出世
時は西暦1980年。漫才ブーム、ディスコサウンドをラジカセで踊る《竹の子族》が大流行の中、
広島県のとある地方に私は産まれた。後にお袋から聞いた所によると、
『あんたは産まれてすぐ、病気したとよ。母さんはいつも、病院であんたみて、むぞなげ(かわいそう)と思いながら泣いてたんよ』と何度も言っていた。病名は「食道閉鎖」 ミルクを飲んでもすぐに吐き出しおかしいと思って、病院に連れていったら発覚した。
『手術中あんた心臓が一回止まってね。また生き返ってきたんよ』と眉一つ動かさないお袋の表情を今でも覚えている。そっか心臓止まったんだ。なら第六感の力でも備わったかな、という訳でもなく手術は成功した。『その時代は、この病気の症例も少なくとにかく心配だった。この子は心臓が強いです。だから成功したんです。と先生が言っていたのよ』この一連のくだりは、何度もお袋から聞かされたが、私が皆と変わらず生きてこられたのは、言うまでもなくこの手術のおかげだ。
手術の足跡は、背中の左肩甲骨に沿っての切開傷、おへその上に栄養分を体に流す管を通した傷がある。もちろん物心ついてからは痛みもないが手術後『おとうたんイタイ。て、父さんにね一歳も満たないあんたが言ったの。そしたら父さん初めて涙を流した』
あの親父が⁉︎厳格で涙など流す事もなさそうな親父がか。家の昔のアルバムを見た時には、焼酎なみなみのジョッキで近所の人と乾杯している写真か、眉間にしわをよし、睨むように映っている親父の写真しかない。
『男はなめられるな! 何があってもじゃ』
私が幼少期の頃の親父の口癖だ。もう一つ
『涙を流す時は親が死んだ時だけじゃ』
不思議な親父だった。世に言う、亭主関白な親父だ。それが超がつく程。
お袋は九州熊本市内の下町で育った、東京浅草の江戸っ子の人に似た、義理人情を大事にする、個性的な人だ。あっ個性的なら親父もだな。
こんな2人の喧嘩は嫌という程 何回も見てきたが、仲直りという物を見た事がない。いつのまにか仲が直っている。一度喧嘩がおきれば家が揺れ、怒声が飛び交い、近所の人が止めに入る、
この一連の流れも通例であった。どちらも、もちろん謝らない。それも通例だ。