第二話「謎の少女」
「うっ・・・。」
窓から差し込む光に目を焼かれ、俺は目を覚ました。
昨晩と同じ体勢で、謎の少女は眠っていた。
(ずっと握ってたのか。)
俺も彼女もお互いの手を離さずに一晩中繋ぎ続けて居たようだ。
もう生命力も十分回復している為、手を握る必要はない。
俺は彼女を起こさないようにゆっくり、手を離そうと握る力を緩めた。
「ん・・・。」
俺が力を緩めると、彼女の握る手がぎゅっと少しだけ強くなった。
(・・・まぁ、もうすぐ起きるだろう。)
一瞬、無視して振り解く事も考えたが、彼女の幸せそうな寝顔を見ると、そんな考えはどこかへ吹っ飛んでいた。
(さて、これからどうしたものか。)
空いた方の手で彼女の頭を撫でながら、今後の方針を考えていた時。
「・・・パパ?」
少女が急に強く手を握り、言葉を発した。
顔を見てみると目が薄っすらとしか開いておらず、焦点が合っていない。
少女は純粋に寝ぼけていた。
「ごめん。俺はパパじゃない。」
そう言うと彼女は、ふぅ~んと唸りながら再び目を閉じた。
しかし、すぐに目を見開き、
「だ、だだだ誰ぇ~~~~!?」
少女は大きな声を上げて、跳ね起きた。
繋いでいた手を振りほどき、両手で身体を守るように抱きしめ、目の端に涙を浮かべながらこちらを睨みつけてきた。
「俺はセレン。旅人してる者だけど。」
「ちっがーーーう!そうじゃなくて!何で知らない男が私の手を握って、微笑みながら頭撫でてるの!」
微笑んでいたというところに、些か引っかかりを覚えたが、今の一言で彼女の状態は大体予想できた。
「何も覚えていないんだな。」
「・・・え?」
彼女は周囲を見渡し、自分が見覚えのない部屋にいる事を理解したようだ。すぐに自分の格好を確認し、慌ててシーツを手繰り寄せて体を隠した。
「う・・・そ・・・。」
「どうした?」
「そういうことなの・・・?」
顔を紅潮させた彼女は、繋いでいた左手と俺を交互に見て言った。
どうやら事態を把握したらしい。俺は頭の回転が早い少女で助かったと心底安堵した。
「ああ。そういう事だ、村長に報告に行くぞ。」
「村長に報告って・・・まさかっ!」
今度は顔を蒼白させ、強くシーツで身体を抱きしめた。
彼女は少し震えながら、俺に届くギリギリの声で呟いた。
「責任・・・取ってよ・・・。」
「何を言ってるんだ。責任を取るのはお前だぞ。」
「はぁ?女の子にこんな事しておいて、その言い方は無いでしょ!最低っ!」
またもや顔を真っ赤にし、彼女は声を荒げ始めた。
表情の忙しいやつだ。さっきから何を感情的になっているのか全くわからない。
そもそも迷惑をかけられているのは俺の方だ。
「まあ落ち着け。昨日の記憶が無いのはわかった。説明してやるから、村長の所に行くぞ。」
「ふん!偉そうに。聞いてやろうじゃないの。まあ?あらかた想像はできるけど。」
なぜか偉そうな彼女を連れて、俺は村長の部屋へと向かった。部屋を出てからも彼女はブツブツと何かを囁いていたが、聞き取れないので無視することにした。
廊下に並ぶ戸の一番奥が村長の部屋だ。その前まで移動する頃には独り言も静かになっていた。彼女に頷きかけ、戸を叩く。
「入りなさい。」
すぐに村長の返事があった。
「失礼します。」
「お、お邪魔します。」
戸を開けると村長は、向かい合わせに並べられた椅子の片側に腰掛けていた。
「こちらに座りなさい。茶の用意もできておる。」
促されるまま、俺達は向かい側の椅子に座る。
村長は姿勢を正し、俺に話し始めた。
「まずは昨晩の騒ぎの件、事態を収拾下さり、ありがとうございました。貴方には村を代表する村長として、感謝の念に堪えません。」
そう言って村長は俺に頭を下げた。
「感謝には及びません。俺も村にお邪魔になっていたのですから、自分の身を守ったようなものです。」
「そう言っていただけると助かりますなぁ。是非、我々に力になれる事がございましたら、何でも仰ってください。」
村長が昨晩の件について、俺に感謝を述べている間、横に座る彼女は口を開けたまま黙っていた。
「すごい顔してるぞ。大丈夫か?」
「だ、大丈夫です。ええと、私ちょっと、話の流れが読めないんですけど?」
「そうだな。昨晩の件について、事の顛末をお話しましょう。」
俺は姿勢と口調を正し、村長と今朝とは様子の違う彼女に、昨晩の出来事の一部始終を語った。
話し始めてすぐ、横に座る彼女の顔色が青くなり、穴があったら入りそうなくらい、小さくなっていた。
「す、すみませんでしたーーーー!」
彼女は、俺の話が終わるや否や席を立ち、椅子の横でこちらに向けて土下座した。
村長は俺と目でやり取りをし、口を開いた。
「顔を上げなさい。あなたも故意にやったわけではなかろう。心当たりがあれば、話を聞かせては貰えないかね。」
「はい・・・。」
少女は彼女自身の事について、何か助けを求めるような目で語り始めた。
彼女の名前はエンミュ。幼少期の記憶がなく、腰に巻き付いている荊棘は気がついた時からあったという。
一ヶ月程前から隣の村にお世話になっている。刀術については自分でもわからないが、刀を持った手に「違和感はない」らしい。
普段生活している時は特に問題無いのだが、月が欠けた夜は妙に胸が苦しいという。
三年前にも一度、新月の夜に記憶を無くした事があるらしく、その時は住んでいた村が“無くなっていた”と彼女は声を震わせて言った。
その日以来、誰かを傷つけたり、人の幸せを奪ってしまう恐怖感に縛られ、月が欠けきる前に村を転々とする生活を続けているという。
「最近は新月の夜も苦しいだけで、記憶を失ったりはしなかったのに・・・。」
エンミュは自分で自分がわからない、と言った風に顔を俯かせて言った。
あくまで推測だが、新月の夜に著しく生命力を失う何かが彼女にはあるのだろう。
「新月の呪い」とでも今は呼んでおこう。
その新月の呪いによって彼女は昨日、飢餓暴走を起こした。三年前から起こっていなかったのは、一つの集落を壊滅させた分の生命力が残っていたから、と考えるのが自然だろう。
話をしている間、体をずっと震わせている様子を見ると、自身でも相当恐怖を感じているようだった。
「自分でも辛かったろうに、よく話してくれたのぅ。」
話し終えたエンミュに対して、村長は優しく声をかけた。
俺はこういう状況で、掛けてあげられる言葉を知らないので、頭をそっと撫でてやることしかできなかった。
「ありがとうございますぅ・・・。」
彼女は今まで一人で抱えてきた問題を、初めて吐露したのだろう。涙を浮かべた顔からは不安よりも安堵の表情が見て取れた。
しかし、重要なのは今後の事だ。
村長は申し訳なさそうに言った。
「非常に申し上げにくいのじゃが、村の者の中にはエンミュさんの姿を見たものも居る。その者達はあ
なたの顔を見ると、きっと怖がるじゃろう。」
その言葉を聞いて、エンミュは再び顔を暗く沈ませた。
村長にとっての第一は村人だ。彼にとっても今の一言は心を痛めて言ったのだろう。
「村の皆さんの為にも、長居はしない方がいいですよね・・・。」
今にも消えてしまいそうな声で彼女は囁いた。
「ご迷惑を、おかけしました。私、本当に、最低です。すぐに、支度、しますから。」
嗚咽混じりに精一杯声を出して、この場を立ち去ろうとしていたエンミュ。俺は彼女の手を掴んで、足を止めさせた。
「今は日も昇っていて、村人も外に出ている者が多い。人目につかない為にも、今夜出発することにしよう。」
「・・・そうですね。私、部屋で準備します。」
彼女は俺の手からするりと抜けて、ゆっくりと部屋を出ていった。
村長はとても申し訳なさそうな表情をして、彼女を見送る。俺は只々、今にも崩れてしまいそうな彼女の背中を目で追いかける事しかできなかった。
その後、俺は村長にいくつかお願いをし、部屋を後にした。
村長が今晩まで貸してくれた部屋の前で、俺は戸を開けられずにいた。
中から嗚咽と謝罪の言葉を繰り返しているエンミュの声が、かれこれ半日程続いている。
俺自身も人と関わるような生活を送ってこなかった為、こんな時に掛ける言葉を知らないのが苦痛だった。
思えば、俺はどこか自分と境遇の似ている彼女に同情していたのかもしれない。