鍋を囲む
南アンザスの肥沃な大地は、ロランド聖王国の食料庫だ。
先のロランド聖王が大規模な農地改革をして以降、地主という概念はなくなり、皆が等しく自分の畑を持ち、その畑で麦を育てる。ロランド聖王はこれを「民のため」としたが、地主と呼ばれる一部の層に土地と金が集まることを危惧してのこと、というのが貴族たちの見解だった。
地平線に見えるアンザス山脈の麓まで広がる小麦畑。あの巨大な山嶺がロランド聖王国とゼースヘッテン帝国の国境だ。東アンザスには辺境伯が治めるカーツマイン城もあり、地政学的にも重要な土地らしい。
ともあれ、順当に街道を行くならカーツマイン城とその関を通らなくてはいけないが、わざわざ南アンザスを目指したのは、あの山脈を超えて国境を超えるためだ。
季節的にまだ雪は無い。山を超えるのは大変だが、足取りを追われる危険に比べればずっと良い。
のどかな田園風景。遠くまでまだ青い小麦が広がっている。道は乾いていて、砂埃が少し鼻をくすぐる。
私の前を歩くのは、まだ年若い少女。名前をミルイと名乗っていた。おそらく、この辺りの村の娘なのだろう。困っている旅人が居たら助けなさい、というのはアズヴァル聖教の教えだが、どうやらそれをナーヤ婆という人物から言われていたらしい。
「我が家にはなにもないけど、多分、村の人たちはきっと良くしてくれるよ」
と言うミルイに釣れられて、茅葺きの家に案内された。室内に入ると少し涼しい。明かりはなく、昼だと言うのに少し薄暗い。
「リリンさん、疲れてるでしょう? 一回ちゃんとしたところで休んだほうが良いよ。……あ、でも、リリンさんみたいな高貴な人は、藁の上では寝ないんだよね?」
「いえ。大丈夫ですよ。外よりずっと良い。私はとても助かりますが……。ご両親は?」
「二人とも畑仕事だよ。大丈夫。人助けだって言ったら怒ったりしないよ」
少し考えて、疲れが勝った。そもそも、もし金銭や人身売買を考えているようなら、一度湖畔の花畑で眠ってしまったときに毟り取られていてもおかしくない。このミルイという少女は、本当にただの良い子なんだろう。
そもそも、山を超える前にはしっかりと食料を用意しないといけない。幸い、農村であれば食べ物はたくさんあるだろう。帝国で聖王国の銀貨を使う機会もないだろうから、起きたら相場より高く、ありったけの食べ物を買わせてもらおう。
「ごめんなさい。本当に疲れていて。眠らせてください」
「うん! 大丈夫だよ! ミルイが見てるから、安心して寝てね!」
「ありがとうございます。……おやすみ……なさい」
◆
目が覚める。外は真っ赤だった。日が暮れている。
思わず飛び起きる。ミルイだろうか。目の荒い麻の布がかけられている。いつの間にか服が変わっていて、麻の質素な服になっていた。周りを見渡すと、小物入れやロザリオはまとめて枕元においてある。服の他に無くなっているものはない。
するとちょうど、外から誰かが来た。ミルイだった。
「あ! リリンさん! 起きたんだ!」
「ごめんなさい。今は……?」
「大丈夫だよ。日が暮れただけ。服が汚れてたから、勝手に洗濯しちゃった。今日は天気がいいからすぐに乾いたよ!」
そう言ってミルイは綺麗になった修道服を籠に入れてもってきた」
「すごい血まみれで……全然汚れ落ちないから大変だったよ。高そうな布だから、あんまりごしごししても良くないなあ、って思って……。ほつれとか穴とかは直せないし……。汚れも酷いのは落ちなかったけど、結構キレイになったでしょ!」
「……ありがとうございます」
「血まみれになるくらいの酷い目に合ったの? でも、リリンさんの体には全然傷跡がなかったから、安心した」
そう言われて、咄嗟に麻の服の中の、自分の体を覗き込む。シモンに刺されたはずの胸の傷は無くなっていた。
あ、そうだ。とミルイは声を上げる。
「やっぱり穴だらけの服をずっと着るのも大変だと思うし……。ちょっと待ってて」
と、部屋の隅のシェルフを開ける。その上の方から、何やら大事そうな箱を取り出す。中に入っていたのは、深い紺色の外套だった。
「これ、昔助けた商人さんにお礼でもらったの。だけど誰も使わないし……。雨を弾く魔法がかけられた外套なんだって! でも、私たちが雨で外に出るときって、畑仕事だから汚れちゃうでしょ? だから誰も着ないし……」
「駄目ですよ。そんな。受け取れません」
「貸すだけだし! 宝の持ち腐れって言うでしょ」
ほら、と押し付けられて、私はその外套を受け取ってしまった
「リリンさんみたいな美人さんが、みすぼらしい服着てるのも勿体ないよ。ね?」
「……わかりました」
それで結局、洗ってもらった修道服を着て、その上から外套を羽織る。そうしているうちに夕焼けはさらに濃くなった。少し待つと、一人の男がやってきた。
「ただいま……。おや? こちらの別嬪さんは?」
無骨そうな男。体は大きくはないが、農作業で鍛えられた細くとも頑丈な体つきの男だ。
「おかえり、お父さん! リリンさんって言うの! 旅のシスターさん。ご飯がなくてお腹ペコペコで、ずっと魔物から逃げてきたんだって!」
「娘さんに助けていただきました。リリンと申します」
「これはこれは! ご丁寧に。俺あミルイの父で、カンタラと申します。王都のシスターさんなんかにゃあ貧乏臭すぎて居心地悪いかも知れませんが、どうぞくつろいでいってくださいな」
「お父さん、お母さんとタンタ兄ちゃんとミナイは?」
「村長さんとこだ。ほら、村長さんとこのお嬢さまとタンタが結婚するって言い出したろう。けど、うちの息子はみんな出稼ぎに行っちまったから、タンタに婿に行かれちゃ困るってんで、ちょっと話し合ってきたのよ。……俺が怒っちまったから、母さんとミナイが、代わりに村長さんのご機嫌とりって寸法だ」
どうやら、この家にも複雑な事情があるらしい。
「……今頃、向こうでメシでも食ってんじゃないかね」
「え~、私もそっちが良かったなあ」
「それは悪かった。母さんとミナイがたまたま一緒だったから……。けど、お客さんが要るってんならそっちが優先だ。貧乏くじ引かせちまったミルイのためにウサギの肉を貰ってきたんだ。二人じゃちょっと多いくらいだと思ってたんだが、丁度いい。今日は贅沢しよう」
「やったー!」
◆
いい香りがする。
山菜とウサギ肉を炊いた香り。香草だろうか。生臭さはなく、美味しそうだ。
「醤と申す調味料を使ってて……。お口に合わなかったら申し訳ありませんが。どうぞ」
そう言ってカンタラは汁を器によそった。
「いえ、とんでもない。とても美味しそうです」
ウサギ肉は、きっと殺してすぐに血を抜いたのだろう。生臭さはなく、むしろ肉の出汁のいい香りがする。山菜やきのこと相まって、なんとも美味しそうな香り。醤という調味料だろうか。香ばしさが鼻になんとも心地よい。
何より、お腹が空いていた。もう数日間何も食べていない。
思わず、お腹が鳴った。
「……お恥ずかしい」
「いえいえ。どうぞ。ご遠慮なさらず」
「そうだよリリンさん! お腹空いてるでしょう?」
では、遠慮なく。いつもならアズヴァル神への聖句を唱えるところだが、今はもう加護を失った身。とは言え、この家族は私を神官だと思っているのだから、あまり違和感を持たせても良くないだろう。
「アズヴァルと、天と地、七つの巫女と十一の実りに感謝を。その恵みと命をいただきます」
手で印を結ぶ。
では。
匙でウサギ肉と汁を救い、口に運ぶ。湯気がこそばゆい。何度か息を吹きかけ、暑さを冷ます。口に入れると、まずはその熱さ。思わず口を「ほっほ」と口をすぼめる。じんわりと優しい味だ。醤の塩気なのだろう。香ばしさと、きのこと、それから肉の旨味が口いっぱいに広がる。
肉を噛み切る。脂が乗っていて、噛むたびに旨味が染み渡る。プリプリとした肉の歯ごたえが、なんとも楽しい。
飲み込めば、また旨味が後味になってじんわりと残る。うさぎの油だろうか。
「……美味しいです」
久しぶりに、まともなものを食べた。ミルイが居なければ泣いていたかも知れない。
「本当に、美味しい」
「はは。それは良かった。冥利に尽きます」
カンタラは柔和な笑みを浮かべた。




