Episode1 #8 Enormous
ジェームズの依頼を二つ返事で引き受けてくれたノアの協力もあって、ジェームズとバートはライバック市警の地下にある死体保管室へと向かうことになった。
「……無茶じゃなかったか?」
市警本部の廊下を歩きながら、先を行くノアにジェームズが問いかける。ノアは別段気にする様子もなく、首を横に振って見せた。
「いや、そんなことはないさ。いくらお前の頼みとはいえ、無茶だったら俺も断ってる」
「ならよかったけど」
そんな二人のやり取りを見ていたバートの中で、一つの疑問が浮かんできた。果たしてこの刑事、何故他の刑事と違って、ここまでジェームズに協力的なのだろうか、と。過去何かジェームズに大きな貸しを作ったとか、そういう関係なのだろうか。はたまたこのトークスの警察の中で、エニグマを取り扱う部署があって、ノアがそれに属しているということも考えられる。それともかなりの実力主義者で、ジェームズの実力を買っているから協力している、とか。いろいろ考えられる可能性はある。
しばらく廊下を歩いていると、突き当りに死体保管室、と書かれた札の貼られたドアが。そこにいた、一人の若い警察官に、ノアが警官の身分を示すバッジを見せると、若い警官はびしっと敬礼して見せた。
「警備ご苦労さん」
ノアが警官にねぎらいの言葉を掛ける。ジェームズとバートは何食わぬ顔でそんなノアの後ろをすたすたとついていったが、特にとがめられもしなかった。
重たい鉄でできた扉の中にあった死体保管室は、ひんやりと肌寒かった。死因や身元に不明な点がある死体を保管するために、室温よりはるかに低い温度に設定されているようだ。
「……意外とザルですね」
思わずぼそりと一言、死体保管室に入ってからバートが呟く。その言葉にノアはどこかバツの悪そうに眉根を寄せて、頭を掻いた。このトークスの首都である警察本部の警備がこの程度の物かと言われてしまった気がして、バツが悪くならないわけがない。
「あー……まあな。だから無茶じゃないって言ったろ?」
「まあ、今回ばかりは好都合だったからいいけどさ」
ジェームズはそうフォローしつつ、きょろきょろと周囲を見回し、"目的の人物に会うため"に番号を探し始めた。
「あー……事件番号いくつだったっけ?」
「015-02236Tだ」
「……02236T?」
死体保管室の壁には、ずらりと無数の青い引き出しが。この引き出しの一つ一つに死体が保存されているようだが――番号を言われてもパッと分かるはずもなく。戸惑うジェームズを見ていたバートは肩をすくめた。
「そんなの、そこにいる人に聞けばいいじゃないか」
バートが指さした先には、一人の男が。しかしその男を見たジェームズとノアの表情は、なぜか凍り付いていて。
「すいません。ちょっと死体探してるんですけど……」
「ちょ! バート、その人に話しかけちゃダメ!!」
ジェームズの制止もむなしく、時すでに遅し。
「へっ……?」
「……ついでに俺の死体も探してくれないかな?」
ぼそりと、バートの目の前の男が言った言葉を聞いて、バートもようやく自分が何をやらかしたのかを理解した。
「私も」
「僕も」
「あたしも死んだとか信じられない!!」
バートが声をかけた男が喋ったのを皮切りに、次から次へと死体安置室に声が響き渡り、がやがやと大きくなっていく。
「え!? 何これ!? どういうこと!!」
自分の周囲にわらわらと白い人型の何かが集まっていくのを見て、バートは困惑するしかなかった。
「あー……もー……」
珍しくジェームズがいらつくような溜息を吐く一方で、ノアは苦笑いを浮かべるばかり。
「まだ死霊と生身の人間の区別が付いていないんだな」
「あの程度の幽霊なら害はないから群がられても構わないけどさ……」
ジェームズ達の視線の先には、白い人型の何か――まあ、幽霊なのだが――にうずもれて、慌てるバートの姿が。幽霊たちは、自分たちと会話が出来る人間を見つけて嬉しいのかもしれない。
「憑依される可能性は?」
「無いだろ」
ジェームズはノアの問いをバッサリ否定。ジェームズとしてはこのまま放っておいてもそう問題はないと思ったようだが――いかんせんうるさい。
ジェームズの口からもう一度ため息が出る。
「……ノア。ホーリー・ウォーター使っていい?」
「やめてくれ。床が水浸しになる。ってかお前、あれ持ってるのか?」
「いや。……僕の場合あれ使うと気分悪くなるから持ってない。じゃあハーブは?」
「拾って掃除できるものならいいが」
「エキスだから却下、と。……じゃあ物理的なのは?」
「やめろ。無害な幽霊を傷つけるな。それ以前に市警本部で武器振り回すつもりか」
「…………」
一通り考えられる幽霊の除去方法をことごとくノアに却下されたようである。苦虫をかみつぶしたようにくちゃくちゃな顔をしたジェームズは、あーあと声と共に今回何度目か分からぬため息をついた。
「……一番面倒くさい方法かよ」
「お手並み拝見だな」
「……わかったよ」
ジェームズは霊にうずもれているバートに近寄り、ぱんぱんと二度、手をたたいた。一瞬霊たちが黙り、ジェームズの方を振り向く。わずかな間の、沈黙。そして次の瞬間、彼は腹の底から大声で叫んだ。
「黙れ黙れ黙れ黙れーっ!!うるさーい!!」
そんな言葉だけで凍り付いた霊たちはまるで蜘蛛の子を散らすかのように四散していき、消えていって。残ったのは、うずもれたままの体勢でしりもちをついているバートだけ。バートは目を大きく見開き、何度かぱちくりと瞬きをしていたまま、黙っていた。
「……大丈夫か?」
しゃがんで、声をかけるジェームズの姿を見て、バートはぽかんとしながらも頷きを返す。
「なんとか……。それより、あの人たちは……?」
「安心しろ。あいつらは単なる幽霊だ。特に害はない。取り憑かれる心配もない」
ジェームズの説明にバートがひとまず安心して胸をなでおろしていると、ノアが愉快そうに笑った。
「ジェームズ、相変わらず見事だな」
「……そんな大したもんじゃないさ。まあ、これが一番平和的でいいんじゃないかな?」
「平和?」
肩をすくめて語るジェームズに、バートが首を傾げた。
「さっき、ここに来るとき言ったろ? 退魔師の実力ってのは7割が気持ちの問題だ、って。ああいう感情を込めた言葉を発するだけで、連中は簡単に逃げていっちゃうのさ」
そういえば、車の中でジェームズはそんなことを言っていたっけ。あの時は単にジェームズの自信過剰を説明する理由でしかないと思っていたが、実際にあれだけの言葉であれだけの霊を追い払ってしまうとは、思いもしなかった。
「……僕にも出来るのか?」
恐る恐る、気になって聞いてみる。ジェームズはその問いに朗らかな笑みを浮かべてみせた。
「きっと出来る。大事なのは気持ちだ。それさえあればどんな怪物であっても凌駕する力が得られる。『アブラカダブラ』なんて言葉であっても、な」
「『パセリ、セージ、ローズマリー、そしてタイム』とかでもいいかもな」
「いや極端な話、『サイン、コサイン、タンジェント。セカント、コセカント、コタンジェント』でも行ける」
ノアが言ったハーブの名前はともかくとして、ジェームズのそれは間違いなく魔除けでも何でもなく、三角関数ではないか。それに、妙に長くないか。いや、確かに呪文っぽい言葉には聞こえるが。
そんな二人のやり取りをぽかんとしてみていると、ノアがバートに声を掛けてきた。
「それにしてもバート、災難だったな。……まあ俺も昔ここでおんなじことやらかしたがな」
「スプルース刑事……霊が見えるんですか?」
ノアの発言に、バートは思わず目を見開く。彼はバートのその様子を見て、再び笑みを浮かてみせた。
「この人、一応退魔師。協会所属の」
「えっ?」
更にジェームズにそう言われ、バートは更に驚いた様子でノアを見た。
「……手弁当だがな。退魔師の業務の監視してるのさ」
退魔師協会は退魔の業務を請け負っているわけではない。退魔師が請け負う業務の特殊さ故に、誰かが退魔師の行いに目を光らせる必要が出てくる。果たしてその報酬が法外ではないか、そもそもきちんと契約は履行されているか、等。監視する人間がいなければならない。それを担っているのが、協会の存在だ。その他にも、退魔師の利益等を守ることも仕事だったりする。彼等の身分を保証したり、今回ウィリアムがジェームズが頼んだように、あまりに大きな危険がある場合は中立の立場にある協会側から特定の退魔師に依頼をすることもある。ただし、報酬はあまりよくないが。
「まあ、退魔師だから霊も見えるさ。ガキの頃は婆さんの霊から昔話を聞いて、子供の霊とサッカーをして育ったもんだ……と言いたいところだが。こういうのが見えるようになったのは軍やめた後からでな」
「……軍にいたんですか?」
バートの問いに、ノアは深く頷いた。
「まだ20代半ばのときにな。このトークスの独立戦争に参加して……いい加減軍に嫌気がさしてな。軍を辞めた」
トークスが一つの国として独立したのは、比較的最近のことである。かつてトークスはスロニア連邦共和国という国の一部だった。だが、スロニアで独裁政権を担っていた大統領の死後、民族間でのいざこざが増えるようになり、真っ先にトークスが独立を宣言した。スロニアの首都機能を担っていたライバックを居城に多くのトークス人の軍人が数日間、命を賭してスロニア連邦軍と戦った。その後多くの国がスロニアから独立したが、それはまた別の話である。
「ノアはさしづめ、トークスの影の英雄だ」
ジェームズのそんな言葉に、ノアはふふっとはにかんで首を横に振った。
「……やめてくれよ。英雄はあの戦いで逝っちまった戦友だ」