Episode1 #7 Unsolved case
「……まあ、フォレストの奴には家庭があるしな。そうヘマもやれんだろうから、俺みたいにおおっぴらに退魔師と付き合えんさ」
「そりゃ分かるさ。仕事も家庭も大事ってのは。僕にだって妻子いたし」
「えっ?」
ジェームズの発言に、ノアとバート、二人が目を剥く。
「ジェームズ……お前既婚者だったのか?」
ノアが、驚いた様子でそう問うた。バートはともかくとして、長い付き合いに見えるノアさえジェームズが結婚していたとは知らなかったようだ。
こんな自由奔放でうるさく、しかも怪しげな商売に就いている男と誰が好んで結婚するのだろうか。そんなバートの視線が突き刺さったのか、ジェームズはへらりと笑って肩をすくめた。
「ああ。一応言っておくけど、遠い昔の話だよ? この仕事就く前のことだって。子供も妻が引き取ったから、もう今は完全な独り身。」
「……別れたのか」
ノアの問いに、ジェームズは特に気にすることもなくさらりと一言。
「まあね。色々あって」
果たして色々とは、何なのか。結婚相手に問題があったのか。それとも考えている通りジェームズに問題があったのか。それはバートには伺い知れぬことであった。
しかし、それ以上に。バートには、今――というかさっきから、気になっていることが。
結局、このノアと呼ばれている男は――ジェームズが言っていた、スプルース刑事なのだろうか、ということだ。たぶん、恐らくそうなのだ。知り合いであり、ジェームズの顔を見るなり『俺に会いに来たのか』と言い、ジェームズに信用されているみたいだし、間違いはないだろうが――。
「あ、ああ。そうだ。紹介が遅れた。……バート。こちら、ノア・スプルース刑事。ライバック市警本部屈指の敏腕刑事だ」
「お世辞はよせやい。ジェームズ」
ジェームズの紹介にノアはどこかくすぐったそうにしつつ、笑ってみせた。
「初めまして。ノア・スプルースだ。よろしくな」
「バーソロミュー・イゾラです。こちらこそ」
バートが、自分の名を名乗ったその瞬間。彼――バートは、異様な既視感に襲われた。
突然の無言。笑顔から突然不思議そうな顔をになったバートを見て、ジェームズは首を傾げた。
「……どうした? さっきから何か、様子がおかしくないか?」
「ああ……いや――」
何なのだろう。この奇妙な感じは。
「スプルース刑事」
「……ん? 何だ?」
「どこかで――お会いしましたっけ?」
バートは恐る恐る、尋ねてみた。そう。彼は確かにいつかどこかで、ノアとあった気がしてならないのだ。それがどこで、いつのことなのかはバートには分からない。しかし、『初めまして』ではない気がしてならないのだ。だが、そう聞かれた当の本人――ノアはきょとんとして、目を見開いていた。
「……気のせいじゃないか?」
ノアにそういわれ、バートはそうかなぁと思いながら首を傾げた。
「警察署にはノア並のコワモテのオジサンなんてたくさんいるから、それと勘違いしたんじゃない?」
ジェームズの指摘に、バートはようやく納得する。言われてみれば確かに、犯罪者を相手にしているせいか、眼光の鋭い人が多かった気がする。だがその一方で、今度はノアの方が首を傾げ、眉間にシワを寄せていた。
「……いや……確かに実際会ったことはないが――どっかで君の名前を聞いた気がするんだが……」
「……それ、多分。バートの名前が10日前のウエストパーク通り(アベニュー)で起きた事件の書類に書いてあるからじゃない?」
「ああ。それか。目撃者の名前だ。昨日届いた書類で見たよ」
ジェームズの再びの指摘に、今度はノアが納得したようだ。
「って、お前……何でそんな目撃者と一緒に居るんだよ?」
「あの事件、悪魔が絡んでて、協会理事のウィリアム通して僕に依頼が来たんだよ。で、行きがかり上バートの身柄を守ることになったんだ。……労基法ギリギリの日当で」
ジェームズがやたら、『労基法ギリギリ』を強調していたようにバートの耳には聞こえた気がする。それはノアも同様だったようで、彼の日給の低さに眉根を寄せた。
「……そんなに不満ならウィリアムに言ったらどうだよ」
「交渉不成立。『サラリー上げたかったら本職の営業成績伸ばせ』だって」
「そりゃ災難だ」
他人事のせいか、あまり災難だと思っていないような声色でノアに言われ、ジェームズは眉根を寄せた。
「それより、協会経由で事件を知ったなら、もうそのバートが関わった事件の資料には目を通したんじゃないか?」
「ああ。それは見た。5W1H全て完璧に読み込んだよ。でもさっきフォレスト刑事にもらったのはその事件じゃない。1年前に起きた、強盗殺人事件の物さ」
「……強盗殺人?」
「ウエストパーク通りで起きた事件だよ」
また、ウエストパーク通りでの事件か。バートがその言葉に反応し、目を見開いた。
「バートは10日前、ウエストパーク通りで霊団を見た。他にも退魔師が死んでいる事件が相次いでいて――彼等もそこの通りで霊団を見た。しかし、それにしても。何故霊団なんてものが発生したか。僕はそう考えた。……そして、考えられる可能性として、その"因縁の地"で、他にも人が死ぬような事件が起きたんじゃないか。そう思ったんだ」
そもそも、霊は自然発生などしない。誰かが死を迎え、魂と強い感情が残って、それが霊となるのだ。この事件に度々現れる"霊団"の存在。それを発生させたそのきっかけは、場所にあるのではないか。霊は遠距離を移動できる個体も存在するが、大抵はその場所に囚われている。したがって、まずその原因を"場所"に求めるのが退魔師たちの定石だ。
あまりにその霊の感情が強ければ、それは他の物の怨念や他の霊を呼び寄せ、塊となる。そうしてできたのが霊団であり、今回はそれをバートや死んだ退魔師たちが目撃したのである。
そのため、ジェームズは今回の事件で退魔師やバートが見た霊団をまず特定するために、『ウエストパークアベニューで発生した』、『凶悪事件』が『過去数年以内』にあったかどうかを調べたのである。
その条件に見事合致したのが、今回フォレスト刑事から貰った事件の資料だったわけだ。
「……1年前っていうと、若い女性が殺された事件か?」
ノアの問いに、ジェームズは小さく笑みを浮かべた。
「ビンゴ。流石敏腕刑事殿」
「……そういうお世辞はやめてくれよ。あまりに悲惨な事件だったから覚えているだけの話さ」
「悲惨な事件?」
バートの問いに、ジェームズとノアは同時に頷きを返した。
「君より少し若いぐらいの女性が被害者だった。夜、会社帰りにあの道を通ったらしくてな……ナイフでめった刺しにされて、有り金を全部奪われた。ごく普通の生活レベルにいた女性が財布の中に入れられる金額なんて、たかが知れてる。……彼女は、たったそれだけの金と共に、死んだんだ」
若い女性が、たったそれだけの為に。その言葉が、酷くバートの心を抉った。
「……犯人は?」
胸に響く嫌な痛みを感じながらも、恐る恐る、バートはそれをノアに聞く。聞かれた本人は眉根を寄せて、溜息を一つ吐いた。
「遺留品のナイフには犯人のものと思しき指紋がべったり付いていたんだが――君も知ってるだろ? ウエストパーク通り自体、夜になると人通りがめっきり減る。……それで、目撃者が出なくてな。捜査は難航して、1年経った今でも犯人は捕まらず、だ……」
この国の警察もそこまで無能ではない。集められる証拠は集めたし、多くの人に聞きこみもした。しかし、犯人の行方が分からないというだけで、ここまで苦しむことになるとは。
二人が会話している間、ジェームズは再びその事件のファイルに目を通し、そして二人が黙ったころを見計らうかのように、ぼそりと呟いた。
「……ノア、このナイフに付いた指紋、かなり特徴的じゃないか? ……親指の指紋なんだけど」
「……指紋?」
「指そのものに、深い切り傷がある。……古傷じゃないかな?」
ジェームズがノアに見せた資料には、遺留品の指紋の写真が載っていて、その写真の一枚――親指と思われる指紋である――には、確かに深い"裂け目"が斜めに入った、指の指紋が写っていた。
「……確かに。――だが、それがどうした?」
「これさえあれば、ひょっとしたら、1年前の事件の犯人を見つけられるかもしれないのさ」
ノアの問いに、ジェームズはその口元にニヤリと笑みを浮かべた。しかし、犯人を見つけるとは――目撃者がいなかった事件の犯人を、一体どうして見つけるというのだ。
「お前、本気か?」
ノアの問いにジェームズは笑ったまま肩をすくめて見せた。
「……考えられる、可能性がある。それへの賭けだ。どう転ぶか分からない」
考えては、いた。
何故。バートが見た事件と、今までの殺された退魔師が遭遇した事件。その両者ともに『霊団』の存在がありながらも――死因があそこまで違うのかと言うことを。
もしすべての事件に悪魔が関与していて、その悪魔が殺しを楽しんでいる――あるいは殺しそのものを目的としているのであれば、すべて手口は同一か――あるいは殺害方法が全て違うものであるのが妥当だろう。
しかし、バートの事件では被害者は破裂し、他の事件では被害者の腹部に穴が開いている。4件中1件のみの違い。これは何故、起こりえたのか。バートが見た1件は、何故他の3件と同じ殺害方法ではなかったのか。それをずっと、ジェームズは考えていた。
そして、今回の事件の資料を読んで、ふと思ったのである。
――ひょっとしたら、バートが見た事件こそが"そもそもの犯人の目的"であり――他の3件は魔力を貯めるためか――悪魔自体が独自に行った殺しなのではないか、と。そうだとすれば、そこから一つ、とんでもない仮説が浮かび上がってくる。
ジェームズはフォレストから貰った資料をファイルにしまい、それを車の後部座席に置くと、ノアの方を改めて見てから口を開いた。
「ノア、今度こそ協力してほしい。……10日前、バートが見た事件の、被害者の死体を見たいんだ」