第九話「青いフードの少女」
「さあ、その剣を渡せ。」
黒炎の穴から出てくるや否や、青いローブを深く被った女性が話しかけてきた。
「…それはできない。」
「………。」
俺が否定すると、フードから口元だけを覗かせた女性は、無言で左手を前に伸ばした。
すると、背後に広がっていた黒炎が姿を崩し、その手中へと収まっていく。
炎は棒状に伸びていき、黒い鞘に収められた打刀へと姿を変えた。
「チャキ」と音を立てて、紫の帯が付いた鞘を水平に構え、一気にその刀身を抜いた。
「君の生命はいらない。」
その刀身は、薄暗い広場の中では形が見えないほどに、周囲を反射させていた。
左手に鞘を握ったまま、距離感が掴めない刀をこちらに向け、もう一度同じ問いかけを繰り返す。
「黙ってその剣を渡して。」
「…一つ確認したい。貴方の目的は何だ。」
「知っても何も変わらないわ。君には関係のないこと。」
既に守護神を失ったこの世界は、崩壊を免れないだろう。それは目の前にいるヘカーテを倒したとしても変わらない結末だ。それなら…
「貴方は先程“俺の生命はいらない”と言った。無慈悲な魔女と恐れられる貴方が何故…。」
質問を投げかけた途端、ローブから見えている口元がきつく結ばれた。
「君もその噂を信じるのね。」
何故か、今の言葉には怒りだけではなく、悲しみの感情も含まれているように感じられた。
「……いえ。この世界に広まっている貴方の伝説はとても残酷な内容です。しかし、今ここに居る貴方がその悪魔とは思えません。」
素直な感想だった。伝説通りの悪魔ならば、話し合いなどせず、問答無用に俺を殺しに来る筈だ。
「ふっ……。やはり君は優しいね。こんな状況でも、悪名高い私に同情するなんて…っ!」
不意に、刀を持つ右手がブレた。
俺は反射的に剣を前方に伸ばし、超速で繰り出された斬撃を受け止めた。
「だが、それとこれとは別の話。ヘリオスにはここで消えてもらうわ。」
「……どうして!」
「君が知る必要はないわ。さあ、斬りかかって来なさい。さっきの剣のように折ってあげる。」
「どうしても、戦わなくちゃいけないのか…。」
こちらにその気がなくても、彼女に意志がある以上、戦闘は免れない。
(無力化するしかないか…。)
可能なのか?今までの戦闘を見ていても、彼女の戦闘力は恐るべきものだ。それに、エンミュの身体から離れてからは、地獄の炎を繰り出したり、何か縛りのようなものが無くなっているように感じられる。
だが、こちらには宝剣【ジュワーズ】がある。
この剣ならば、先刻のように簡単に折られることは無いだろう。
―――私と、自分を信じて。世界を、彼女を救って。―――
ヘリオスの言葉が蘇る。
「…俺は君も救いたい!」
刀を弾き、剣を構え直す。
途端、宝剣の鍔に施された装飾が色を変え、黄金に輝き出した。
「はあぁっ!」
俺は上段に構えた宝剣を、彼女の刀目掛けて勢いよく振り下ろす。
キイィン!と金属音が響き、俺の斬り下ろしは片手で止められる。
「…っ。刀を狙った…?。でも都合がいい。先にその剣をへし折ってあげるわ!」
ヘカーテは左手で握った鞘で刀棟を弾き、宝剣を跳ね返してきた。
彼女は勢いをそのままに、空中に大きな弧を描きながら水平斬りを放つ。
上方向に剣を弾かれ、大きく仰け反った俺は、踏ん張るのではなく後ろに身体を投げ出し、宙返りをして攻撃を躱した。
「…くっ。」
危なかった。今の攻撃を無理に剣で受けていれば、剣身の中で最も脆い側面を叩かれていただろう。
「らあっ!」
俺は間合いを詰め、刀を狙って剣を振るう。
彼女は片手で握った刀で、流れるように俺の斬撃を受け流し、鋭い反撃を放ってくる。
危なげなくもそれらを捌き、また攻撃を繰り返した。
どれくらいだろうか。俺達は剣を交わらせ続けた。
・・・不思議と心地が良い剣戟だと感じた。
斬撃の応酬の中で、何故か次に繰り出される攻撃が予測できた。
自然と剣を持つ手を動かし、次々と繰り出される斬撃を受けては、こちらも反撃を繰り返す。
剣を交えるに連れ、ヘカーテの反撃回数は減り、逆に俺の攻撃は手数を増やしていった。
重めの斬撃を跳ね返した時、少し距離が開く。その時、月明りに照らされた彼女の口元に、笑みが浮かんでいるのが見えた。
俺はハッとした。口元がはっきり見えるほどに広場は明るくなっていたのだ。
(…宝剣の力か。)
剣を振るう度に月が満ちる伝説の剣。
いつの間にか広場は満月に照らされ、彼女の持つ刀を美しく輝かせていた。
あの笑みは、何か決定的な技を残している余裕なのだろうか。
(一か八か…やるしかない!)
焦りを覚えた俺は、勝負に出ることにした。
「せやあっ!」
左上段に構えた宝剣を斜めに斬り払う。宝剣は光の残像を描きながら右足元に移動する。
「無駄よ。」
ヘカーテは刀で光の残像に触れ、力を吸収する。残像を無力化する時、一瞬だけ隙が生まれる。俺はそこを狙った。
斬り払った宝剣を足元で弾き、その反発を利用して、勢いよく反対側の刃で斬り上げ攻撃を繰り出す。
「なっ…!?」
不意を突かれたヘカーテは刀を移動させようとしたが間に合わず、俺の攻撃は刀の根本を捉えた。
キーンと甲高い音を響かせて、刀は彼女の右手を離れる。重力に逆らうように放物線を描いて宙を舞う。
体勢を崩し、大きく仰け反った彼女のローブは翻り、広場を照らす月光の下に顔を出した。
「……っ!」
俺は言葉を失った。
ローブが捲れた彼女は、満月の明かりに照らされて、素顔がはっきりと見えていた。
―――その顔はエンミュと瓜二つだった。
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心地の良い剣戟が続く。
剣と刀がぶつかる音が奏でる剣舞曲は、観客の居ない広場に響き渡っていた。
「くっ…。」
何度目の応酬だったかな。私の振るう斬撃に重さが欠け始めのは。
(………月かぁ。)
彼が剣を振るう度に少しずつ、確実に月は満ちていく。
月が輝きを増すにつれ、彼の動きは俊敏になり、攻撃が鋭くなる。
ずるい。
対照的に私の動きは鈍くなっていく。月が丸くなる頃には、まるで重力が倍になったかのように体が重く、動かしにくくなっていた。
(…でも、まだ終わらせたくない。)
ヘリオスはめちゃくちゃ憎い。その剣だって壊したい。だけど何故だろう。こうして彼と剣を交わらせるのは、言葉で表現できないほどに満たされた気持ちになれた。
この瞬間だけは二人だけの世界。お互いの意識を独占できているという、不思議な喜びの感情があった。
だから私は重い身体に鞭を打ち、彼の攻撃を捌き続けた。
幾度かの連撃を受け流した後に、私の体重を乗せた渾身の攻撃が弾かれ、少し距離が開く。その時、月明りに照らされた彼の口元に、笑みが浮かんでいるのが見えた。
(…笑ってる。それだけの余裕があるということね…。)
彼は強い。限界を迎えつつある身体では彼と宝剣には勝てない。
封印された呪いの力を解放して、宝剣を破壊する?でもそんなことをしたら、力が暴走して彼の生命まで奪ってしまうかもしれない…。しかしこのままじゃ…。
私が思考を巡らせていた時。
綻んだ口元を急に引き締めた彼は、掛け声と共に距離を詰めてきた。
「せやあっ!」
上段に構えた宝剣を高速で斬り下ろし、光の残像を残していく……。
(三日月の残響か…。)
この攻撃は私達二人の旅の中で、何度も目にした技。上段に構えた段階で、私にはその攻撃が来ることは予測できた。
「無駄よ。」
残像に刀身を触れさせ、攻撃を吸収する。
途端、頭に電気が流れたかのように痛みが走り出す。封じられた呪いのせいで、月の神聖力は私を拒絶する。
一瞬の目眩から立ち直り、刀を握る手に力を入れ直した時、先程振り下ろした剣を地面に反発させ、高速で軌道を変更したセレン君の斬り上げが、視界の片隅に入った。
「なっ…!?」
慌てて刀で受けようとしたけれど、動きが鈍すぎる。
中途半端に伸びた刀の根本を斬り上げられ、右腕が上空に持っていかれる。
勢いに耐えられず、愛刀は私の手から弾かれるように宙へと飛ばされてしまった。
さらに、刀を弾かれた衝撃で上半身は後方へ引っ張られ、大きく身体を仰け反らせてしまった。
斬り上げた宝剣をそのまま上段に構える彼が視界の下端に見える。
(…あぁ。結局その剣を壊すことはできなかったかぁ…。でも、君に斬られて死ぬのなら、それもいいかな……。)
私はゆっくりと目を瞑り、腹部に訪れるであろう最期の感触を待った。
―――ギュッ。
「………へ?」
私に訪れたのは生命を削る冷たい痛みではなく、心を癒やす温かい抱擁だった。