第八話「地獄の業火」
「・・・俺も戦う。」
エンミュの耳元で光ったピアスが、俺に戦うことを決意させた。
もし状況が逆で、俺が暴れていたとしたら、彼女はきっと、戦いを放棄したリはしない。
剣を構え直し、壁を縦横無尽に跳躍するヘカーテの動きを捕捉する。
「ここだっ!」
ヘカーテがヘリオスの頭よりも高い位置から、壁を蹴り、急降下するタイミングで、着地予測点に俺は駆け込んだ。
勢いよく剣を振るい、『三日月の残響』を描く。
ヘカーテは猛スピードで残像に迫っていき―――
残像に触れるとほとんど同時に「ガンッ!」と鈍い音が響き、大きな砂煙を上げた。
「…やったか?」
「まだだ。良い攻撃だったが、まだ仕留めてはいない。」
その言葉通り、砂煙が薄れていくに連れ、刀を地面に立てて立ち上がるエンミュの影が見えた。
「フフフ。甘いなセレン君。その攻撃はよく知っているぞ。私がお前と共に旅をしていたことを忘れるでない。」
「くっ・・・。」
エンミュの身体を直接攻撃することに抵抗があった俺は、その場に留めておける『三日月の残響』を使った。
いくら強力な攻撃でも、見切られていてはどうしようもない。
ヘカーテは残像に触れる直前、【黒真珠】の柄頭を突き出し、光を吸収したのだ。
「やはり月の光は忌々《いまいま》しいのぅ…。吐き気がするわ。」
眉間に皺を寄せながら、ヘカーテはこちらに歩き始めた。
「攻撃するつもりは無かったが・・・そちらがその気なら仕方あるまい。」
フッ…と残像を残し、ヘカーテの姿が霞む。直ぐに数メートル手前で像を見せ、また陽炎のように姿が霞んでいく。
「桜舞・・・。」
自身の身体との対話を極めた者だけが可能とする無音移動術。風に舞う桜の花びらの如く、緩急をつけた動きで敵を翻弄する。洗練されたその動きは、視覚で捉えることが困難で、高速かつ無音で相手に忍び寄る。
―――エンミュの得意とした技だ。
「来るぞ…少年。」
だからこそ、俺はその動きの境地を、彼女と同じくらいに理解していた。
「らあっ!」
姿を眩ませながら近づくヘカーテの動きを捉え、剣を振るう。
ギイィン!と甲高い金属音が広場に鳴り響く。
「なっ・・・。」
数秒後、半ばから折れた剣が、地面に音を立てて転がった。
「よくやった。少年。」
剣を折られたのが自分であることを理解するよりも早く、ヘリオスの尾が目の前で【黒真珠】に巻き付き、刀峰が俺の肩を捉える寸前で止まっていることを認識した。
「貴様…一体何を…!?」
「峰打ちとは、らしからぬことをしたな。ヘカーテ!」
俺は言葉も出せず、その光景を見守ることしかできなかった。
「はあっ!」
ヘリオスは自身の尾を【黒真珠】に食い込ませ、刀身を中心からへし折った。
大きな血飛沫を上げ、ヘリオスの尾は
――――――半ばから先を失った。
「アアアアァァァァァ!!」
ヘカーテは奇声を上げ、よろめきながら数歩後ろに下がった。
シュルルルとエンミュの腰に巻き付いていた薔薇が解け、その場に落ちる。
彼女の瞳が澄んだ青色へと変化していき、支えを失ったように後ろに倒れていく。
「エンミュ!」
思わす俺は、彼女の元へと駆け出し、身体を支えた。
「…冷たい。」
彼女は人形のように、目を開いたまま意識を失っていた。
人間のこんな姿は見たことがなかった。極限まで生命力を失い、生死を彷徨っている状態なのだろう。
しかし、首元に手を当てても、生命力を彼女に送ることは何故かできなかった。
「馬鹿な!人形だと!?」
俺よりも先に驚きの声を上げたのはヘリオスだった。
「オノレェ。オノレエェェェ!!」
依代のエンミュから離れた【黒真珠】は奇声を上げながら宙に浮いた。
空間を黒く塗りつぶす様に怪しく光り始め、赤紫色の炎を纏って輝き出す。
「マタシテモ、私カラ全テヲ奪ウカ!」
「セレン!伏せなさい!」
ヘリオスは翼を広げて俺たちに覆いかぶさる。直後、【黒真珠】から目を焼くような黒炎が放たれ、周囲一体を地獄の業火が包んだ。
「ヘリオス、人形って…。」
「…話は後です。今は私の言うことを聞きなさい。」
先程までの威厳の感じられる中性的な声ではなく、どこか聞き覚えのある女性的な声で、ヘリオスは話した。
「残念ですが、私の力はもう殆ど残っていません。これ程までに傷を負うとは思っていませんでした。」
羽から僅かに透けて見える地獄の炎は、確実にヘリオスの身体を焼き焦がしていた。
口に咥えていた自身の尾を俺の目の前に落とし、言葉を続ける。
「今からこの尾に、残りの力を注ぎます。私は形を変え、貴方の剣となりましょう。この世界を、ヘカーテの手から守って…。」
「でもそんなことをしたら!」
守護神を失った世界は、均衡を保てなくなり崩壊すると聞く。もしヘリオスが力尽きたらこの世界は…。
「ええ。おそらくこの世界は崩壊するでしょう。しかし、世界がヘカーテの手に渡ることが、最も恐れるべき事なのです。ここでヘカーテを倒すことができれば、まだ希望があります。」
ヘカーテにこの世界を渡さなければ、崩壊しても大丈夫だと…?
「詳しいことは今考える必要はありません。私と、自分を信じて。世界を、彼女を救って。」
腕の中で、時間の経過と共に体温が失われていくエンミュを見つめる。
(呪いが解けるまでじゃないって約束したばかりだからな。)
心の中で彼女に話しかけ、自分自身の覚悟を決める。
「…ヘカーテを、ここで倒します。」
自分に言い聞かせるように、言葉を噛み締めた。
その時、ヘリオスの背後から激しい爆発音が響いた。
一瞬、体勢を崩しかけたヘリオスだったが、爪を地面に食い込ませ、姿勢をを立て直す。
「ヘリオス!」
「ふふっ…。安心しなさい。貴方の剣になるまでは倒れませんよ。」
言葉と同時。ヘリオスの瞳が大きく開き、目の前に転がる白銀の尾が太陽の如く輝き出す。
「強くなりましたねセレン。貴方の力、見せてもらいますよ…。」
尾が輝きを増し、視界が光に侵食され、世界が色を失っていく。それに反比例するように、ヘリオスの声はどこか遠くへと離れていった。
「今なんて………くっ!」
言葉の意味を問おうと声を発した時、視界を奪っていた光が爆発し、次第に世界が色を取り戻し始める。
視界にヘリオスの姿は無かった。
広場を包んでいる炎は見えない壁に阻まれているかのように、俺たちの周囲だけ火の手から守られていた。
そして、俺の目の前には一振りの剣が地面からその身を浮かせて漂っている。
「まさか…。」
―――無彩色の剣
伝説では、所持者の本質を映し出し、限界まで能力を増幅させる剣。
手にした者の能力に応じ、色彩を変え、その剣身は色だけでなく、形状も変化するという。それ故に、色のない剣は何も持たないのではなく、何者にも染ることができる。
一説では全ての剣の原点とも言われている。
無彩色の剣が存在している空間は、まるでその部分だけが切り取られたかの様に、不自然に白く塗りつぶされて見えた。
「…力を、お借りします。」
俺は右手でその柄を握った。
その瞬間、剣は激しく輝き出し、剣身が形を失った。
剣身は無数の光に分裂し、放射状に広がり始める。
溢れ出る光の束は蛇のように動き回り、広場を焼き尽くす黒炎を飲み込む。
「オノレエェェ!!」
光は黒炎を放つ【黒真珠】にも伸びていき、刀全体を包み込んだ。
やがて空間を埋め尽くしていた光が、剣に吸い込まれる様に収束し、剣身が色を帯び始める。
「これは…。」
光が形を取り戻した時、その剣身に特定の色は無かった。
色が無いわけではない。色が変化し続けているのだ。
―――宝剣【ジュワーズ】
振るうたびに月が満ちるという伝説の剣。
かつて神話戦争において、月の女神セレーネがこの剣を振るい、悪魔の猛攻を退け、世界の崩壊を防いだと伝えられている。
つまりこの剣は、世界の崩壊を救う最期の希望・・・。
「フフフ…。追い詰めたぞ…。」
広場を埋め尽くしていた地獄の業火は消え失せ、【黒真珠】も姿を消した。それなのに、どこからともなくヘカーテの声が広場に響いてきた。
「今度は貴様をへし折ってくれるわ!ヘリオス!」
刹那、床に転がっていた何かが再び地獄の炎を巻き起こした。
「なっ!?」
よく見ると燃えているのは刀の先の部分だった。
ヘリオスによって半ばから折られた【黒真珠】は、折れた勢いで刃先部分を隔離し、柄側を囮にして俺達を攻撃していたのだ。
赤紫色の炎は円形を成し、空間に黒く奥の見えない穴を開けた。
大きく口を開けた穴からゆっくりと何かが出てくる。
「さあ、その剣を渡せ。」
穴から姿を現したのは、青いローブを纏った女性だった。




