マリナ
昔のことを思い出していました。
母を失い、ビルを失い。私が連れて行かれたのは教会でした。教会に居たのはたくさんの女の子。そこで私は言われました。「この中で、真に聖なるクロイライトはただ一人」だから、そのために私は。
あの蠱毒の中で、私にとっての救いはマリナだけで、だからこそ。
「目を覚ませリリン!」
私を走馬灯から引きずり出したのは、私自身の声でした。いえ、魔王の声。
「なんで無抵抗なんだよ、このバカ!」
「……状況は?」
「リリンはあの第四席にぶん殴られたの! 人間の頭なんてちょっと揺らされたら簡単に逝っちゃうんだから、もっとしっかりしなよ!」
なるほど。私は攻撃をうけたんですね。急速に冷静になる思考を回転させます。私は馬車の外に吹き飛ばされているようです。辺りは荒れ果てた道。遮蔽物が殆どありませんから、逃げることは難しいでしょう。
まず状況。列聖委員会の第四席、アンドレイ・アルマニャックが私の殺害・ならびに銀のロザリオと銀の聖剣の回収を異端審問官に命令。目的は不明ですが、理由としては私が異端であること。魔王をその身に宿したこと。
魔王の消滅方法は不明。マリナを巻きみたくはありませんが、ここで私が無抵抗になれば、きっと魔王・ベルナドット・ザス・カルトナージュはマリナの体を次の依代にするでしょう。彼女の精神憑依は、私でさえギリギリ持ちこたえられた程度。マリナはきっと消えてしまう。
だとすれば、私の命を払うのは論外。
これは初めての経験です。私は今まで、自分の命を守りながら戦ったことがない。そのやり方もわかりません。私が知っているのは、私以外を守るための戦い方だけ。
第一、異端審問官たちを私が攻撃するわけにもいかない。
私が考えている間にも。第四席、アンドレイ・アルマニャックは馬車から私に向かって歩を進めます。
「なるほど、流石は聖女といったところだ。ガッツリ頭をかち割ってやったと思ったが、随分頑丈じゃねえか」
そう言って歩みを進めるアンドレイと私の間に、赤い人影が滑り込みます。マリナ。
「おやめください、第四席!」
「マリナ審問官、どけ。これは聖務である。列聖委員会に歯向かうつもりか?」
「違います! お姉さま、リリン様の意識は生きておいでです!」
「違うなあ、マリナ審問官。まだわからねえのか? 俺たち列聖委員会は銀の聖剣の役目を知って、聖女にそれを抜かせたって、お前、さっきその魔王本人から聞いてたじゃねえか」
アンドレイはそう言ってハンマーを構えたまま進みます。
「最初っから俺たちは聖剣が欲しかったの。でも魔王が復活したら問題だろ?」
「ではなぜ、命じたのです!?」
「は? おいおい、随分と甘ちゃんだなマリナ審問官。魔王が復活することそのものじゃなく、責任取るのは誰だって話よ」
「……は?」
「だーかーら、責任。抜いたやつが責任取るのが筋だろ? で、魔王復活くらいの責任が取れるビッグネームが必要だろうが。そんなん、列聖委員会じゃなきゃ聖女くらいしか居ねえだろ。ちったあ考えろよ」
なるほど。
私の思考は、かなり冷静でした。確かに不自然なことの多い命令でした。最初から列聖委員会は、私に聖剣を回収させ、魔王復活の責任を追わせることを想定していた。
「アンドレイ第四席。質問をしてもよろしいですか」
「あ? 聞くだけなら聞いてやろう。俺も聖女様には多少なり同情してるんでね」
「では。まずひとつ目に、魔王を復活させてまで銀の聖剣を欲しがった理由は?」
「冥土の土産に教えるとでも? 俺はあいにくと慎重でね。 死んでからなら教えてやっても良い」
「そうですか。ではふたつ目に。――私に罪をかぶせることは、いったいいつから決まっていたんですか?」
私の言葉に、アンドレイは少し呆けた顔をして、すぐに質問の意味に気づき、そして大声で笑いました。
「かかか! なんだ、そこまで分かったか。何、世間知らずの生真面目なバカだと思っていたが、以外に考えている。だからこそ、恐ろしい。――さて。おしゃべりは終わりだ。返してもらうぞ、聖剣を」
アンドレイを、けれど引き止めたのはマリナでした。
「お考え直しください、第四席!」
「まだ分からんのか。……おい、マリナ審問官はご乱心だ。おそらく悪魔に憑かれてしまったのだろう。そういえば、魔王を縛った手枷を外したのはこの女だったな。つまり異端だ。殺せ」
その瞬間、駆け出していました。
「『鏡面湖畔』――!」
輝き。手の内に現出すのは銀の聖剣。まるで鏡のごとく磨き上げられた、まどろみと停滞の聖剣!
一歩。二歩。三歩の間合い。重心、前へ。体幹、前へ。剣は方の高さ。突き出すように。疾く。鋭く。
間に合え。
三歩。
金属音。鏡面湖畔が、アンドレイのハンマーを下から受け止めます。
「リリン聖女、さすがだ。天晴というほかない」
「殺すなら私だけにしなさい。……もっとも、できればの話ですが」
「大した自信だ。結論から言おう。できる」
その瞬間でした。私の体からは力が抜け、地面に倒れます。手に力が入らず、『鏡面湖畔』を取り落します。
「力が入らんだろう? リリン聖女。お前はさっき、いつから、と聞いたな。答えよう。最初からだ。お前の母親たちが魔物に食い殺されたあの日から……。いや、さらに言えばもっともっと、ずっと前。先代の聖女が銀の聖剣を使って魔王ベルナドット・ザス・カルトナージュを封印したその時! その時に決まっていた」
アンドレイは、地面に倒れた私を見下ろしたまま言いました。
「百年と少しだ。これだけの時間があって、まさか聖女に少し噛みつかれた程度で瓦解するような、そんな簡単な計画だと思ったか? お前の体は最初からそういうふうに作られている。俺たちに逆らえないようにな。 ……本来であれば、教会で完全に無力化して、民衆の前で首を断つ予定だったのだがな。まさか、魔王の精神支配に耐えられるほどとは思わなかった。だが、こうして俺はここに居て、しっかりと想定外の事態にも対処できている。……良いか、覚えておけ。これがリスクヘッジというものだ」
アンドレイは、鏡面湖畔を拾い上げます。光にきらめく刃は、私の顔を写しました。ひどい顔でした。
「なるほど。これが聖剣か。……長かった。これを手に入れるために、一体何人が犠牲になったことか……」
アンドレイは聖剣を振りかぶります。
「試し切りといこう。ハンマーでも砕けぬ頭を切り落とせるならば、性能は十分だろう」
駄目。もし私がここで死んだら、きっと魔王はマリナの体を奪う。それは駄目。それだけは駄目! だけど、体は動かない。
剣が迫る。時間が、
ゆっくり。
目を閉じる。
◆
いつまでたっても剣は私に届かず、だから目を開けば、そこにあったのは血で真っ赤に染まったマリナだった。
「……マリナ!」
「お姉さま」
マリナはこちらを振り返る。剣はマリナの肩口をばっさりと切って、心臓に近く、流れの早い頸動脈からは、まるで噴水のように血が湧き出てきていた。
どう見ても、手遅れ。
「お姉さま。私、あなたに救われました。もう魔王に乗っ取られているかと思ったけど、でも、まだ生きてた。……だから、お姉さま」
そこまで言って、マリナは動かなくなった。
「マリナ!」
駆け寄ろうとするが、体に力が入らない。そんな。だって、マリナは何もしていない! 教会の命令に従って、私を回収しに来ただけ。それなのに。それなのに!
「マリナ・エリュトロン審問官。駒として見るなら面倒だったが、一人の聖職者として見るなら立派だった。残念だ。冥福を祈る。……さて、魔王ベルナドット・ザス・カルトナージュ」
アンドレイは私を睥睨する。
「魔王よ。安心してほしいが、あなたがその肉体に大人しく閉じこもっていてくれるのであれば、我々はリリン聖女を殺さない。逆に、あなたが拘束を望まないのであれば、我々はリリン聖女を殺害しよう」
その言葉に、私の中の魔王はしばらく黙っていた。少しして、私の口が勝手に動く。
「ねえリリン。どっちが良い?」
「……私は」
「眼の前でかわいい友達が殺されて、辛いよね。最初から捨て駒にされる予定で聖女にされたなんて、許せないよね。もしもリリンがボクに任せてくれるなら、ボクはリリンの代わりに全部の復讐をしてあげるよ」
「私は」
「安心して。ボクはリリンのことが大好きだから。意識を完全に消したりしないよ。ボクの中で、永遠のまどろみの中で、ずっと僕と一緒に世界を眺めていけるよ。リリンの体がなくなった後も、リリンの意識をボクはずっと抱きしめていてあげる」
「私は!」
思ったよりも大きな声が出た。ピクリとも動かない自分の体に、こんな力が残っていたことに驚いた。
「私は、聖女。真に聖なるクロイライト! 聖女、リリン・アズ・クロイライト! 決して折れず、錆びず、鈍らない! あなたなんかに体は渡しません!」
体に力は入らない。
だけど。――立てる。まだ私は立てる!
「最高だよリリン。ボクも反抗的な方が大好き」
その言葉は、私の口からこぼれ落ちた。
人差し指が、少しだけ動いた。




