03
交通事故場面のお話があります。
観覧車から降りると、そのまま出口向かってふたりで歩く。
もう辺りは薄暗くなり始めてて、僕達の他にも帰る人がいた。
駐車場に戻って、自分の家の車に向かって歩く。
既に帰った人達もいて、まばらに駐車スペースが空いてた。
僕達の車まではちょっと距離があって、でもふたりでそんな駐車場の中をトコトコと歩いてた。
観覧車の中では、最後は結構楽しく乗れたから僕の機嫌も希愛の機嫌もよくて、僕なんて帰りはどこかに寄って食事して帰るのもいいな……なんて思ってたほどだった。
そんなことを思いながらしばらく歩いて、希愛もニコニコしながら『今日は楽しかったね』なんて話しかけてきてた。
そのとき……僕達のうしろのほうで微かに悲鳴が聞えた。
「?」
不思議に思ってふたりでうしろを振り向いた瞬間、白い車のフロント部分が迫って来てた。
「!!」
突然のことで、なにがなんだかわからなかった。
でもそのとき思ったのは
『避けきれない!』
そう思ったとき、僕の身体が横に飛ばされた。
「!!」
一瞬撥ねられたと思ったけど、そんな衝撃じゃない。
背中を突き飛ばされた感じで、でも肩の辺りに強い衝撃を受けて今度は道路に飛ばされた。
「聖様!!」
「希愛様!!」
聞きなれた声がボンヤリと聞える。
この頬に当たる感触は道路のアスファルト?
僕は車に跳ねられたのか?
身体がちょっと痛かったけど、でも…動かせるし意識もある。
ボーっとする意識の中で、自分で手を動かしたらなんの抵抗もなく動かせた。
「ハッ! 希愛!!」
ズキリと身体が痛むのなんて気にならなかった!
希愛は?
あのとき、僕のうしろにいたはず。
僕の背中を突き飛ばしたのは、きっと希愛だ。
「ダメです! 聖様! 見てはいけません!」
「!!」
いつも僕の傍に付き添ってる護衛の木崎が、自分の胸に僕を抱き込める。
「な…なにを言って……る? は…離せ!! 希愛は? 希愛はどうした! 木崎っ!!」
「今はどうかこのままで。希愛様は……意識をなくされております」
「え……?」
ぎゅっと僕を抱きしめる腕に力が篭る。
「…………」
なんだよ……なんでそんなことを言うんだ。
意識をなくしてるって、どういう意味だよ。
だって……僕はちゃんとこうして起きてるじゃないか。
そりゃちょっと怪我もしたけど、身体だって痛いけど……僕は平気なんだぞ。
希愛だってきっと……
「希愛様! 今、救急車が来ますから! しっかり!」
「!!」
希愛の護衛役の布施の切羽詰った声が聞こえた。
でも……希愛の返事はない。
希愛!
「う……わあああああああ!! ウソだっ!! 離せ! 木崎!! 離せ!! 希愛っ!! 希愛ぁ!!」
「聖様!!」
木崎の腕の中で、僕は力の限り暴れた。
でも木崎はそれ以上の力で僕を抱きしめた。
びくともしない腕の中で、ちょっとだけ隙間のできた木崎の腕の間から見えたのは、アスファルトの上に仰向けに寝てる希愛の姿。
至るところから血が滲んでる。
頭に、いつも淡いピンク色に染まってるぷっくりとした頬に。
特に左足からの出血が酷かった。
「希愛……ウソだろ……」
思わず木崎の背中を両手でぎゅっと握り締めた。
「今、救急車が来ますからジッとなさってて下さい! 聖様も頭から出血なさってるんですよ!」
「希愛……」
木崎の言葉も、僕の耳には届いてない。
それに、なんだか頭に靄がかかったように意識が霞んできた。
情けないことに僕はそのまま気を失ってしまったらしい。
薄れゆく意識の中で、ずっと聞えてくる大人達の騒ぐ声と、救急車のサイレンの音と。
ありとあらゆる音がゆっくりと、僕の頭の中で小さく消えていった。
でも……その中で思うことはただひとつ。
希愛……希愛……どうか……どうか……無事でいてほしい……。
今回の事故は夜のニュースでも大々的に取り上げられてた。
なんせ日本の企業を支えると言われてる「宝仙グループ」の会長の孫と、その許婚でもある「佐方家」のひとり娘がデートの最中に車に撥ねられたのだから。
許婚ということには触れてはなかったけど。
他にも何人か撒きぞいをくって、ケガをしたらしい。
原因はよくある話で、年配の運転手がアクセルとブレーキを間違えての暴走だ。
最初に近くに停まってた車にぶつかって、余計にパニックになりそのままアクセルを踏み続けた。
車は僕達を撥ねたあと、何台かの車にぶつかってやっと停まったらしい。
運転してた年配の男性は無傷だったそうだ。
今から行って、ボコボコに殴ってやりたい衝動に駆られたけれど、さすがにそんなことはできないとわかってる。
僕は頭に5針縫うケガと、数箇所の打撲と擦り傷を負った。
希愛が咄嗟に僕を突き飛ばしてくれたお蔭で、大きなケガは負わずにすんだらしい。
当の希愛は、命には別状はなかったけれど身体に大きな傷を負った。
頭も数針縫うケガをしたし、身体中打撲と擦り傷。
どうやら少し、車に引きづられたらしいと言うことだった。
そして一番大きなケガは左足の大腿骨の骨折で、キズが治っても歩くのに少し不自由になるだろうということだった。
あの日、僕達のことを遠くから護衛していた木崎と希愛の護衛の布施は、責任を感じて仕事を辞めると言ってるらしい。
でも本当は僕も希愛も護衛はいらないと言っていたのに、それでもついて来てくれていたのだから責任を感じることではないと言った。
逆にふたりがいてくれたお蔭で、迅速に救急車を呼ぶこともできたし。
きっと僕と希愛だけだったら、もっと最悪な事態になっていたかもしれない。
だから気にしないでほしいと言い聞かせて、そう思っているのならこれからも僕と希愛の傍にいてくれとお願いした。
僕と希愛は同じ病院に入院してる。
あれから3日、やっと僕も動ける様になって希愛の面会の許可もおりて、僕は希愛に会いに病室まで歩いてる。
希愛……僕なんて庇ったりしなければ、ふたりで一緒に同じケガをしたかもしれないのに。
僕だけこんな軽いケガなんて……まったく、年上の男の面子丸つぶれじゃないか。
そっと「佐方 希愛」と書かれている病室のドアを引いて中に入る。
引き戸のドアは軽い力でも簡単に開いて、音まで静かだ。
希愛の両親が気を利かせてくれて、今希愛はひとりでいるはず。
「…………」
病室に入ると、窓際寄りのベッドで上半身を少し起こした状態で横になってる希愛の姿が目に入る。
目を瞑って……眠ってるのか?
「……聖くん……」
気配に気づいて、希愛が僕のほうに顔を向けると僕の名前を小さな声で呼んだ。
本当に小さな声だ。
「どう……気分は?」
「ちょっと足が変な感じ……」
「そう……」
そんな会話をしながら、僕は希愛が寝てるベッドの足元のほうに腰をかける。
「聖くんこそ……大丈夫? 頭……包帯……」
僕の頭に巻かれてる包帯を見て、希愛の顔がちょっと歪む。
「このくらい大丈夫。希愛のほうが酷いケガなんだから。僕の心配なんてする必要ない」
「…………ごめんなさい……聖くん……」
「?」
「ごめんなさい……」
希愛が僕から視線を外して俯きながら……消え入る声でごめんなさいを繰り返す。
「なんで希愛が謝る?」
「だって……希愛が遊園地なんて行きたいって言わなかったら……聖くんケガなんてしなかったもん……」
ボソボソと小さな声。
「……ホント、希愛はバカだな」
「え?」
僕の言葉に、希愛はビックリした様に顔を上げた。
「今回のこの事故は希愛のせいじゃないだろ? どう考えたって、あの車を運転してた奴が悪いんじゃないいか」
「でも……あの日、あの遊園地に行かなかったら……」
「希愛は行きたかったんだろう? じゃあそのことはいいじゃないか。僕は希愛と行けてよかったと思ってる」
「聖くん……」
希愛はとっても不思議な顔で僕を見てる。
「ありがとう、希愛」
「え?」
さらに不思議顔、相変わらずだ。
でもそんな顔を見て、僕はホッとするんだ。
希愛が……目の前にいるんだって。
「希愛が僕を突き飛ばしてくれたお蔭で、僕は軽いケガですんだ」
「あ……なんだか身体が勝手に動いたの。危ないって思ったら……」
「鈍臭い希愛にしては機敏な動きだったな」
「そうだね……きっと二度とそんな動きできないよ……ふふ…」
かなり失礼なことを言ってるのに、希愛はまったく気にする様子もない。
「もう……二度とあんな目にあわせないよ」
「聖くん?」
急に真面目な話し方になった僕に、希愛がすぐに反応する。
どうしたの? って顔と瞳で僕を見つめるんだ。
「生きててくれてよかった……本当によかった……希愛……」
「聖くん……」
ずっと思ってたことを、僕はそれを素直に希愛に告げる。
本当に思ってた。
病室のベッドの上で希愛が生きてると聞いたとき、僕がどんなに嬉しかったか。
伸ばした手で希愛の頭をそっと撫でた。
うん……希愛はちゃんとここにいる。
僕の目の前にちゃんといる。
「これからは僕が希愛を守る」
「え?」
「希愛は僕のことが好き?」
「…………」
希愛は僕に急に聞かれて不思議顔だ。
それでもコクンと頷いた。
「誰かに言われたから?」
「違う…よ。あの5歳の誕生日のとき初めて聖くんに会ったでしょ? あのときね、カッコいいお兄ちゃんだなぁって思ったんだ。そうしたら聖くんは希愛の許婚で、好きになってもいい人なんだよってパパとママが教えてくれたの」
「そう……」
僕はその言葉を聞いて、とても嬉しい気持ちになった。
やっぱり希愛は自分をちゃんと持ってる。
自分の意思で、僕のことを好きでいてくれてたんだね。
「希愛はまだ10歳だけど、これから先ずっと……他の人を好きになったりしない?」
「聖くんじゃない人のこと?」
「そう、僕以外の男の子のこと」
「うん。好きになったりしないよ」
即答に近い時間で希愛は返事をしてくれた。
これが悩まれたりしたら結構ヘコみそうだった。
「だって聖くんは希愛の大好きな人で、好きになっていい人で……えっと……とにかく希愛には聖くんだけなの!」
そんなセリフを力説する希愛。
ホント君は僕の胸をいつもツクンとさせてくれる。
僕だって……初めて会った君の5歳の誕生日の日、可愛い女の子だなって本当は思ったんだ。
でもそれは希愛にはナイショにしておく。
恥ずかしくて、そんなことは今は言えないからだ。
「じゃあ今日今ここで、僕と約束して? 絶対僕以外の誰も好きになったりしないって。約束できる?」
僕は片手を希愛の寝てるベッドに着いて、少しだけ希愛に近づく。
近づいて見つめた希愛の瞳は、あんな事故があったにもかかわらず強く僕を見つめ返す。
そう……希愛はちゃんと自分の意思を持ってる、芯の強い子なんだ。
普段は鈍臭くてトロくて、頼りないように見えるけど。
でも僕はそんな強い希愛も、頼りない希愛も好きだ。
あの事故で、自分の気持ちを嫌っていうほどわかることができたから。
「約束、できる」
「破ったら……一生誰にも会えないよ。誰とも会えないように希愛を部屋に閉じ込めて、ずっと僕だけのものにするからね」
「わかった」
「本当にわかってるの? 希愛」
まともに聞くと結構怖いことを言ってるんだけど、希愛は気づいていないのか?
「んーーーえーーっと……『あいしてるから』って言えばいいの?」
「!!」
頭に包帯を巻かれ頬には大きなガーゼを貼って、唇の端は切れてて、とにかくそんな痛々しい姿のクセに大胆なことを希愛は言った。
「どこでそんな言葉覚えたの?」
僕は驚きを隠せない。
それに希愛がそんな言葉を言うなんて、また僕の男としての面子は丸つぶれじゃないか!
「えっと……ママが読んでる小説にね…前、ちょっと盗み読んだら書いてあったの」
「なるほど、小説の受け売りか。ガッカリだな」
「え? でも、そのお話の人とは、希愛は同じ気持ちだよ」
「ん?」
「だって、そのお話も相手の人のことが好きだからそう言ったんだもん」
「希愛…」
「多分…」
「くすっ……希愛にしちゃ上出来のほうか?」
「聖くん?」
「希愛」
「なあに?」
「大人になったら、僕と結婚してほしい」
僕は本当に素直に、その言葉を口にした。
病院のベッドで、希愛が生きていると知らされたときから思ってた。
「聖……くん……」
「ああ、してほしいじゃなくて……」
「?」
「結婚するからな。他の誰かを好きになったら許さない。わかった?」
「…………」
真っ直ぐ希愛を見つめてる僕に、希愛はキョトンとした顔で僕を見続けてる。
「希愛! 返事!」
「え? あ…はい……えっと……わかりました。約束します」
横になったまま、慌てて返事をする希愛が可愛かった。
「よろしい」
「あ……」
僕はもっと希愛に近づいて、希愛の小さな唇にそっと触れるだけのキスをした。
12歳と10歳の子供の恋人同士だけれど、僕の気持ちも希愛の気持ちも本気だ。
大人の気持ちに負けないと僕は思ってる。
本当はずっと前から、心の奥では希愛のことが可愛くて愛おしくて仕方なかった。
でもそんな気持ちには気づかないフリをしていたけれど、もしこの事故で希愛がいなくなってたらと思うと、もうそんな変な意地は張ってる場合じゃないと思った。
だからこれからは……思う存分、希愛を好きになる。
そう決めて、僕は希愛の唇に……そっとキスをした。
初めてのふたりのキス。
この初めてのキスに、希愛をずっと大事にするって誓うから……
ずっと好きでいると誓うから……
だからずっと……僕の傍にいて。
希愛と結婚の約束をした3日後に、僕は退院した。
その日の夜に祖父さんの部屋を訪ねて、改めて希愛と結婚を決めたことを伝えた。
祖父さんはちょっと驚いてたけど、直ぐに目を細めて笑った。
『元々結婚は決まっていただろう?』
と言われたけど、本当は断るつもりだったということと、やっと自分の意志で結婚を決めたと伝えた。
そしたら今度は大きな声で笑って、僕の頭をあの大きな手でワシャワシャとされた。
『男に二言はないな?』
と聞かれたから、僕は大きく頷いた。
そのときから僕の希愛への溺愛が始まったんだけど、そんなことを僕が希愛に言うはずもなく。
素直じゃない僕は傍からは見れば、本当に希愛のことが好きなのかと思われるような態度をとり続けることになる。
そんな捻くれた愛情表現に気づいてるのは、親友の真樹だけだけどね。
お互いの気持ちが通じ合った瞬間でした。
このあとは高校生に成長したふたり。
素直じゃない聖に、聖大好き希愛。
どんな高校生活を送っているのやら。