤは、磔にされた。村のみんなが石を投げていた。おかしいと思った。皆だって、ナーヤに助けてもらったことがあったはずなのに。
石を、握らされた。
「ミルイ、どうして石を投げないの?」
◆
飛び起きた。
冷や汗だらけで、心臓がばくばくしていた。嫌な夢を見ていた気がする。周りを見る。お母さんとタンタ兄さんが居ない。ミナイもだ。お父さんはぐっすり寝ていて、そうだ。今日はお父さんしか居ないんだ。いや、違う。リリンさんもいる。
リリンさんの布団が空になっていた。
「……リリンさん?」
外から、悲鳴が聞こえた事に気がついた。男の人の声だ。沢山の声。明かり。火の色だ。恐る恐る外を覗く。
思わず、口元を抑えた。そこは地獄だった。鎧を着た兵士たちの死体がそこら中に転がっている。その中央に立っているのは、一人の美しい少女だった。
白雪のような銀の髪と、水面のように透き通った翡翠色の瞳。透き通る硝子細工のような美貌。風のようにしなやかな肢体。
一振りの、鏡のように磨き上げられた剣を持って、そこに立っていた。
「リリンさん?」
血まみれだった。ここで初めて理解した。リリンさんは全然怪我なんか負っていなかったのに、どうして服があんなに血で汚れていたのか。
あれは、怪我をしたんじゃない。返り血だったんだ。全部、こんな風に殺された人たちの返り血だったんだ。
リリンさんが、ゆっくりこちらを見る。笑っていた。出会ってから、一回もリリンさんが笑ったところを見なかった。鍋を囲んで、美味しいって言ってくれた時も、あんなふうには笑わなかった。
「ちょっと、この程度なの? 異端審問官って。もうちょっと楽しくやろうよ。人生は一度っきりなんだからさ」
何か鼻歌を歌っている。聞いたことがあった。ナーヤが昔教えてくれた歌だ。ずっと大昔のロランド聖王国の歌。魔王が子供をさらっていく、不吉な歌。
思わず、膝が笑って、その場に腰を落としてしまった。
でも、リリンさんが見たのは私ではなかったらしい。その場に尻もちをついている、一人の異端審問官を見たようだった。
「異端は殺すんだっけ? なんで殺すの?」
「神の敵だからだ!」
「どうして、神の敵を殺すの? ね? 同じだよ。君はボクを殺したかったし、ボクは死にたくなかった」
「違う! 悪魔は、魔物は、魔女は! 死ななくてはならない!」
「話通じないなあ……」
リリンさんが剣を振り下ろせば、それは正確に審問官の腕を切り落とした。血が吹き出す。真っ赤な血。
「ねえ、教えてよ。第十二席? の神託の話」
「痛い! 痛い痛い痛い!」
「話聞いてよ。ねえ、どうして此処にボクが居るって分かったの?」
「痛い痛い痛い!」
「もしかして、もっと切り落とさないと足りないの?」
そう言って、リリンさんはもう一度剣を振る。もう片方の腕も切り落とされた。思わず目をそむけたくなったけど、出来なかった。三日月みたいににっこり笑った、血まみれのリリンさん。私の目は釘付けになっていた。
とっても綺麗だった。
「痛い痛い痛い! 助けて! もう助けて!」
「答えてよ。次は足だよ?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
使えな、とリリンさんが呟く。真っ黒な腕が審問官を包み込んで、影に吸い込まれていった。ひと目で分かる。あれは「あってはいけないもの」だ。あんな悍ましくて、美しいものが、この世にあってはならない。
「ちぇ、下っ端じゃん。全然何も教えられてないんだ」
リリンさんが辺りを舐めるように見渡す。
「ねえ。知ってる人いるでしょ? 一番偉い人は誰? 教えてよ。君たちが怖いから、ボクらもちょっと逃げなきゃいけないんだよね。ほら、人間は『きょうかん』して、助け合う生き物なんでしょ? リリンが教えてくれたんだ」
周りの異端審問官たちは、誰も動けなかった。死んでいるものは勿論、生きている人たちは、恐怖で。
どうしてだろう。
あの時、あんなに怖かった異端審問官たち。どう考えても魔女なんかじゃないナーヤは、あんなに苦しんで死ななくてはならなかったのに。どう見ても異端で、どう見ても邪悪で、どう見ても居てはいけないリリンさんは、こうして楽しそうに、美しく、絶対的に君臨している。
一人の審問官が、小さく吐き出した。
「……魔王」
そっか。
今まで、ずっと分からなかったことが、分かった。
どうして、私はこんな田舎に生まれて、死んでいくんだろう。どうして、タンタ兄さんは好きな人と結婚できないんだろう。どうして、この村の男の子と結婚しなきゃいけないんだろう。どうして私は王都に行ってはいけないんだろう。どうして私はお花屋さんになれないんだろう。どうしてお母さんとお父さんはナーヤを庇わなかったんだろう。どうしてナーヤは死んだんだろう。
力が、無かった。
力があれば、そんなことは何一つとして起こらなかった! 自分のためだけに生きていけた! 私には力がなくて、だから何も出来ない。ナーヤも死んだ。石も投げなければならなかった。
涙がこぼれた。
「嫌だよ……」
嫌だ。こんなところで生まれて、何も知らないまま、何も出来ないまま、ただ当たり前に生きて、当たり前に死ぬなんて。
リリンさんは、何かに気付いたように歩を進める。一人の審問官の前にしゃがみ込む。
「ねえ、君は知ってる人?」
「知らない! 俺は何も知らない!」
リリンさんはムッした表情になる。
「嘘は良くないよ。だって君だけ鎧が違うじゃん。偉い人なんでしょ? それとも君も、紙細工が良い?」
「魔女が! 魔女が居るんだ! この村には魔女がいる! 十二席の神託は絶対だ! でも、魔女は殺した。殺したはずなのに、十二席はまだ魔女がいるって言うんだ。おかしいじゃないか! そして次の神託は魔王だ。だから、だからもう、ここしか無かった。村で一番悪いマナが溜まってるのは、ここだったから!」
「悪いマナ……?」
リリンさんは少し首をかしげる。その仕草に少しドキリとした。
「まあ良いか。うん。ありがと。もう良いよ」
そう言って、リリンさんは審問官の首を切り落とした。驚くほど鮮やかな動き。すっと赤い線が入って、首が綺麗に落ちる。
リリンの目が少し遠くなった。あ、見たことがある。誰かと話しているみたいな、あの目だ。
「……え? 意外? なんで? そうかな。そうかも。昔はもっとじっくりねっとり虐めるのが好きだったんだけど、最近あんまりコーフンできなくなっちゃったんだよね。なんでだろ。リリンとお話してるほうが楽しいからかなあ」
なんだろう。リリンさんは、誰と話しているんだろう。リリン? それはリリンさんとは別の人の話なのだろうか。それとも、今のリリンさんが、リリンさんでは無いのだろうか。
リリンさんは、鼻歌を歌いながら、審問官たちの首を切り落とし始めた。逃げようとする審問官は、足を真っ黒な腕に掴まれて、そのまま首を落とされた。勇気を振り絞って立ち上がった審問官も、何かをする前に首を落とされた。
最初は吐き気を感じたあの血まみれの景色が、なんだか今は、全然怖くなかった。
それどころか、何か清々しい気持ちだった。
「力があれば、良かったんだ」
力があれば。ナーヤは死ななかった。私は王都に行けた。お花屋さんになれた。
その時だった。なにか首筋に冷たいものが走って、思わず振り向く。誰もいない。なのに、確信があった。誰かがいる。
耳元で、声がした。
「そんなに力がほしい?」




