表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/25

出世

時は西暦1980年。漫才ブーム、ディスコサウンドをラジカセで踊る《竹の子族》が大流行の中、

広島県のとある地方に私は産まれた。後にお袋から聞いた所によると、

『あんたは産まれてすぐ、病気したとよ。母さんはいつも、病院であんたみて、むぞなげ(かわいそう)と思いながら泣いてたんよ』と何度も言っていた。病名は「食道閉鎖」 ミルクを飲んでもすぐに吐き出しおかしいと思って、病院に連れていったら発覚した。

『手術中あんた心臓が一回止まってね。また生き返ってきたんよ』と眉一つ動かさないお袋の表情を今でも覚えている。そっか心臓止まったんだ。なら第六感の力でも備わったかな、という訳でもなく手術は成功した。『その時代は、この病気の症例も少なくとにかく心配だった。この子は心臓が強いです。だから成功したんです。と先生が言っていたのよ』この一連のくだりは、何度もお袋から聞かされたが、私が皆と変わらず生きてこられたのは、言うまでもなくこの手術のおかげだ。

手術の足跡は、背中の左肩甲骨に沿っての切開傷、おへその上に栄養分を体に流す管を通した傷がある。もちろん物心ついてからは痛みもないが手術後『おとうたんイタイ。て、父さんにね一歳も満たないあんたが言ったの。そしたら父さん初めて涙を流した』

あの親父が⁉︎厳格で涙など流す事もなさそうな親父がか。家の昔のアルバムを見た時には、焼酎なみなみのジョッキで近所の人と乾杯している写真か、眉間にしわをよし、睨むように映っている親父の写真しかない。

『男はなめられるな! 何があってもじゃ』

私が幼少期の頃の親父の口癖だ。もう一つ

『涙を流す時は親が死んだ時だけじゃ』

不思議な親父だった。世に言う、亭主関白な親父だ。それが超がつく程。

お袋は九州熊本市内の下町で育った、東京浅草の江戸っ子の人に似た、義理人情を大事にする、個性的な人だ。あっ個性的なら親父もだな。

こんな2人の喧嘩は嫌という程 何回も見てきたが、仲直りという物を見た事がない。いつのまにか仲が直っている。一度喧嘩がおきれば家が揺れ、怒声が飛び交い、近所の人が止めに入る、

この一連の流れも通例であった。どちらも、もちろん謝らない。それも通例だ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ