Episode3 #18 What are we?
「大丈夫だって。僕が"保証"する」
ジェームズのその言葉にバートはため息を一つ吐き、そしてゆっくりとヴィバリーの手を放した。
一体何をするつもりかは分からない。だがこの男のことだから、ヴィバリーを逃がすつもりではないのは分かる。
しかし逃げるかどうかはヴィバリーの意志だ。それをどうやって彼がコントロールするのだろう。
バートがそんな疑問を抱いた、その直後のことだった。
「さて、ミズ・デルフォード。最後の穏便な方法として、もう一度素直にお聞きします。……貴女はマーガレット・デルフォードがどこに監禁されているかをご存知ですよね?」
ジェームズの問いに、ヴィバリーは首を横に振った。しかしその視線は嫌に泳いでいて、嘘を吐いていることはバートにさえ分かった。
「し、知らないって言ってるでしょ」
「嘘を吐くのはやめた方がいい」
「そんなの! マーガレットがどこにいるかなんて私の方が知りたいわよ!」
「ふぅん」
再三の忠告にも関わらず、ヴィバリーはシラを切るつもりのようだ。それはバートにも分かった。
だが、このままでは埒が明かない。バートがそれを感じたそのとき。
ジェームズはヴィバリーの首を鷲掴みすると、壁へと彼女の背を叩き付けたのだ。
「……嘘はつかないほうがいい。そう言った筈だ」
突然のジェームズの行動に、バートは目を丸くして固まってしまった。
目の前の悪魔が、一般人の首を絞めかけているというその光景。いくら相手が殺人の容疑者とはいえ、容赦がない。
ヴィバリーは辛うじて口を開き、パクパクと呼吸している。だがそれを見て、ジェームズは何故かニヤリと笑みを深くした訳で。
信じられないことに、ジェームズはヴィバリーの口に手を突っ込んだのだ。
「あぐっ……!」
「……悪い舌だ。真実を告げず、己の罪を深くし、自らを破滅に導く舌」
そう語るジェームズのその黄緑色の瞳は、酷く汚いものを見るようにヴィバリーを見下すような眼差しを湛えている。
「ぅ、ぐぅっ……!」
ヴィバリーが苦しみの声を上げていることさえ無視し、彼は突っ込んだ手で彼女の口の中を探る。ぐちゃ、ぐちゃと嫌な水音が響く。
そんな光景に、声を上げる人物が一人。
「やめろ!!」
マルヴィナだ。彼女は携えた剣を引き抜き、そしてその先をジェームズに向けたのだ。
「メフィストフェレス! 人間を傷つけるつもりか!」
しかしジェームズはマルヴィナにそう言われても、特に驚く様子も無く、むしろぎろりと彼女を一瞥してから口を開いた。
「そこに伏せてろ」
ぼそり、と。一言だけ。その瞬間マルヴィナの身体が勢いよく地面に叩き付けられた。ジェームズはマルヴィナに指一本触れていないにも関わらず、だ。
あっけに取られる一同を他所に、ジェームズは特に気にしてはいなさそうだった。
「僕は彼女を傷つけるつもりなんてないさ。……第一、僕をその名前で呼ばないで欲しいんだけど?」
メフィストフェレス。"光を愛さない"を意味するその悪魔の名を知る者は、少なくはないだろう。
ジェームズが、その悪魔。
ドイツに実在したと言われる錬金術師のファウスト博士を唆して契約を結び、契約の切れた24年後、彼を残忍な方法で殺害した恐るべき悪魔。
ジェームズが、その悪魔?
バートがその疑問を抱いたその直後、今度はアルフレッドが銃を引き抜き、悪魔の頭目がけてその引き金を引いた。
しかし、その弾丸はメフィストフェレスと呼ばれた悪魔の頭を貫くことは無く、一気に弾速を落として途中で地面に落ちたのだ。
これにはアルフレッドも驚きを隠せず、目を見開いた。しかし、アルフレッドもここで固まっている場合ではないとは分かっていたのだろう。
更に引き金を引こうとするアルフレッドを見て、悪魔は舌打ち一つ。
直後、アルフレッドの身体もその体勢のまま凍り付いたのだ。ぴたりと、まるで彫像のように。
あの悪魔が何をしたのかは、バートには詳しくは分からない。しかしこの悪魔の仕業で、マルヴィナとアルフレッドが身動きを取れなくなったことだけは事実だ。
その光景を見てサイモンは手を出すのを止めたらしい。この悪魔の機嫌を損ねたら、自らの抵抗の有無に関わらず凍り付いたまま放っておかれるとでも思ったに違いない。現にバートはそう思っていたし、サイモンと目が合った瞬間、彼はバートに「手を出すな」とジェスチャーで示した。
ようやく邪魔がなくなった所で、悪魔はヴィバリーの口に手を突っ込み、そして。
ぐい、と。彼女の舌をその手で掴み、引っ張り出した。
「あがぁっ……」
苦悶の声を上げる女。悪魔はそれにサディスティックな笑みを深くした。
見開かれるヴィバリーの眼には涙が。舌を引かれ口からは唾液が。女は舌を引っ込めようと逃げようとする。その隙にぬるりと手が滑り、舌を掴み損ねる。
悪魔は再び舌打ちをして女の口をこじ開けると、舌の根をむんずと掴む。女は痛みか、それとも恐れか。身体をわなわなと震わせ、甲高い声で叫ぶだけ。
しかしその悪魔はそれさえもを心地よい音だと言わんばかりに笑い声を上げた。
しまいには暴れ出す女に、悪魔は首を掴んでいた手に力を込める。女はぎゃあと言葉にならない悲鳴を一度上げると、大人しくなってしまった。
それを見計らい、悪魔は笑顔のまま低い声で囁いたのだ。
「サァ。悪イ舌ニハ、ソレ相応ノ呪イヲ与エヨウ」
今まで聞いたこともない、悪魔の低い声。いくつもの声が何重にも重なり、不協和音を響かせるその声に、バートは身震いした。
これが、こいつの本性なのか。
唖然として立ち竦むバートの目の前で、悪魔は笑みで顔を歪めたままヴィバリーの舌から手を放し、次にはその首から手を放した。
彼女の身体は重力に従って壁を伝い、地面へと崩れ落ちたが、意識はあるようだ。ヴィバリーは悪魔をまっすぐ見据えたまま、石像の如く固まっていた。
「……さあ。ミズ・デルフォード。今度こそマーガレットの居場所を教えてもらおうか?」
「…………」
ヴィバリーはそれでも抵抗を試みたつもりらしい。ふるふると首を横に振る。悪魔はその黄緑色の両目で女を睨むと、口を開いた。
「今! すぐに!」
悪魔の強い口調にヴィバリーはびくりと身体を震わせた後、か細い声で、とつとつと言ったのだ。
「家の……居間の床下……。そこの、倉庫に……」
その言葉を聞いて悪魔はサイモンとアリシアに目配せをする。どうやらお前らが行って来いと言いたげだ。二人もそれは察したらしく、急いでヴィバリー邸へと向かって行った。
二人の背中を見送ると、悪魔は着けていた手袋を外し、地面へと落とす。そしてすぐに靴のかかとで勢いよく手袋を踏みにじる。
じり、と。アスファルトにゴムが擦りつけられる音が聞こえた。
「……ジェー、ムズ」
今まで、自らの目の前で起きた出来事。バートは魂が抜けたかのようなぼんやりとした声で、彼が知るその悪魔の名を虚ろに呟いた。
彼――ジェームズはそれを聞き、いつもの平然とした表情でバートの方を振り向いた。
「ん? どうしたバート」
その言葉に、バートは訳が分からなくなっていた。
彼は、一体何者なんだろう?
「ジェームズ……君は――」
バートが呆然としたまま口を開いた、その瞬間。
「ジェームズ」
バートの後ろから、サイモンの声が聞こえた。振り向けばそこには、マーガレットを抱きかかえたサイモンの姿があった。アリシアも一緒だ。
「……マーガレットはいた。居間の床下にな」
「容体は?」
ジェームズの問いにサイモンは無表情のまま口を開く。
「安心しろ。眠っているだけだ」
「他に異常もないみたい」
更にアリシアが付け加えた言葉に、バートは胸を撫で下ろした。
これで、事件は終わった。
動機は今の所不明だが、マーガレットを連れ去って監禁したのがヴィバリーであることに間違いはなさそうだ。それだけでも、彼女の身柄を警察に連れていくには十分な理由になるだろう。
とりあえずマーガレットはヘンリーに預け、ヴィバリーは警察を呼んでどうにかしてもらおう。バートはそう考えた。
しかし、これだけで話が終わる筈がなかった。
「メフィストフェレス!」
今度は、マルヴィナの声が。どうやら戒めを解かれたらしい。彼女は仁王立ちでこちらを鋭く睨み付けていたが、ジェームズが彼女の方を振り向いたのを見て、かつかつと大きく足音を立てながらジェームズへと近づき剣を引き抜いた。
「貴様……自分の立場を分かった上での行動か!」
「立場?」
「貴様は監視される身でありながら狼藉を働いた! それは我々に対する反逆を意味する!」
ひゅんと風を切る音と共に、彼の喉元に刃先が突き付けられる。ほんの一突きすれば容易く刺し殺せるだろう。しかしジェームズは目をうっすらと細めるだけ。
「……狼藉、ねぇ? 君の優先順位はどうなってるんだよ」
「私の使命は貴様らのような……」
「マルヴィナ!!」
怒りを露わにするマルヴィナを制止する、サイモンの声。マルヴィナはそれにびくりと身体を震わせた。
「……それ以上は手を出すな」
「だが……!」
サイモンのその発言に、マルヴィナも抵抗を示す。しかしそれでも彼は、鋭く彼女を見据えて口を開いた。
「我々が最も守るべきものは、マーガレットの身の安全だろう。"ジェームズ・フォータス"はその目的の為に力を揮った。それは責められるべきことか?」
「その判断は"私達"がすることで――」
「なら君がヘンリーを刺したことも彼等に報告すべきだろう」
サイモンのその言葉に、マルヴィナは言葉を失った。
「……"適切"な"君達"の"判断"のためには、そうせねばなるまい」
悪魔の側にも天使の側にもつかない中立のデーモンの絶対数は少ない。だが、中立のデーモンは人間とは密接な関係にある者が多い。故にこの物質界で活動する天使や悪魔にとって、彼等は協力者たりうる存在になる。
そんなデーモンを傷付けたとなれば、天上の教会はマルヴィナにいい顔はしないだろう。
「わ、私に嘘を吐けと言うのか」
「そうは言わない。ただ、君の権限で見逃せと私は言いたいだけだ」
サイモンの発言にマルヴィナは苦悶の表情を浮かべて歯を食いしばった後、視線を揺らしていた。そして、しばしの思案の後、彼女は舌打ち。どうやら見逃すつもりらしい。
ジェームズは、サイモンを見て肩を竦めてから口を開いた。
「感謝する。サイモン」
「勘違いしないで欲しい」
「は?」
今度はジェームズを突き放すような発言。彼はそれに大きく目を開いた。
「今回はお前が我々に貸しを作っていた。だから私は庇ってやっただけだ。今度人間に手を上げれば、その時は容赦しない」
サイモンはそう言いながらジェームズにマーガレットの身柄を渡す。眠っているマーガレットを受け取ったジェームズはと言えば、サイモンに何か言いたげに眉をしかめてはいたが、特にそれ以上言葉を発する様子も無かった。これ以上サイモンをからかうのは野暮だとも思ったのだろう。
「ヴィバリーの身柄はこちらで預かる。……お前も事情聴取を受けるとややこしい身だろう」
「全くで」
これで、本当にバート達にとっての事件が終わった。今度こそ、バートはそう思った……のだが。
その瞬間、同様に戒めを解かれたアルフレッドの銃口が、ジェームズの方を向いていた。
バートがそのことに気づいた時には、既に引き金を引く直前で。
間に合わない。その事実を悔いるより早く引き金が引かれたその瞬間、弾丸が発射されることは無く、銃は虚しい金属音を立てて止まった。どう見ても弾切れだ。
「なっ……!」
アルフレッドは動揺を隠せなかった。当たり前だ。拳銃に入っていた筈の弾丸が消えてなくなるなんて、普通ある筈がない。
「ふっ……あはははははははっ!!」
アルフレッドの驚きように、ジェームズは大笑い。彼はげらげら笑いながら、自らのポケットからある物を取り出した。
拳銃の、弾。アルフレッドはあっと声を上げ、黙ってしまった。
どうやら、これがアルフレッドのものらしい。ヴィバリーに呪いを掛ける前、アルフレッドがジェームズに向けて撃ったことがあった。あの時に彼は何らかの術を使い、アルフレッドの拳銃から弾だけを取ってしまったのだろう。
大笑いをするジェームズに、アルフレッドは鼻白んだ表情を浮かべ、舌を打つと拳銃をしまって溜息を吐いた。
そして何も言わず、彼等はヴィバリーを連れて去って行ってしまったのだ。
本当に本当に、これで終わったのだ。恐らく、彼女の身柄は警察に突き出されるだろう。あとは、マーガレットをヘンリーのもとに連れていけば終わりだ。
しかし、気になることは沢山ある。特にジェームズのことで。
「バート」
バートがそう考えていた矢先。今度は先程まで口を噤んでいたアリシアが言葉を発した。
何かと思ってそちらを見てみれば、彼女の表情は恐怖で酷く固まっていた。
一体何がと思えば、彼女の口から出た言葉は。
「バート、その服の穴、どうしたの……?」
「へ?」
服の穴。そう言われて彼はようやく、自分の上着に開いた穴の存在に気が付いた。ちょうど、腹の辺りに一つ開いている。あまり大きくない穴だ。しかも穴の周りは何かで燃えたらしく、焦げている。
しかし幸いにも、身体には傷一つ無い。
いや、これは幸いと言うべきなのか。
何か嫌な予感がして、辺りを見回したバートの眼に入って来たのは――猟銃の、弾。何かに当たったらしく、その弾の頭は潰れていた。
これは、つまり。
先程、バートがヴィバリーを取り押さえた時、彼女がライフルの引き金を引いた。
バートはその時、弾が当たらなかったと思っていた。だが、その考えは間違っていたようだ。
当たらなかったのではない。当たっても、効かなかったのだ。
そしてその時、バートは教会を出る前のジュリアの様子を思い出し、そして悟った。
ああ、あの時彼女が慌てた様子で自分の身を案じ、そしてその後安堵した様子で『気をつけろ』と言ったのはつまり――この光景を見ていたのか。
これで、何故ジュリアが自分を心配したのかがよく分かった。しかしその問いは、新たな疑問を呼ぶばかりだ。
果たして、ジェームズは一体何者なのか。悪魔であることは間違いないのかもしれない。
しかし、マルヴィナは彼をメフィストフェレスと呼んだ。この世界でもかなり名の知れた悪魔が、こんな小さな国に何故?
そして自分は一体何なのか。
人間であることはジェームズが保証してくれた。しかし、単なる人間が、身体に当たった弾丸をはじき返せるのか。とてもじゃないが、自らが人間だとは思えそうにない。
「僕は……いや、僕等は一体……何なんだ?」
バートがどこか空虚に満ちた表情で、そう呟く。
その問いに答えてくれる者は、この空間には誰もいなかった。




