魔女が死んだところ
更新遅れて申し訳ありません。
夜も更けてきた頃、ふと、気配を感じて目を開く。
上体を起こせば、小屋の隙間からはほんのりと明かりが覗いている。待て、おかしい。明かり? 今日は新月だ。どうして外から光が見えている?
静かに体を起こし、寝る前に脱いだ外套を羽織る。少しずつ体を動かし、隙間から外を覗く。
松明の火だ。家を取り囲むようにそれが並んでいる。人だ。人が小屋を囲んでいる。だが、どうして。よく目を凝らせば、彼らが着ているのは鋼鉄の鎧。その胸にぶら下げたロザリオには見覚えがある。鉛のロザリオ。
異端審問官だ。
心臓の鼓動が早くなる。なぜ。どうして。確かに私が第四席のアンドレイを殺してから、かなりの日数が経っている。だけど、この南アンザスの僻地だ。コントラット大森林のアンドレイ率いる異端審問官たちの亡骸を見つけたとして、そこから情報をここまで伝えるのには時間がかかる。だというのに、王都の異端審問官がどうして。
そう言えば、第十一席のシモンが言っていた。第十二席と共にアンザスの魔物たちを鎮圧しに来ていたのだと。だとしたら、この審問官たちはその部隊だろうか。
では、なぜ。
思い出せ。何か情報はなかったか。
(そういえばさ)
と、私の中のボクが思い出したように言う。
(そう言えば、そこのミルイちゃんが言ってたよね。……ナーヤ婆、だっけ?)
確かに。言っていた。そのナーヤなる人物が死んだ、と。薬草に強く、賢い人物。まさか。ミルイの話では、その女性は信仰に篤い人だったはずだ。
(信仰とか関係ないんだ。ボクだってアンドレイの頭の中を覗いたから分かるよ。異端審問官が殺しているのは、異端だけじゃない。たとえば、政治的に邪魔な人物とか……)
そのナーヤという人物に、ミルイは命を助けられたと言っていた。そのナーヤが異端審問官に殺された? だとして、ミルイが異端審問官に狙われているという可能性?
思考が飛躍しすぎだ。もしも私の身柄や聖剣を狙って行動しているとしたら、私は今すぐここから逃げるべきだ。けれど、もしもそうでなかったとしたら?
(リリンたら、まあた余計なこと考えてるね)
(余計なこと?)
(そうさ。余計なこと。もしリリンを狙っているなら逃げるべき。もしミルイを狙ってるんだとしても、リリンには関係のないことだから逃げるべき。そうでしょ?)
それは、そうなのかも知れない。もはや私は聖女などではなく、ただの逃亡者だ。家族も、友達も、何もかも失ってまで、どうしてまるで聖女のように振る舞う必要があるのだろう。
本当に、そうだろうか?
まだ脳裏には、あの日の景色がこびりついている。狂気に満ちた飢餓も、飢えに苦しむ彼女たちも、人の血の色も、肉の味も、全て。全て覚えている。
あの場に居た誰もが信じていた。自分が聖女になる未来を。奪われ続ける立場からの開放を。もう何も奪われたくなかった。そのために戦い続けた。
「ベルは嫌がるだろうけど、私はやっぱり、行くよ」
(それはどうして?)
「私は、本物ではないからこそ、たとえ資格を失ったとしても、真に聖なるクロイライトのまま。私は無数の命の上に立って、ここにいるんです」
息を吐いて。小屋の扉を開く。音はあまり立てないように。できれば、ミルイとカンタラを起こしたくなかった。
全ての視線がこちらを向く。
殺意。弓矢だろうか。つぶさに感じられる。
(安心しなよ。いざとなったらボクが全員殺したげるからさ)
(意外でした。ベルはてっきり反対するかと)
(うーん。いや、最近はなんか、なんでだろう? ボク、リリンの言う事なら聞けるんだ。リリンの見るものって、全部新しくて、ボクの知らないものだから。……いや、そうなのかな? なんでだろう)
締まらない。けれど、ベルが後詰めなら特に問題はないだろう。
「私は、真に聖なるクロイライト。聖女リリン・アズ・クロイライト」
動揺が見られた。私は首の銀のロザリオを示す。
「この家の者たちに助けられました。あなた方は何故ここに?」
もしここで、彼らが私を狙っていたのだとすれば、すぐにでも矢が射掛けられるだろう。だが、審問官たちの間に広がるのは動揺だった。
一人の男が前に出る。おそらく、この部隊の長なのだろう。
「実は、我々は十二席より命令を受け、ここに配置されたのです」
「……十二席?」
「ええ。曰く、神託が下ったと。魔女の死んだ土地に、魔王が現れる、と」
第十二席。『神託』のマティア・コルン。予言魔術の使い手。だとしたら、まずい。彼女の『神託』は、その仕組み上絶対に外れることがない。
彼らは、『魔王』について何処まで知っている? 探りを入れる必要がある。
「魔王、とは?」
「その意味はわかりません。ですが、コントラット大森林のマナが乱れたと聞きました。であれば、大魔王、ベルナドット・カルトナージュを指し示しているものかと」
「それが、ここに?」
「ええ。ご存知か知りませんが、その家の者たちは、重罪人であった魔女ナーヤと繋がっていた危険人物です。……その家の中を探っても?」
心臓が高鳴る。
「……この中には、一人の父と、その娘がいるだけです。二人は、私を助けてくださいました。魔王だとは思えません」
「ですが、聖女様もご存知でしょう。第十二席の神託に外れはない。だとすれば、その二人のどちらかが魔王だ」
冷や汗が流れる。もし、私が今、言い逃れたとして。異端審問官のやり口はよく知っている。だとしたら、拷問にかけられるのはあの二人だ。
そんなことは耐えきれない。
けれど、もしここで私が魔王を復活させたことが分かったとして……。分かったとして。何?
思わず、笑みがこぼれた。力が抜けたのかも知れない。もしそうなっても、ベルが居る。結局それだけの話だ。きっと、この先何が起こっても変わらない。ベルがいる限り、私は死なないのだろう。だから、これは選択の話。
二人が拷問されるのか、それとも、ここに居る沢山の異端審問官たちが死ぬのか。
だったら、簡単だ。これは選択の話だ。私は聖女としてではなく、真に聖なるクロイライトとして。いいや、それすら違う。
私として。
正しい方を選び続ける。それが私の責務だ。
「あなたは、魔王は誰だと思いますか?」
「聖女様? ……質問の意図が分かりかねます」
「……こういう意味ですよ」
胸の奥がつかえるような感覚。どす黒いマナが私の奥底から吹き上がる。吐き気。口から溢れたのは胃の中身ではなく、真っ黒な液体。目から涙のように影のマナが溢れてくる。
湧き出る。力。根源的で、暴力的で。何より、美しい力。
もう、何一つ奪われたくはない。
だって、ボクは奪うことが大好きで、奪われることが大嫌いな。
「――魔王、ベルナドット・ザス・カルトナージュ」
足元に、真っ黒な『玩具箱』が、水溜りのように広がっていく。
「それは、ボクだ」




