第三話「魔族の群れ」
日が完全に沈み、細い月が夜空を照らし始めた頃、エンミュの泣き声は聞こえなくなっていた。
「入るぞ。」
返事はなかった。
そっと戸を開け、部屋の中に入る。
エンミュは窓の方を向き、シーツを頭から被って寝ていた。
どうやら泣き疲れて眠っているようだ。
ベッドの横にある小さな棚に、女性用の服を置いた。村長にお願いして、用意してもらったものだ。
そのまま部屋の反対側にある椅子に腰掛けようと足を動かした時、声が聞こえた。
「待って・・・。」
「起きてたのか。どうした?」
「近くに、居て欲しい。」
少し枯れた声の彼女がとても儚く思えて、胸のあたりがチクリと痛んだ。
俺はベッドに近寄り、彼女が眠るすぐ傍に腰掛けた。
「こっち、見ないでね。きっと酷い顔してるから。」
背中越しに彼女は俺に話しかけてきた。
「今朝はごめんなさい。勘違いして。」
「大丈夫。気にしなくていい。」
「セレン君には、昨晩から迷惑ばっかりかけてるね。」
そう言うと、後ろでシーツの擦れる音がした。寝返りでも打っているのだろうか。
「私の事、気味が悪いとか思わないの?」
「思わないかな。思ってたら助けたりしない。」
「セレン君は優しいね。」
トンッと背中に温もりが伝わってきた。
「人って、こんなにも温かいんだね…。こうして誰かと触れ合ったりするのなんて、久しぶりだなぁ……。」
それは俺も同じだった。背中越しに伝わる彼女の頭の重さは、とても温かかった。
「どうして私を殺さなかったの?」
「それは…。自分でもわからない。」
「そうなんだ…。不思議だね。」
彼女がそう言うと、会話が途切れ、しばらく二人の間に沈黙が流れた。
「私、昨日死んでしまったほうが良かったのかな……。」
沈黙を破った彼女の声は、とても震えていた。
「そんなわけないだろ。死んで楽になるのは自分だけだ。」
「でも私、また人を傷つけてしまうかもしれないんだよ……!」
その一言は彼女の悲鳴にも聞こえた。
彼女の震えが背中から伝わる。
背中に触れる温もりが消えると、彼女も消えてしまうような錯覚に陥り、俺は振り返って彼女の肩を掴んだ。
「もう心配しなくていい。」
「えっ………。」
「俺が君を助ける。だから、君はもう誰かを傷つけたりはしない。」
自分でも予想しなかった言葉が、口から出てきた。
彼女の澄んだ青い瞳が大きく開き、綺麗な涙を零し始めた。
「私の傍に居てくれるの…?」
「ああ。」
「ずっと…?」
「ああ。呪いが解けるまでずっと。」
「うぅ…。ありがとう……。」
顔を隠すように、彼女は胸に飛び込んできた。俺はその背中に手を回し、彼女をそっと抱きしめた。
「私、本当は死にたくない。色んな人と仲良くなって、笑顔で過ごしたいよ……。」
そう言うとエンミュは抱きついている腕に、より一層力を入れてきた。
この小さな体に背負っている、彼女の悲しみを少しでも和らげてあげられたらと、俺も彼女の後ろに回した手に力を込めた。
すると、胸のあたりに柔らかい感触が増えた。一瞬なんの感触か分からず困惑したが、理解した途端。
(~~~っ!!)
俺は言葉が出せなくなった。
「セレン君どうしたの?急に黙っちゃて。」
「………。」
「ねぇ。セレン君?」
彼女は俺の胸に埋めていた顔を離し、こちらを見上げてきた。
顔が…近い。
青く澄んだ瞳が目の前で俺の瞳を貫く。
心拍数が上がり、呼吸が乱れ始めた。
「大丈夫?セレン君顔真っ赤!」
「………エンミュさんのせいだ…。」
「えっ?私なにかした?」
「その……。押し付けてくるから…。」
俺は目線を下に向け、彼女の胸の膨らみが当たっていることを知らせた。
エンミュは顔を紅潮させ、恥ずかしそうに目線を逸らした。
「………セレン君のえっち。」
そう言って身体を離す―――と思っていたのだが、何故か彼女は離れない。
「………エンミュさん?」
「……………エンミュ。」
「えっ?」
「エンミュって、呼び捨てで呼んでくれないと許さない。」
目線だけをこちらに戻して、口を尖らせた彼女は俺にそう言った。
「………ごめん。……え、エンミュ。」
「……い、いいよ。気にしてないからっ。」
お互いに顔を真っ赤にしながら、俺達は長い間動けないでいた。
しばらくして、彼女が唐突に疑問を口にした。
「セレン君。昨晩暴れまわってた私に、どうやって生命力をくれたの?」
「えっと…それは……。」
俺は少し口籠ってしまった。実は村長の部屋で昨晩の出来事を話した時、「生命力を与えて飢餓暴走を抑えた」としか説明していなかったのだ。
「………セレン君?」
上目遣いの彼女が、至近距離でこちらを覗き込んでくる。
「その……少し口づけを…。」
「………。」
エンミュは顔を再び紅潮させ、俺の胸に顔を隠した。
「私、したことないのに…。」
「……ごめん。その方法しか思いつかなくて。」
「ううん、謝らなくていいよ。助けてもらったのは私なんだから。でも……。」
「でも……?」
「……責任、取ってね。」
そう言って彼女は真っ直ぐに俺を見つめてきた。そして次第に顔を近づけて―――
「ゴホン。」
突然背後から咳払いが聞こえて、俺達はベッドの上で跳ねながら距離を取った。
「お熱いところ失礼。何回かノックしたのだがのぅ。」
部屋の入口近くに、口元に笑みを浮かべた村長が立っていた。
「夕飯の準備ができたのでな。食卓に呼びに来たのじゃよ。」
「そ、そうでしたか。お言葉に甘えさせていただきます。」
「ありがとうございますっ。」
「ふぉふぉふぉ。着替えを済ませたら、居間まで来てくれたまえ。」
村長はそう言い残すと、部屋を出ていった。
「お、俺外で待ってるから、着替え終わったら出てきてくれ。」
「う、うん。」
その後部屋の外でエンミュを待ち、着替えた彼女と共に居間で食事をご馳走になった。
部屋に戻った俺は宿に荷物を置いたままになっていることに気づいた。
「俺は一度、宿に荷物を取りに行く。ここで待っていてくれ。」
エンミュは俺の言葉に、少し寂しそうな顔で首を縦に振った。
「…寒いな。」
外に出た時、やけに空気を冷たく感じた。
俺は宿へ急ぎ、荷物をまとめた。その帰り道、やけに村が騒がしい。
駆け足で村長の家に戻り、事情を聞いた。
「何があったんですか?」
「うむ……魔族が村を襲ってきたのじゃ。」
村長は顎に手を当て、困った顔をしていた。
魔族が人族の村を襲うことはよくある事だ。その為に、村には衛生兵がいる。
「衛生兵はどうしたんですか?」
「それがのぅ。敵が多く、苦戦しておるのじゃ。」
「多い……?」
「死体狼が群れで襲って来たのじゃ……。」
「なるほど……。」
数が多いだけなら、村の衛生兵でも苦戦はしなかっただろう。だが、敵が死霊種となると話は変わる。奴らは通常通りに倒しても、死なない。
彼らを相手にする時は、武器に聖水を振りかけ、蘇生を阻害するのが定石だ。しかし、一体ごとに武器を清め直さなければならず、隙が大きすぎる。
「俺も手を貸しましょう。」
「本当ですか!助かりますなぁ。」
「村長さんは、引き続き村の方々の避難を誘導してください。」
村長は深く頷くと居間へと戻り、再び村の青年達に指示を出し始めた。
俺はエンミュの元へ急ぎ、村の状況を説明しようと部屋の扉を開けた。
「エンミュ大変だ!村が……。」
しかし、静かな部屋には誰も居らず、窓辺のカーテンが微かに揺れていた。