眠り
「ベル。あなたの意識を、私が貰います」
やっとベルって呼んでくれたね。なんだか、体の奥が熱くなるような、不思議な感じがした。
「良いよ。ボクは奪われるのが嫌いで、奪うのが好き。だけどリリンなら良いや。あげちゃう。ボクの意識」
瞬間。リリンの意識の、硬い扉が一気に開いた。ボクの意識と、リリンの意識が混ざり合う。混ざり合うけど、決して同じにはならない。ただ、繋がった。完全に。ボクはリリンで、リリンはボク。
少し力を入れれば、精神に干渉する魔術は簡単に破壊できた。体に力が入る。リリンがボクを受け入れたから、少し力を抜けば、すぐに真っ黒な影のマナが溢れそうだ。
涙が流れていたはずだった。目の下を触れば、そこにはべっとりとした真っ黒の影のマナがついている。それを手で拭う。目の焦点が合わない。人間の体を動かすなんてひさしぶりだ。チューニングが合わないので、チャンネルを変える。目ではなく、マナの流れで視界を確保することにした。
体ももう少し人間らしく動かすつもりだったけど、どうしても人形遊びみたいな動きになってしまう。まあ、これはこれでいいや。リリンの体は頑丈だから、多少無理をしても動いてくれることだろう。もっと丁寧に戦うのは、体を慣らしてからでいい。十二聖人程度の三下相手なら、魔術だけでもどうにかなるわけだし。
思わず笑みが溢れる。
「ふふふ。これが夢にまで見たリリンの体!」
辺りを見渡す。首をぎこちなく回せば、しっかりと第四席のアンドレイが見える。
「光栄に思ってよ、アンドレイ。君はボクの復活してからはじめての遊び相手だ。特別に、丁寧に、丹念に、最後まで瑞々しい恐怖をたっぷり感じさせて、壊れたくても壊れられないように、じっくり、ゆっくり、苦しませてあげる」
マナを開く。周りのマナを吸い上げて、ボクのものに変える。そうすればそれは、真っ黒でねっとりした、とってもキレイな影のマナになる。吸い込んだそばから影のマナはボクの足元から溢れ出して、まるで、真っ黒な底の見えない水たまりみたいに、ボクの周りに広がっていく。
「ボクは魔王。ベルナドット・ザス・カルトナージュ。君ら、頭が高いぞ。控えろよ」
何をするでもない。影の水たまりから沢山の腕を伸ばす。それらは騎士たちの足を掴み、水たまりに引きずり込む。逃げるもの。もがくもの。仲間を助けようとするもの。
人はわからない。分からないから面白い。どう苦しめれば、どんな悲鳴が聞けるのか。どう痛めつければ、どんな風に命乞いをしてくれるのか。
騎士たちはやがてもがきだし、苦しみだす。一人だけ、立ち続けているのはアンドレイだ。さすが、十二聖人の一席を担うだけはある。
「ほら、虫さんが君たちの手から湧き出てくるよ。皮膚を食い破って、蛆虫が、百足が、寄生虫が、どんどん湧き出てくるね。怖いねえ」
「小細工を。俺は惑わされんぞ。……幻影魔術か」
「幻影? 違うよ。直接心に映してるんだ。だからそれは、本物。感じ方も、感触も、痛みも、全部本物。君は大丈夫でも、部下たちはどうかな? ――ほら、はやく君たちの腕を切り落とさないと、虫さんたちが君の心臓を食いつぶしに来ちゃうよ?」
騎士たちは鎧を脱ぎ捨て、狂ったように自分の腕を地面や岩、鎧に叩きつけていた。彼らは剣を持っていないから、切り落としたくてもそれができない。かわいそうに。
「正気を保て! それらはまやかしだ! お前らそれでも誇り高きアズヴァルの聖騎士か!」
自傷行為を始めた彼らは、気が狂ったようにしか見えないだろう。事実、私が気を狂わせているわけだが。
「さて、頼みの綱の騎士たちは使い物にならなくなっちゃったね。どうする?」
「精神への干渉……。なるほど、これが話に聞くベルナドットの魔術か。だが、まだ奪いたての聖女の体では、精度が低いと見える」
「アンドレイは心が丈夫だねえ。リリンほどじゃないだろうけど」
ボクはアンドレイに歩みを寄せる。
「ねえ、アンドレイは『きょうかん』って知ってる?」
「は……?」
アンドレイは銀の聖剣を構えたまま、立ち止まっている。必死だけど、震えているのは丸わかりだ。ああ、がっかり。多少はやるかと思っていたけど、その程度だ。なんの意味もない。ただボクに隠し通すためだけに冷静を装ってるだけ。見飽きた光景だ。
「アンドレイは『きょうかん』出来る人?」
「何を言ってやがる……」
「その剣。別に返せとは言わないけどさ。せっかく刃物があるんだし、騎士の皆の手を切り落としてあげたら?」
「馬鹿なことを……!」
「全然。彼らは今、自分の腕から生まれた虫が、自分の心臓を食い荒らそうと這い上がってくる光景を見てるんだ。可愛そうだよね。苦しそうだよね。だから、ちゃんとしっかり、手を切り落としてあげればさ、もう二度と戦えないけど、心が壊れちゃうことはなくなるよ」
「そんなことは、しない」
「そう? まあ確かに、部下の人数が……ええと、一人、二人、三人……。たしかに大変だ。じゃあこうしよう。君の右手で、君の左手を切り落としなよ。そしたら部下の皆、助けてあげるよ」
「ふん。交渉のやり方が間違ってる。俺がほしいのはこの聖剣と、そのロザリオだけ。俺は別に奴らの命は惜しくない。そして奴らも、自分たちの命を捨ててでも、アズヴァル聖教に誓いを立てた筋金入りの教信者だ」
アンドレイは、恐怖に歪んでいた口角を、無理やり引き上げた。
「俺もそうだ。命も、腕も、惜しくはない。だが、俺の腕は命乞いのために使う腕じゃない。異端を断罪するための腕だ!」
アンドレイは右手の聖剣を、ボクに向かって突き出す。だが、躱す。リリンの体には条件反射的に回避行動が組み込まれているようだった。
「魔王どころか、か弱い聖女の体すら斬り殺せないなんて、精進が足りないんじゃない?」
「あまり吠え面をかくなよ。魔王といえど、聖女の体をまだ使いこなせて無いことは分かっている。唯一の精神干渉は俺には効かない!」
アンドレイは何度も剣を振る。だけど、それはまるで鋭くない、素人の棒振りみたいな剣だった。
「もしかしてアンドレイ、君って剣を振るのが初めて?」
「……それがどうした」
「ハハハ、超面白い! それなのに、ボクとリリンに勝てると思ったの? ……いや、そうか。仕込みがあるんだ? そうでしょ?」
「……」
「そうなんだ。おかしいと思ってた。こんなに不利なのに、まるで勝てると思ってるような感じだし。……君はそこまで馬鹿じゃないし。それじゃあ、何か勝てるかもしれない仕掛けがあるんだ。ふうん、生意気だなあ。魔王に向かって隠しごとかあ」
「……それで? ソレが分かったところで、何が出来る? 俺が言うとでも?」
「いいや。でもボク、隠し事を覗いたりするの、得意だから」
ボクはゆっくりアンドレイに近づいて、その頬を支える。アンドレイは抵抗しようとするけど、無駄。ボクの足元から伸びる無数の真っ黒な腕がアンドレイの体を拘束する。
「大丈夫。痛くしないから。力を抜いてよ」
ボクの影から伸びる無数の触腕。そのうちの一本が、アンドレイの耳の穴に突き刺さる。それは耳の奥からアンドレイの脳に届いて、記憶をほじくり出す。
「ねえ、教えて? 一体どうするつもりだったの?」
「や、やめろ……。俺の頭を……」
「ここかな? それともここ?」
「やめろ……覗くな! 俺を覗くな! ……」
アンドレイは最後の力を振り絞ったのだろうか。自分の舌を噛み切ったらしい。急に黙ったこと思うと、口から真っ赤な血をぼたぼたと流し始めた。
「うわ、汚い。……そっか、死ねば頭の中を覗かれないって? その通りなんだけど、君には苦しんでもらわないと困るんだよなあ」
「はは、らまぁ見ろ……」
ざまあ見ろ、と言いたかったのだろうか。アンドレイの舌はもう回っていなかった。
「アンドレイ、一つ勘違いしてるんだよね。ボク、確かに記憶とか、意識とかの魔術が得意だけど、それって別に、イチバン得意なわけじゃないんだよね」
「……は?」
「だって、記憶を消したらさ、また最初っからできるじゃん? 何度でも瑞々しい反応を返してくれるじゃん? そういう趣味のために覚えたんだよね。……ほら、見てごらん?」
ボクはアンドレイの前に、一枚のキレイな装飾の紙細工を見せる。手のひらに乗るくらいの真っ白な箱。それはキレイな紙細工。その箱からは人の声が小さく聞こえ続けていて、それは苦しんでいるように聞こえた。
「なんだ、それは……」
「さっきまで、自分の腕を切り落とそうとして必死だった騎士のみんなだよ」
「は……?」
「君はボクとの会話で必死だったから気付いてなかったかもしれないけど、みんなもう、虫さんに心臓を食いつぶされて、おかしくなっちゃったんだよね」
アンドレイは、何を言っているんだ、という顔をしている。
「ねえ、気付いてないの? どうしてアンドレイは、まだ死ねてないんだと思う?」
ボクはアンドレイの足を示す。「見てご覧」その足は、まるで一枚の紙のように平たくなっていた。
「ボクはね、ベルナドット・ザス・『紙細工』。ほらね、こんなになっても、ペラペラになっても、君は意識があるし、生きているし、恐怖して、苦しんで、泣き叫ぶことが出来る。こうやって、人間を生きたまま紙工作の材料にするのが、ボクのイチバン得意なことなんだ」
アンドレイの体をどんどん折りたたむ。折りたたんで、切り刻んで、いっとうキレイな紙細工にしてあげよう。そうして、またボクのコレクションに加えよう。
「おやすみ、アンドレイ。一度畳まれたら、時間も状態も止まって、永遠にそのまま。意識だけがずっと残るの。こうするとね、イチバン辛くて、苦しい時の状態で、永遠にコレクションしておけるの。ボクの玩具箱には、今まで遊んできた人たちが、イチバン素敵な状態でコレクションされてるんだ。素敵でしょ?」
アンドレイはもう、喋らない。
出来上がったキレイな紙細工は、真っ黒の水たまりに投げ入れる。この水たまりは、カルトナージュの玩具箱。ボクが今までに作った、すべての作品が入った底なし沼。
「ねえ、リリン。こんな感じで良かった?」
リリンは答えない。
「あ、リリン、怒っちゃった? ごめん! 確かにアンドレイはもっと苦しめられたと思う! だけどさ、しょうがなかったんだよ。こいつ、急に舌を噛み切ったりするんだもん! 死なれたらほら、もう苦しめられないじゃん!」
「違います」
急にリリンが、体の主導権を握り返した。
「違うんです。……思い出して。私は別に、誰かを救いたかったわけじゃなくて……。奪われるのが嫌だった、それだけでした」
もう、戻れない。だけど、それでも。リリンは、真に聖なるリリン・アズ・クロイライト。
「奴らに、私とマリナにしたことのツケを払わせる。――ベル。私は十二聖人を、全員殺します」




