05
「あの…飲み物待ってるので…」
「あ~またあの会長様?」
「じゃあ……あ!」
行こうとしたら、また目の前に立たれた。
「希愛ちゃん♪ まだその気にならない?」
「なりません」
「ええ~どうしてよ? あんなドS宝仙より、俺の方が絶対希愛ちゃんのこと大事にするよ」
言いながら私の顔を覗き込んでくる。
「あの…どいてください」
「だからそんなに慌てなくてもいいじゃん。ちょっと話するくらいイイでしょうが。なにも取って喰おうなんて思ってないし。ね?」
そう言って先輩は私の顔を覗き込んでくる。
「…………」
そんなことを言われても、素直に“はい、そうですか”と言えるはずもなく、私はそれでも先輩の横をすり抜けて行こうとした。
「おっと! だから逃がさないってば」
私がすり抜けようとしたところに、サッと腕が伸びて行くてを阻まれた。
「そんなにアイツが怖いの?」
「アイツ? アイツって聖くんのことですか?」
「他に誰がいるの?」
「別に怖くないです」
「はあ~」
先輩がなぜかワザとらしく大きな溜息をつく。
だって私は本当に聖くんのことは怖くない。
「しっかり教育されちゃってんだ~」
「教育?」
「アイツに逆らわないように」
「?」
先輩はなにを言ってるのかしら?
「かわいそう…」
「かわいそう? 私がですか?」
私の一体どこがかわいそうなんだろう?
「うん。いっつも上から目線で命令口調だろ? それに君ひとりに飲み物買いに行かせるし、さっきみたいに誰かに攻撃されても、なにもしないじゃん? 恋人のくせに君を守ってもくれないような奴を恋人だって言える?」
「それは…」
「俺ならさっきみたいに君を誰からでも守るし、ひとりで飲み物を買いになんて行かせない」
「それは……私の足が普通じゃないからですか?」
「俺なら支えになってあげられるよ。アイツみたいにほったらかしたりしないでね♪」
「!」
ぎゅっと両方の二の腕を掴まれた。
「あの…」
「だから真面目に、俺とのこと考えない?」
「ちょっ…」
私は飲み物を抱えてたから両手が塞がってて、身体を捻るくらいしか抵抗できなかった。
「希愛ちゃん」
「……え?」
本当に一瞬だった。
腕を掴まれて両手が塞がってて動けなくて、でもその前になんとも思ってない相手からキスされるなんて思ってなかった。
「チュッ」
咄嗟によけたけど、唇の端に先輩の唇が掠った。
「!!」
バラバラと床にペットボトルが落ちて跳ねた。
「……あ…」
「残念! 希愛ちゃん、よけるから」
先輩は今まででと変わらない態度。
自分が一体なにをしたかなんてわかってない。
私がどう思ってるかなんて、コレっぽっちもわかってない。
だから簡単に、こんなことができてしまうんだろうか?
先輩にとっては他愛のないことなんだろうけど……私には……
「いや……」
「希愛ちゃん?」
どうしよう……
「うっ…」
ぽろぽろと涙が溢れてきた。
どうしよう! どうしよう!! どうしよう!!!
「希愛ちゃん!?」
私は自分の唇を、手の甲や手の平でゴシゴシと力まかせに擦る。
「ちょっと希愛ちゃん、そんなに擦ったら…」
先輩の手が擦り続ける私の手に伸びたのが見えた。
「触らないで!」
「希愛ちゃん?」
私は叫んで、伸びてきた先輩の手を払い落とした。
そんな私の行動に先輩がびっくりしてた。
「どうしてこんなことができるんですか!」
「え?」
「私、先輩とお付き合いするなんて言ったことありませんよね? その前に、私は聖くんと付き合ってるって知ってますよね?」
「知ってるよ」
「じゃあどうしてですか? なんで人の気持ちを無視したことするんですか! ううん…どうしてこんなことができるんですか!」
「そんなムキになって怒ることないじゃない? 軽い挨拶と同じ…」
「挨拶なんかじゃありません! 私にとっては挨拶なんかじゃ…うっ……」
私はまた唇を擦り始めた。
「ちょっと希愛ちゃん、だからそんなに擦ると…」
「聖くん以外の人となんて、したいとも思わない!」
「なに? そんなことくらいでアイツ目くじら立てるわけ? ちっせー男…」
「先輩は平気なんですか! 自分のお付き合いしてる相手が別の男の人とキスをしても!」
「こんな感じのなら許せる範囲なんじゃね? 浮気じゃないなら」
「私は…イヤです。好きな人じゃないなんて……聖くん以外の人なんて…」
「希愛ちゃん…」
あとからあとから涙が零れて、頬を伝って落ちていく。
私は自分でもわかるくらい、瞳に怒りを込めて先輩を睨み付けた。
普段大人しく見えていた私の変貌ぶりに、先輩はちょっと戸惑ってるらしい。
自分でも、こんなにも悔しくて怒りが込み上げるのは初めてかもしれない。
でも、もしかしたらこれで聖くんに怒られて呆れられちゃうかもしれない。
そう思うと、とても怖くて……そんなキッカケを作った先輩が許せなくて、悔しくて悲しくて……
あの事故のあと、ふたりで誓った約束がこれでダメになるかもと思わずにはいられなかった。
「希愛ちゃん?」
「!!」
廊下から私を呼ぶ声がして声のしたほうを見ると、真樹ちゃんが心配そうな顔で立ってた。
「真樹ちゃ……っ!」
そのうしろには……聖くんが立っていた。
「なかなか帰って来ないからさ。どうしたの? なんで泣いてるの?」
真樹ちゃんが走って、私の傍に来てくれた。
「希愛ちゃん?」
肩を掴んで私の顔を覗き込む。
「うっ……真樹ちゃん……」
「希愛ちゃん……君、Cクラスの丹下君だよね? 希愛ちゃんになにしたの?」
すぐ横に立ってる先輩に身体を向けて、真樹ちゃんが強めな言い方で話しかけた。
「別に、ちょっと話してただけだけど。ね? 希愛ちゃん♪」
「話してただけ? それだけで、どうして希愛ちゃんが泣くの?」
「さあ? 俺と話しができて、嬉しくて嬉し涙じゃない?」
「そんなはずないだろ! そういえば君って、希愛ちゃんにずっと絡んでたよね?」
「絡んでたなんて人聞き悪いな~ドSな彼氏なんて見切りつけて、優しい俺にしないかって口説いてたんだよ」
そう言うと、私達のうしろに黙って立ってる聖くんを睨みつける。
「…………」
「シカト? まあいいけど。そんな余裕こいてっと、いつの間にか俺に取られてたりするかもよ♪ ねえ、希愛ちゃん♪」
「!!」
その言葉に身体がピクリと反応した。
「希愛」
「……聖……くん…」
ゆっくりと聖くんが私のほうに歩いてきて、真樹ちゃんが静かに私から離れた。
「なにがあったの」
「……聖…くん…」
「希愛」
「ご……ごめ……ごめんなさい……」
「それはなにに対しての謝罪なの?」
「そうやって脅すなよな~可哀想に」
茶化すように話す彼の言葉は私の耳に届かない。
今は目の前にいる聖くんしか気になってなかった。
「希愛、話してごらん。なにがあった?」
「……わ…私……」
「?」
「あ!」
擦りすぎて赤くなった唇を隠すために、ずっと押さえてた手の甲を聖くんが掴んだ。
私はグッと力を込めて、唇から手の甲を離さない。
「や……ダメ…」
「?」
「ごめん……なさい……」
「希愛、手を離して」
「…………」
「希愛」
聖くんには逆らえなくて……掴まれた手の力を抜くと、聖くんがそっと私の手をどかした。
「!!」
「希愛ちゃん、どうしたの? 血が滲んでるじゃないか!」
「希愛」
そっと聖くんの手が伸びて、指先が擦りすぎて血の滲んだ私の唇に触れる。
「ご…ごめんなさい…私……私……」
「キス……されたの?」
そう訊ねる聖くんの声は優しい声だった。
「ええ!? キス? 彼に?」
「ご…ごめんなさい! いきなりで…よけたんだけど…両手塞がってて……そしたらかすって……私……ごめんなさい! 聖くん! うっ……」
また涙が込み上げて、堪え切れなくて零れた。
どうか……どうか……聖くんが私のことを嫌いになりませんように……。
お願い…嫌いにならないで!
「君……なんてこと! 希愛ちゃんが聖と付き合ってるの知ってるだろ? 人の恋人にそんなことするなんて!!」
「チャンスだったからしたまでだよ。俺、希愛ちゃんのこと気に入ってるし、できれば彼女にしたいって思ってる。どんな手を使っても自分のモノにしたいって、男ならそう思うだろ? 付き合ってる相手がいるなら、なおさら自分をアピールしないとさ。これで俺のコト気にしてくれるだろうし♪」
相変わらずの、悪気のない言い方だった。
でも私のことなんて、きっとそんなに好きというわけじゃないと思う。
人のもので……その相手が聖くんだから。
きっと今まで女の子とは、いつもうまくいっていたんだろう。
だからいつまでたっても、素っ気ない私が気になるだけ。
でも私は、聖くん以外の人なんて考えたことないから……。
「希愛」
「!!」
聖くんが優しく私の名前を呼ぶから、泣きながら顔を上げた。
「もう泣くんじゃないよ。希愛は悪くない」
「聖くん…」
「悪くない」
「あ…」
「聖?」
「!!」
クイッと聖くんの指で顎を持ち上げられると、チュッっと触れるだけのキスをしてくれた。
真樹ちゃんも先輩もびっくりしてる。
私はちょっとびっくりしたけど、キスされたことにびっくりしたんじゃなくて、聖くんが人前でこんなことすることに驚いた。
そんなことを考えてる間に、聖くんの左手がものすごい早さで振り抜かれたと思ったら、その左手の甲がバシリ! と大きな音を立てて近くに立ってた先輩の左の頬を叩いた。
「…っ!!」
その衝撃で先輩の身体がグラつく。
「聖!?」
真樹ちゃんの驚いた声が聞こえた。
「あ!」
聖くんが私の肩を抱き寄せる。
「これ以上希愛に近づいたら、お前もお前の家族も会社も潰す」
言い方はいつもと変わらない聖くんだけど、声はいつもよりもとっても低い声だった。
顔にはなんの感情もないように見えたけど、先輩を見てる聖くんの目からは冷気でも発しているかのように冷たい。
「…………」
「本気だからな」
聖…くん?
「今回のことも、それ相応の代償は払ってもらう。宝仙聖の婚約者に不埒な真似をしてタダで済むと思うな」
「婚約…者?」
「宝仙家のすべてがお前の相手だ。覚悟しとけ」
「…………」
先輩はなにも言わず、叩かれた頬に手を当てたまま聖くんを見てた。
「きゃっ!」
いきなり聖くんが屈んだと思ったら、抱き上げられた。
所謂お姫様抱っこ。
「真樹」
「え?」
「しばらく帰って来なくていいよ」
「!!」
真樹ちゃんは一瞬固まったけど、すぐに肩を落として溜息をついた。
「了解」
そう言って片手を上げた。
「聖くん……」
見上げた聖くんは口元だけをちょっと上げた軽い笑顔で……そしてそのまま歩き出した。
「はあ~先に帰ろうかな」
「…………」
そんなことを呟きながら横を見ると、呆然としてる彼に目がとまった。
「びっくりした?」
「……へ?」
「聖の態度と行動」
「あ…あぁ…」
「まあ悪いのは君だし、オレだって君のことは許せないから聖をとめる気なんてさらさらないから、本当に覚悟しといた方がいいよ。それにふたりの結婚を決めた聖のお祖父様も、希愛ちゃんのこと可愛がってるから聖をとめないと思うし」
「婚約者って本当か?」
「ああ、聖が7歳で希愛ちゃんが5歳のときにね」
「なんで内緒にしてんだ?」
「希愛ちゃんに強くなってもらうため……かな?」
「は?」
「希愛ちゃんの家くらいの子はこの学校にもたくさんいるだろ。だから恋人なら、いつか自分が希愛ちゃんの場所を奪うことも可能と思う子もいるだろ? 永峰さんみたいに」
「わかってたのか?」
「当たり前だろ? 希愛ちゃんのことで聖が把握してないことなんてないよ」
「じゃあなんで放っとくんだ」
「これから先、どんな中傷や嫌がらせされるかわからないからね。宝仙家の嫁ともなれば、そうそう手荒な真似はされないと思うけど女の嫉妬は怖いから。いくら聖が守るとしても限界はあるからね。だからそんなことに負けないように強くなってほしいって……自分で解決できるように婚約のことは伏せてあるんだよ。あれで希愛ちゃん、なかなか芯は強い子だから」
「…………」
「希愛ちゃんに辛く当たってるように見えるけど、ちゃんと希愛ちゃんのことも考えてるんだ。あの足のことだって、聖は他の子とかわらないようにすごせるようにって接してる。これから先、希愛ちゃんが普通に生活していくためにね。本当は希愛ちゃんに甘いくせに 厳しく接するところはちゃんとしてるんだ」
「わかりにくい奴」
「希愛ちゃんだけにわかればいいんだよ、聖は。ま! この先頑張りなよ。聖は希愛ちゃんのことで手は抜かないから。自業自得だからね。じゃあ」
オレは床に落ちてたペットボトルを拾うとその場から離れた。
「やっぱり帰った方が正解だよね」
オレはふたりが向かったであろう生徒会室ではなく、帰るために教室に向かった。
「あ! ダメだ。カバンが生徒会室じゃないか……はあ~~」
そのことに気づいて、オレは仕方なく時間潰しのために図書室に向かった。
希愛溺愛聖、登場でしょうか?
丹下君、このあと後悔しますよ。