第十一話「崩壊」
「よくやってくれました。これでもう大丈夫です。」
この声は……。
「ヘリオスなのか?」
どこからともなく聞こえる声は、間違いなく宝剣が現れる直前に聞いた女性のものだ。
「ええ。」
肯定の返事と共に、腹部を貫通している剣が液体ように形を変え始めた。
手から零れ落ちるように、剣は指の間をすり抜けて背後へと吸い寄せられていく。
やはり腹部には傷など無く、ヘカーテの額も無事だった。
やがて俺とヘカーテの間で球状にまとまり始めた『何か』は、目線よりも低い位置で地面に向かって伸び始めた。
徐々に『何か』は人影へと姿を変えていき、パッと殻を破るように光を弾けさせて、色を纏った。
「さぁ、時間がありません。一刻も早く脱出しましょう。」
声と共に現れたのは炎のように朱い髪を背中に流し、雪のように白い肌をした美少女だった。
白い布を一枚身体に巻きつけ、右肩で結んだだけの簡素な格好。
両腕を広げ、太陽と同じ色をした瞳で俺を見つめている。
彼女がヘリオスなのは言動と瞳の色で間違いないだろう。
だが、彼女の救済指示に従うよりも先に、確認しなければならないことがある。
「ヘカーテは…無事なのか?」
俺の腹部に傷が無いのを考えると、先程の刺突攻撃に殺傷能力は無いのだろう。
しかし、先程からヘカーテが微動だにしていないのだ。
色を失っていない紅い瞳を開いたまま、彼女は固まり続けている。
「ふふっ…冷静ですね。安心してください。彼女は意識を失っているだけです。」
同じく色を失っていないヘリオスは、暖かくも威厳の感じられる声で返答した。
「そうか…よかった…。」
目の前に立つ小さく可憐なヘリオスの姿に、少し戸惑いながらも言葉を返した。
見上げるほど大きかった白銀の龍とは対照的に、俺の肩ほどの身長しかない少女。
(一体どっちが本当の姿なんだ……?)
ヘリオスの姿について疑問に思っていた時、地響きと共に、足元が大きく揺れ始めた。
「これは………!?」
「…っ。まずいわ。もうフェーズ3に突入したみたいね……。」
俺の問いには答えず、ヘリオスは暗号のような言葉を独り言のようにつぶやいて、空を見上げていた。
「私の手を握って。この世界はもう限界よ。」
彼女は煌々と輝く瞳を俺に向け、右手を差し出した。
左手には既にヘカーテの腕が掴まれていて、ヘカーテに対する敵対心のようなものは感じられなかった。
「これは……聞きたいことが沢山あるな。」
独り言のように呟きながら差し出した右手に、ヘリオスは少しだけ笑みを浮かべて手を取ってきた。
「あとで、ちゃんとお話しますよ。」
言葉が終わると同時、身体が宙に浮いているかのように妙な浮遊感に襲われた。
『ピキッ…ピキピキッ……』
突然響き出した異音に周囲を見渡すと、地面や岩壁が、まるで卵の殻が剥がれ落ちるかのように白に染まり始めていた。
直ぐに視界の半分は既に空白に埋め潰され、自分が今何処にいるのかすら曖昧なまま、浮遊感に耐え続けるしかなかった。
足元から剥がれ落ちていった世界は、広場の上部にポッカリと空いている穴だけを残して、全てを失った。
「ドロップ・スターリィ。」
ヘリオスが何かを唱えた途端、今度は穴から見える無彩色の星空が、世界を塗り替えていく。
俺達が穴に向かっていったのか、星空が落ちてきたのかはわからないが、やがてそれは視界全体を埋め尽くす。
見渡す限りの星空は色彩が無いせいか、美しいと言うよりも寂しく感じた。
雲ひとつ無い無限の星が広がる空間に思わず息を呑んだ時。
「じゃあ、行きますよ!」
彼女の掛け声と同時に、重力が生まれた。
「ぐっ………!!」
周囲に広がっている星が俺達を中心に高速で回転し始める。
星が残像を残し、無数の白い線を生み出していく。
空間は再び星の残像によって白色に染められていく。
目に見える全てが白色に塗りつぶされた時、光を直視したかのような眩しさに目を焼かれ、思わず左腕で目を庇った。
「うっ………。」
目の奥がズキズキと痛み、頭がクラクラする。
まるで目を回したかのように水平感覚を失い、俺は前のめりに倒れた。
反射的に、身体を支えようと両手を前に出すと、いつの間にか存在していた地面に触れた。
「なっ……。」
突然現れた地面に対応できず、腕に込めていた力が抜ける。
真っ暗な視界の中で、俺は地面に肘から崩れ落ちた。
やがて訪れる顔面への痛みを覚悟し、目を強くつぶる―――
―――ポフッ。
「………ん?」
地面にぶつかる直前、俺の顔は柔らかい何かにぶつかった。
妙に柔らかくて温かい何かが俺の顔を包みこみ、地面の衝撃から守られたようだ。
(何だこれ……?)
柔らかい何かは二つ並んでいるようで、俺の顔を横から挟んでいた。
とりあえず、息が苦しいので動かそうと両手で掴むと、思いの外弾力のあるそれは、俺が手に力を込めると食い込んでいくかのように柔軟に変形し始めた。
その途端、頭上から声が聞こえた。
「……こ、こら。今は……だめ。」
「………え?」
柔らかな何かを掴んだまま顔を上に向けると、顔を赤く染めて視線を逸らすヘリオスの顔が目の前にあった。
「………え?」
俺はもう一度同じ声を発した。
状況が理解できず、その場で固まった俺に、ヘリオスは恥ずかしそうに小さな声で呟いた。
「……早く、手、どけてくれないかな……。」
そこでようやく俺は状況を理解した。
「あ、え、ご、ごめんなさい!」
慌てて彼女の上から移動しようと、両腕に力を込める。
「んあっ。」
「うわぁ!?」
ヘリオスの小さな悲鳴と同時に、不安定な土台は俺の身体を支えきれず、再び胸元に顔を突っ込んでしまった。
「…………君、わざとやってるの?」
「う……ごめんなさい。」
不格好にも再度うつ伏せに倒れた俺は、今度こそ顔を上げながら謝罪する。
「今のはその…わざとじゃなくて、その…。」
彼女の脇に手を付き、上半身を持ち上げると、ヘリオスは少し微笑みながら、言葉を続けた。
「ふふっ。わかっています。第五次元を移動したのですから、次元酔いを起こしているのでしょう。この件は不問としましょう。」
「……ありがとうございます。」
彼女の話す言葉の意味は理解できなかったが、発言からして世界を移動したということだろうか。
至近距離で俺を見つめる瞳は、少し困った色をしていたが、ゆっくりとまばたきをすると共に表情を変えた。
「でも、これは貸しですからね。」
少しいたずらな笑顔を浮かべた彼女は、俺の唇に人差し指を当てて言った。
「さあ。起きてください。これからのことを話しましょう。」
そう言って彼女は、俺に立ち上がるよう促した。
未だ鈍痛の響く頭を片手で抑えつつ立ち上がった俺は、ようやく『別世界』に視界を向けた。
「……ここは!」
目の前に広がっている景色は、とても見覚えのある光景だった。
「ええ。ここはカリオス湖よ。」




