第六話「双星(フタツボシ)」
死狼王は鋭い爪で俺を切り裂かんと、前足を振り回す。
対する俺は、攻撃を受け無いように敵の周囲を移動しつつ、距離を詰めていた。
死狼王の爪は空を切り、地面や周辺の倒木に無数の傷跡を残しながら、俺を追いかける。
「グワアァァ!」
間合いに踏み込んだ時、死狼王は湖の時と同様に、宙返りを使った尻尾攻撃を繰り出す為、重心を落とした。
「そこだ!」
俺は剣を強く横に薙ぎ払った。ブゥン!という空気を裂く音と共に光の残像が残る。
三日月の残響―――斬撃を一定時間その場に残す技―――だ。剣を振るった俺は直ぐに一歩後ろへ下がり、尻尾攻撃の間合いから離れた。
直後、先程まで俺が居た場所を、凄まじい速度で死狼王の尾が切り裂く。
―――数秒後。
ドスッ。と背後で何かが音を立てた。
顔を横に向け確認すると、大きな尾が雑草の上に転がっていた。
少女の方に目を向けると、泣きそうな顔をしながらも、目を逸らさずに戦いを見守る姿があった。
死狼王は尾を半ばから失い、切断面は黒く腐った肉を覗かせている。
「ガウゥ!」
間髪入れず、尾を失った事になんの反応も見せない死狼王は、大きく口を開けて俺を噛み砕こうと迫ってきた。
俺は体勢を低くし、迫る牙に向けて走り出す。
死狼王は逃げ道を塞ぐように、頭を横向きにし、勢いよく噛み付く。
牙が俺を捉える直前、素速く真上に飛ぶ。
ガギッ!という鈍い音が響くのを、俺はその少し上空から聞いた。
「らあっ!」
着地際、硬い毛に覆われた首元を力強く蹴り、敵の右後ろに向かってさらに飛ぶ。
ドン!という地響きと共に、死狼王の顔が半分程地面に埋まり、骨の砕ける音が聞こえた。
身動きの取れなくなった死狼王の一瞬の隙を逃さず、地上に降り立つと同時に、右後ろ足を付け根から両断する。
「終わったな。」
支えを失った胴体は、バランスを保てなくなり、大きく傾き始めた。
「グオオオゥ。」
「・・・っ。」
体勢を立て直そうと、前足を地面に減り込ませ、大きな胴体を支える。
首を左の方向に変形させ、尾を半ばから無くし、後ろ足を片方失った姿は、少し痛々しかった。
身体を引き摺りながら、こちらに向き直ろうとする姿を、これ以上見てはいられなかった。
動きの鈍い死狼王が振り向く前に、素速く距離を詰める。
音にならない雄叫びを上げながら、腕を振り回そうとした死狼王はバランスを崩し、その場に倒れた。
「眠れ。」
俺はその首を切り落とした。
切断箇所が僅かに青く輝き、やがて光を失った。
「…ありがとう。」
いつのまに移動したのか、レンは俺のすぐ傍に居た。
「ああ。」
「おやすみ。レオ。」
少女はレオに近づくと、切り離された頭を優しく撫で始めた。
俺は静かに剣を鞘に収め、その姿を只々《ただただ》見守った。
「…クルルッ。」
突然、獣の喉を鳴らす音が広場に響き渡る。
「狼の生き残りか?」
「…違う。この声は…レオ!」
少女の声に反応するかのように、狼の鳴き声が再び響いた。
「どこ?どこにいるの!?」
声は聞こえても姿は見えず、幻聴のようにレオの声は反響していた。
ピクッ。とレンが唐突に身体を震わせた。
「キャッ!」
「どうした?………なるほど。」
俺がレンの方を向くと、そこには死体から顔を覗かせて、少女の手を舐めるレオの姿があった。レオはレンと同じく、青白く光っていた。
おそらくは、死体狼としての『魂の束縛』が解かれ、彼の魂が肉体から離れたのだろう。彼もまた、彼女と同様に霊体の状態であると考えられる。
「びっくりした~。もう!レオは甘えん坊だなぁ。」
甘えるように声を出すレオと、会ってから一番の笑顔を見せるレンは、お互いを確かめ合うように抱きあった。
微笑ましい光景が目の前にあったが、彼女達に与えられた時間は、そう長くは無いはずだ。
「君もレンも、もうこの世界に心残りは無いだろう?時間は限られているぞ。」
「…そっかぁ。私たち、消えちゃうのね。でも大丈夫!もうレオと一緒だから。」
少女の声に、クルルッ!とレオも嬉しそうに応えた。
「なら、心配いらないな。」
「うん。おねがい叶えてくれてありがとう。ええと…?」
少女が困った顔で、言葉を詰まらせた。俺のことをどう呼べば良いのか困惑しているようだ。
「そういえば名乗ってなかったな。俺の名前はセレン。」
「セレンさん……セレンお兄ちゃん。ありがとう!」
再び笑顔を覗かせたレンは深々とお辞儀をすると、レオも頭を下げた。
レオの横に移動した彼女はこちらに向き直り、少し寂しそうな笑顔で別れを告げた。
「バイバイ…。」
言葉と同時に、彼女達の輝きが弱くなっていく。少しずつ宙に向かいながら、姿が透けていく。
手を振る彼女達を見送っていると、背後から草を掻き分ける音が聞こえてきた。
「セレン君どこーーー??」
死体狼の群れを撃退したのだろう。エンミュの声が広場の入口付近から響いてきた。
「ここだよ。」
視線をそちらに向け、返事をし、また上空に目を向ける。
しかし、夜空に視線を戻した時には、彼女達の姿は見えなくなっていた。
「何見てるの?」
近くまで歩いてきたエンミュは静かに問いかけてきた。
「…今日は星が綺麗に見えるなと思って。」
「たしかに。今日は月の光も弱いもんね。」
「ああ。今夜は繊月だからな。」
「…星もいいけど、アレ倒したんでしょ?はやく帰ろうよー……へくちゅ!」
エンミュの声に、ようやく顔を戻した俺は、彼女がずぶ濡れになっている事にようやく気がついた。
「お、おい。一体どうしたんだ?」
「えへへ…。湖に落ちちゃった。」
「落ちる…?」
「いやぁ~。正直、あれくらいの敵なら余裕だと思ったんだけどなぁ…へくちゅ!」
ズビビビ。と鼻をすすりながら、彼女は言葉を続けた。
「途中で、生きてる狼が沢山出てきたんだよねぇ。私と死体狼の間に入るだけで、敵意はない感じだったから、斬りたくなくて…。」
「それで戦いにくくなって、湖に追い込まれたのか。」
「…うん。」
「でも、何で全身ずぶ濡れなんだ?」
「………けた。」
「え?」
「~~~こけたの!!」
顔を赤く染めながら、声を荒げる彼女を見て、先程までの感傷的な雰囲気を忘れ、思わず笑ってしまった。
「ひどーーーーい!・・・でも、セレン君のそんな笑顔見たの初めてかも。」
「あはは。ごめん、面白くてつい。」
「ねぇ、もう帰ろう?死狼王の件も村長に伝えなきゃだし!」
「そうだな。行こう。」
「もう!セレン君笑いすぎ!」
笑いながら返答した俺に対して、エンミュはちょっと怒っているようだったけど、顔は笑顔だった。
俺は村に戻るまでの間に、レンとレオの事をエンミュに話した。
エンミュは話しの途中に「つらいね…。」とだけ言い、黙って話を聞いていた。
「でも、良かったね。ちゃんと成仏できたみたいで。」
「ああ。二人ともお互いの事を思っていただけだからな。最期は仲良く、一緒に昇っていったよ。」
「今頃はお空の上で、一緒に遊んでるのかなぁ。」
俺たちは細い月の浮かぶ夜空を見上げた。
暗い空に浮かぶ星々が、ここぞとばかりに輝きを競い合っていた。
その中に、一層強く光る二つの星が、並んで輝いていた。