親父の先生
九州のとある地方で生まれた親父は、日本人同士の親の間に生まれたにも関わらず、ハーフの顔立ちで、終戦後の何年か後に生まれた為、アメリカ人との間に生まれたと思われるくらい、ほりの深い、ハーフ顔だったそう。
前文でお話した様に、小さい頃から女手一つで育てられたので、親が家にいることも少なく、寂しい思いをしたと何度も聞かされており、いじめられ、強くなりたい一心で、空手を習い、空手道場に通いだした事が、親父の空手人生の始まりだった訳です。
当時の空手というのは、ルールなどあまりなく、
直接顔面にあたる事もよくある為、顔中いつも腫れて帰るのは当たり前の時代。色々な当時の親父が体験したエピソードをよく聞かされていた。
『刀(真剣)の上を歩け。
震えたら、足の裏が切れるぞ』
先生からそう言われ、親父は何度も刃が真上に垂直に向いている、刀の上を歩いた。
『あれは本当に怖かったな〜。
そんな事言われても震えるど』
そんな事普通だよ。いつも通りと言わんばかりに
親父は冷静に言った。
そして真冬には、先生が
『今から滝に行く』
その一言で、真冬の夜に空手道着一枚で、滝に行き、1人1人順に滝に打たれ、そのまま滝の横にあるプレハブ小屋に泊まるという。勿論、寒いや、帰りますなど言う人は1人もいなかった。
読者の方が、クレイジーと思う事を普通にやってのける。 精神を強くし、心身共に心を鍛える。
この道場出身の人は、警察上官、各社の社長も当時は多くいたそう。
親父の先生は、木に、龍や観音像を彫る、彫り物も行う。ある年の政界の人物に彫り物を寄贈し、
総理大臣のパーティーに呼ばれ出席する程の持ち主。 本物の武道家で、空手道場のみで生計をたて、空手による人格形成にも力を入れている人である。
私の好きな格闘漫画の空手の先生のリアルバージョンな人なんだろうと私は思った。
親父の先生の身体能力は半端なく、
側中(側転の手をつかないバージョン)
をその場からいきなりしたり、バク転、バク中は当たり前。しかも、バク中を入れた
空手の型(相手の攻撃や自分の攻撃を想定して突きや蹴りを出す空手の動作)なども本当に
実在したという。