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第十一席

 私の前に、空から降ってきたのは、十二聖人。その第十一席。


 シモン・ジン。


 痩せぎすの体に、鋭く、細い目つき。不思議と殺意はなく、まるで風の下の柳のように凪いだ男。青い修道服はボロボロで、あちこちが当て布で繕われている。


「いや、お見苦しいところを。一撃で仕留められず、斯様なことに。……さて」


 カランコロン、と履物がなる。下駄という東方の履物らしい。そこで私は違和感に気づきます。


「……シモン。あなたの、その両手両足の包帯は?」

「おや、お気づきですか。少し第八席といざこざがありまして。爪を全て剥がされてしまったんでございます」


 それはまるで、拷問だ。だが、確かに彼女なら、そのくらいのことは平気でするだろう。


「その怪我で、魔物たちの鎮圧を?」

「ええ。骨が折れござんした。……あっしの他に十二席も居たのですがね。残りは彼女に任せ、あっしは此奴を追ってきた次第。さて、かく言う聖女様は南へ向かう旅程と言ったところでしょうか」

「だったら、どうしますか?」

「いえ。いえいえいえ。あっしの腕で聖女様と、あるいは魔王ベルナドット様と切り結ぼうなどと、そんなことはとてもとても。……それこそ、第八席の役目でございましょう」


 だが、と。シモンは血振りした刀を、八相……、顔の横で縦に構える。


「だが、みすみす国境の外に逃がしたと会っては、このあっしの信用にも関わりやしょう。……へへ、なんと申しますか、これも武人の性ですか」


 シモンに合わせ、私も手を開き、奪い返した鏡面湖畔を手元に呼び寄せる。磨き上げられ、世界を写すまどろみと停滞の聖剣。


「あっしも、いずれ一遍、ヤッてみたいと思ってたんでございます」


 シモンの細い眼光が、鋭く開く。


「列聖委員会、第十一席。シモン・ジン。――参りやす」


 とん。と、軽い音。気づけばシモンの体は視界に無い。ほとんど勘だけで聖剣を左下に構えれば、低い位置からの切り上げが、ちょうど聖剣の腹に当たって弾かれる。


 全く見えなかった。この速さ。速さにも種類がある。純粋な走破力、駆け足の速さ。踏み込みの速さ。振りの速さ。読みの速さ。瞬発力。敏捷性。あるいは、相手の視界をコントロールする機敏さ。


 だが、そのどれをとったとしても、間違いなく十二聖人で一番速いのは、この男だ。


「ハハァ、絶対に見えてないと思ったんですが、流石でございやす」


 応えない。彼と応答などしていたら、その隙を確実に取られる。確信があった。その間にもシモンの姿が視界から消え、すぐさま別の角度から切り込まれる。精神を研ぎ澄ます。シモンの動きを眼で捉えることは難しい。切り結んだ瞬間、あるいは躱した瞬間のわずかな動きから、次の攻撃を予測し、タイミングを合わせ、間合いを感じ、受ける。いなす。躱す。


 確かに速いが、それだけだ。だが、それだけが強い。速さはそのまま威力。速さはそのまま手数。速さはそのまま読み合いの優位を生み、必然的に敵を後手に回らせる。とかく、「時間稼ぎ」においてシモン・ジンの右に出る者はいない。


 少しでも判断を間違えば致命傷を負う、という心理的負荷は、いずれ私の動きを狂わせる。だから、その前に決着を付けなければ。


 だが、焦りすぎてもいけない。焦り、読みを外したなら、それはシモンの思うつぼだ。


「どうなされました聖女様! 先程から防戦一方! それとも、遠慮しておいでか。あっしら相手では本気を出せぬと? どうなされましたか! 剣一つで万の魔物を血祭りにあげた腕、この程度ではありますまい!」


 事実、この程度ではない。だが、リリンの体に巡っていた聖アズヴァル神の加護は、ベルが体に入ってきたときに失われた。本物の聖剣に選ばれた聖女であれば違ったのかも知れないが、所詮私はまがい物の聖女。聖剣の真の力すら開放できない今、私は聖女と言うより、少し剣の腕の立つ女の子でしか無い。


(だから、ボクがいるんじゃないか)


 私の中の、もうひとりの私が語りかける。


(アズヴァルちゃんがくれるお守りみたいなもんじゃないよ。ボクの力は、もっともっと根源的な力だ)


 確かにそうだろう。だが、まだベルは私の体に慣れていない。この間だってそうだ。彼女に私の体を貸した時、その動きはぎこちなかった。あんな動きをシモンの前で見せたら、その瞬間に切り捨てられる。


(あれは悪かったって。もっとリリンの体なんか簡単に動かせると思ってたんだよ。でもさ、あれからずっと、リリンの心と一つになって、もっとリリンと繋がれたんだよ。今は違うよ。ボクの力の全てを使える! もちろん、リリンの体を全部くれたらだけど)


「違います!」


 私は、シモンの攻撃を躱しながら、ベルの言葉を否定する。


「私をベルにあげるんじゃない。私がベルを貰うんです!」

「――良いよ。リリンになら、貰われてあげる!」


 瞬間。私の奥から、私の知らないくらいずっと奥から、真っ黒なものが溢れ出す。影のマナ。史上最悪で最強で、イチバン美しくてカッコいい魔王。ベルナドット・ザス・カルトナージュ。


 だけど、飲まれない。飲まれたりしない。私の体は絶対にベルには渡さない。私が、ベルの意識を貰うんだから。


 力。力だ。アズヴァルの加護みたいな、生易しいものじゃない。もっと直接的で、根源的な力。体は軽くなり、視界は開け、見えないものが見える。眼から流れるのは影のマナ。すこし泣いているみたいでみっともないかも、とも思ったけど。関係ない。


 ボク(・・)はそんなこと気にしない。


 見える。速かったシモンの攻撃も、まるで速く感じない。全部見える。少し体を傾ければ、最初から決まっていたみたいにシモンの刀は空振られた。


 なんだ、少しはやるかと思ってたけど。まったくもって、つまらない。何がつまらないって、両手両足の爪をはがされてもヘラヘラしてるのがつまらない。こういう手合は虐めても中々素敵な表情になってくれないんだもの。


 返す刃でシモンの刀の根本を狙う。厄介だから、まず武器を剥がす。大きな音がなるけど、シモンは刀を手放さなかった。けれど、緩む。そこで刀を絡め取るように剣を振る。だが、シモンはうまく力を抜いて、そのまま後ろに下がる。刀を落とすことはできなかった。


「逃さない!」


 ボクは『玩具箱』の影をシモンの足元に向かって伸ばす。影から伸びた腕がシモンの足を掴む。


「厄介な!」

「君みたいな人が苦しむところも見てみたいなあ!」

「――魔王!」

「リリンの体を傷つけようとしたの、許さないからね!」


 ボクはマナを活性化させる。リリンの足の筋力を無理やり底上げして、強引に前に跳ねる。もう良い。小細工は無しだ。まずはこの男の四肢を切り落として、何もできなくしてから虐め方を考えよう。


 聖剣。ボクが持てば、ただの綺麗な剣でしか無い。けれどこの上なく頑丈。だったら十分だ。


「二度と刀なんか握れない体にしてやる!」


 人間の武術は、人間が効率的に動くために作られ、人間が効率的に殺すために発展してきた。だけど、マナで無理やり体を動かせるボクにとって、武術は邪魔だ。体を動かすのは直線だけで良い。王者の戦いに小細工はいらない。


 ボクが振り抜いた剣は、そのままシモンの腕を切り落とした。シモンは防御を試みない。捨て身? それにしては様子がおかしい。だけれど、事実としてシモンは切り落とされたのとは逆の腕で、腰に佩いた短刀を抜きざまに振りリリンの心臓を貫ぬく。


 ボクの口から真っ黒な血が溢れる。だけど問題ない。リリンの体は少しずつ作り変えられている。リリンの体は、もうリリンだけのものじゃない。心臓の奥から溢れ出た影のマナが、短刀を外に追い出し、リリンの体を再生させる。リリンの傷跡は、すぐに真っ黒なマナで補修された。


「……まさかそこまで覚悟決まってるとは思わなかったなあ」


 ムカつく。なんだこいつ。捨て身の覚悟で? ボクに手を切り落とされたのに? ボクの心臓を、リリンの体を! 傷付けた!


「もうボク怒っちゃった。お前は苦しめて殺す」

「やってみるがよろしい」

「ムカつく。その態度」


 もうシモンは動けない。体中を真っ黒な腕で絡め取られて、自由を奪われている。たしかにボクも油断してたけど、もうどうでも良い。こいつを出来るだけ苦しめて殺す。でも、どうするのが良いだろうか。既に爪は全部剥がされている。皮を一枚ずつ剥ぐのが良いだろうか。


「……あっしを苦しめようなんて、無駄でござんすよ」

「いつまで余裕こいてられるかな?」

「無論、永遠に。あっし、それだけは得意でござんして」


 ムカついた。


「ねえシモン。知ってる? 南の国ではね。豚肉をまるごと串に挿してさ、焼きながら、外の皮から少しずつ剥いで食べるんだってさ」

「へえ。それで?」

「今から君をそうしてあげるよ」


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