天空からの使者
「マリナを、紙細工にしてください」
と、リリンは言った。
もうボクとリリンは繋がっているから、声を出さなくても気持ちは伝わる。
(え、嫌だけど)
「理由は聞かないんですね」
(意外なこと言うな、とは思ったけどね)
マリナの遺体は、バッサリ斬られて、失血して肌は真っ白になっている。痛みに耐える顔は、そのまま固まっている。
「なぜ駄目なんですか」
(言ったと思うけど、ボクの玩具箱に詰まってるのはただの紙細工じゃないの。感情のコレクション。恐怖、悲しみ、辛さ、苦しみ。そういう、ボクが見ていて楽しい感情が並んでいないと駄目なんだよ)
でもさ、とボクはマリナの遺体を見る。
(もう死んでるよ。完全に死んでる。死ぬと感情も亡くなっちゃうから。もし生きてたとしても、そんな、人生に満足しちゃったみたいな顔した子はちょっとなあ……)
「別に、あなたの玩具箱に入れてもらう必要はないんです。私が持っていたいから」
ふむ。人間らしい願いだ。ボクは欲しい物だけ持っていればいいけど、人間はきっと違うんだろう。「きょうかん」してしまった人のモノを身につける人たちを何人も見た。リリンもきっと、そうなんだ。
(まあ、そういうことなら仕方ないや。それに、人の体は役に立つときも来るかも知れないしね)
じゃあちょっと貸してね、とリリンの体を借りて、マリナの体に触れる。真っ黒な影のマナがマリナを包み込み、ソレを折りたたみ、一枚の栞に変えた。
「ほら、これなら持ち歩きやすいでしょ」
ありがとうございます。と、珍しくお礼を言ったリリン。それを大事そうに、手帳に挟む。
なんだか少し、モヤモヤした。
◆
第四席、アンドレイの頭の中にあったのは、あまりにも精緻で、あまりにも完成されたパズルのような計画だった。その全貌を覗く前に舌を噛み切られてしまったけれど、少なくとも、今僕らが警戒しなくてはならないことだけは分かる。追手だ。
アンドレイは、万が一に魔王と聖女が協力して、自分を打ち倒すという可能性も考慮していた。その時、ボクらを倒しに来るのは十二聖人の第八席、フォマ・キルシュヴァッサー。よく分からなかったけど、アンドレイに言わせれば、「十二聖人の中で唯一、魔王ベルナドット・ザス・カルトナージュと戦って、単身で勝利が可能」なのだという。
ボクに? 人間が? たった一人で? あざ笑いたくもなるけれど、例えばボクとリリンが正面から戦ったら結果はわからないし、事実、百年くらい前には当時の聖女に負けたわけだ。
手の内もわからないし、ボクはそのフォマという十二聖人から逃げる必要がある。
(ねえ、リリンはフォマって人知ってる?)
「ええ、もちろん。覚えていますよ」
そう言いながら、リリンは山道を進む。十二聖人とは言えど、彼らは逆に、武力でも権力でも大きな存在だから、国境を簡単に超えられないという弱点がある。十二聖人ほどの格ともなれば、それが他国に訪れただけで、そこには軍事的・外交的な意味が勝手に生まれてしまう。
だからこそ、ひとまず目指すべきはロランド聖王国からの脱出だ。さしものボクとリリンの最強コンビと言えど、残り十一人の聖人たちと正面から殺し合うのは無理がある。一度体制と準備を整え、計画を寝る必要がある。
そんなわけで、リリンは街道を外れた山道を進み、ひとまずはロランド聖王国の南端、南アンザスを目指していたのだった。
「フォマは」
と、梢をかき分けながらリリンは言う。
「フォマは、可愛い子ですよ。少しローブがブカブカで、本人もあまり頓着しないたちだから……せっかくの青服に着られてるみたない」
(へえ、可愛いんだ)
「ベルはそればっかりですね」
(可愛い子のほうが好きだよ。きれいな顔のほうが、歪んだときに嬉しい気持ちになるから)
はあ、とリリンはため息をつく。
「別に、そういう意味で可愛いといったわけじゃありません。……十二聖人に同世代が少なかったからか、すごく懐いてくれたように思ってたんですけど。違ったのかも知れませんね」
何処か、とらえどころのない子だった。と、リリンは言う。
「彼女さえ、私を殺すために、私を騙していた……」
(あんまり落ち込まないでよ。今のリリンにはボクがいるでしょ? ほら、ボクはいつだってリリンの味方だよ)
「それは心強いです」
そう言いながら、リリンの足は動き続ける。
(ねえリリン、そろそろご飯とか食べないの?)
「こんなに血まみれの修道服を着ていたら怪しまれてしまいます。いつ賞金をかけられてもおかしくないんですよ?」
(そっかー、街に寄るわけには行かないのかあ。じゃあ、その辺の生き物とって食べよう? お腹ペコペコだよ)
「……確かに、もう一日は歩いていますものね。次に水辺に寄ったら、魚でも釣りましょうか。時間はないかも知れませんが」
(やったー! ご飯だ!)
そうしてしばらく歩いていたボクらだったけれど、雲行きが怪しくなったのはその後だった。
(ねえ、リリン)
「なんですか、ベル」
(この足跡、生き物じゃない?)
ボクが見つけたのは、大きな足跡だった。歩幅は乱れていて、血の跡もある。手負いだ。簡単に仕留めれば、ご飯になるかも知れない。
「……見たことのない足跡ですね。手負いかも知れませんが、この大きさだと捌くのに時間がかかりそうです」
(良いんだよ、今お腹を満たせれば! 残しても、森の生き物たちが食べてくれるよ! リリンとボクなら、お魚を釣るより手軽でしょ?)
「確かに……、そうかも知れません。では、手短に行きましょうか」
そう言って、リリンは足跡を追った。結論から言えば、これが失敗だった。
◆
「……魔物だ」
魔物だった。見上げるほどの巨体。体中に傷を負っているが、その威圧感に一切の衰えはない。赤い目が揺らぐ。言うなれば、その姿は龍だった。四本の手足には鋭い鉤爪を光らせ、羽は体の一回り大きい。片方の羽は燃やされたのか、焦げ付いて、飛膜を失っていた。
「人か」
魔物はリリンに語りかけた。知性を持つ魔物。最近、明らかに頻度がおかしい。ボクみたいな知性を持つ、存在の強度が強い魔物はそう簡単には生まれない。だけど、この龍はかなり高度な知性を持っていて、人の言葉も操れる。ボクと同格ってことは流石に無いだろうけど、まだ力をすべて取り戻していないボクでは手こずるかも知れない。
「……ええ。人です。私はリリン」
「去れ。憎きアズヴァルの下僕。俺は怒っている」
手負いだからか、龍の言葉には警戒と怒りが込められていた。
(ベル、聞こえますか)
(ん? 聞こえるけど)
(あの傷跡、間違いありません。十二聖人の第十一席、シモンの武器に寄るものです。おそらく魔物の集団発生で生まれた個体でしょう。討伐隊から逃げてきたんだと思います)
大量発生。復活してから初めて知った概念だけど、リリンの話によれば、淀んだマナ溜まりが何かの拍子に命を得て、強力な魔物たちがたくさん生まれてくることがあるらしい。これの鎮圧も十二聖人と直下の異端審問官の仕事らしい。
つまり、この龍は生まれたての魔物で、そして、十二聖人に深手を負わされ、逃げてきたというわけだ。
「お前たちアズヴァルの下僕は、意味もなく俺たちを追い詰める。去れ」
「それは君が弱いからじゃないかな」
ボクは思わず喋ってしまった。
「……何者だ。貴様、アズヴァルの下僕ではないのか」
「残念だったね。アズヴァルちゃんはいつか虐めて泣かせてあげたいと思ってる間柄でね」
「貴様、そのヒトの中に入っているな。何者だ。名乗れ」
「ふーん、そんなデカイ態度とって良いの? 君から名乗るべきじゃない?」
(ちょっと、ベル! なんでそんな喧嘩腰なんですか!)
と、リリンが言うけど知ったことじゃない。何が「意味もなく俺たちを追い詰める」だ。ボクら魔物は勝手に生まれてくる。だからこそ、力が全てだ。追い詰められたなら、それは力がなかっただけの話だ。
「俺に名前はない。俺はまだ生まれたばかりだ」
「ふーん、そっか。名無しくん。ぼくの名前はベルナドット・ザス・カルトナージュ。生まれたばかりの君は知らないかも知れないね。でも、覚える必要はないよ。君は今、終わるから」
ボクは『玩具箱』を開く。黒い影の水たまりが、龍の足元まで広がる。
「どんな声で鳴くのかな? ボクのコレクションに加えてあげる」
名無しの龍は困惑しているようだった。広がる水たまり。伸びる腕。それは龍の足元を絡め取り、引きずり込む。その顔に困惑が浮かび、ソレはやがて恐怖に変わった。そして叫びに変わる。
「アハ、良い声出せるじゃん。良いよ。最高。そのまま紙細工に……」
その時だった。
「いいや、その必要はない」
声。ボクの声が遮られる。瞬間、空。
上空から、一本の線が降ってくる。光? いや、刀。
――違う。刀を持った、人だ。
一筋の光が閃いて、その槍は龍の脳天に突き立った。それはつまらなそうな表情を浮かべた、痩せこけた男だった。
龍の巨体は崩れ落ちる。男は刀を抜き、こちらを見る。青い修道服。長い髪。目は獰猛だが、驚くほど殺意を感じられない。不思議な男だった。
「お初にお目にかかる。魔王ベルナドット・ザス・カルトナージュ。……そして、お久しぶりです。聖女リリン・アズ・クロイライト」
ボクの代わりに、リリンが答えた。
「……第十一席」
それは、リリンが復讐すべき相手。
「シモン・ジン」




