Episode3 #5 The Master
「恐らく、最低でも数時間経たないと件のデーモンの位置は把握できない」
アルフレッドがダーナ殺害に関わったとされるデーモンを逃がした直後のこと。サイモンに電話で連絡を入れたアルフレッドが、最初に言われた言葉がそれだった。
何故だと問うアルフレッドに、サイモンは逆にあることを聞いてきた。
「例のデーモン、光を反射させたり攻撃を防御したりしなかったか?」
何故、それをサイモンが知っている。この男は千里眼でも持っているのか。アルフレッドが怪訝な様子で「その通りだ」と言うと、サイモンはその仕組みを説明しだしたのだ。
デーモン達が"気配"と呼んでいる物は、物理現象で言う所の"波動"に極めて近い。
波動と言うと、一般的に酷いオカルト詐欺の代名詞のように思われるが、物理現象で言われる波動はそうではない。
そもそも波というのは、媒質―電磁波は別であるが―の振動が次々と伝わっていく現象を指す。
例えば水面に石を投げた時、波は石を投げた箇所から次第に円となって周囲へ伝播する。この場合、石を投げた箇所―これを波源と呼ぶのだが―の水面は上下している。つまり、水は上下に振動しているだけなのだ。その振動が円形に次から次へと伝わっていくことが、波動なのである。
海の波というよりも、そのイメージは球場などで観客達が時折やるウェーブに酷似しているだろう。観客たちはただ立ち上がり、そして座るだけ。しかし波そのものは移動しているように見える。
ところでこの波というものには、興味深い現象がいくつかある。その中に、干渉と回折、そして反射というものがある。
干渉は複数の波が重なり合うことによって起こる現象だ。波には山と谷があるのは、水面に揺れる波を見たことがある人なら知っているだろう。その山と谷が重なり合うと互いを打ち消し合い、山同士、あるいは谷同士が重なり合うと山及び谷の大きさが大きくなる。これによって本来の波とは違う波の形が観測されるのだ。ちなみにこれは、ノイズキャンセラー付きのヘッドフォンなどに応用されている。外側からサンプリングした音を分析し、同じ音の山と谷とを重ね合わせることでノイズを消去するのだ。
次に回折。これは波が障害物に回り込んで進む現象だ。基本的に波は障害物があるとそれを迂回する形で進むのである。身近な例で言えば、垣根越しに聞こえる声などだ。もし波がまっすぐに進むだけならば、垣根越しには人の声は聞こえないだろう。
そして反射。これは文字通り障害物にぶつかった場合、波が跳ね返る現象だ。やまびこや鏡などは代表的な例で、反射が成立しなければ鏡もパラボラアンテナもこの世にはなかっただろう。
そして、今回のデーモンの気配が察知できないのも、これらの現象を踏まえて説明される。
彼等の"気配"とされるものも、波と同様のアナロジーだ。つまり、デーモンが波源、気配そのものが波なのだ。サイモンの行使する魔術は、発生する波を拾い上げ、そこから波源を特定して位置を把握する。
しかし、今回のデーモンの能力はまさに"反射"と"回折"を起こすのだ。無数に反射し、回折した波は重ね合わせによって干渉しあうため、形が大きく変わる。しかも単純に干渉を起こすわけではない。大抵こういうデーモンは自らの気配を複雑に干渉させあう為、波源を特定することが難しくなってしまうのだ。
デーモンは今回、アルフレッド達に襲われてかなり警戒している筈だ。しばらくは自らの気配を隠すことに徹するだろう。それぐらいお茶の子さいさいであるはずだ。現に、今はあのデーモンの位置が分からない。死んだとも思えない以上、あのデーモンは反射によって気配を隠す能力を持っている。
「とにかく、今は帰ってこい。そしてしばらく休め。アイツを追うのは夜が明けてからでも遅くはない」
――どうせ、マルヴィナがデーモンに付けた傷はそう治ることはない。
サイモンがそう付け加えたのを聞いて、アルフレッド達は大人しくサイモンの指示に従うことにした。
デーモンの気配がはっきり分かるようになったのは、夜が明けてから大分先。11月5日の、午後3時を過ぎた頃だった。
しぶとい奴だ。半日以上経っている。
暗室に置いた地図にようやく浮かんだ光を見て、アルフレッドはそう思った。マルヴィナがあのデーモンを剣で刺した傷が、ようやくここまで待って効いてきたのだ。
デーモンは、基本的に不死身だ。深手を負って出血したとしても、ものの数分で血は止まるし、例のデーモンが負った程度の傷であれば、30分もあればふさがってしまうだろう。
しかし、マルヴィナの剣には、特殊な呪いが加工されていた。それは、彼等の傷の治りを遅くするというもの。人程度の治癒力になることはない。だが、これによって傷の治りが遅くなれば、その分体力は格段に落ちる。そうなれば、まともに能力を使うこともかなわなくなる。
そして、遂に気配を隠すことをあきらめたのが――今という訳だ。恐らく死ぬことはない。だが、追い詰めるのならば今のうちだ。今回は念のために、サイモンとマルヴィナにも同行を頼む。
サイモンが魔術で見つけた場所は、GSCのオフィスからそう遠くはなかった。車で数分程の距離。建物が密集した、狭い道。そこに奴はいるらしい。デーモンに場所を悟られないように遠くに車を停め、まずマルヴィナがデーモンの場所を"見る"。
マルヴィナは無言で頷いた。どうやら間違いない様だ。三人は互いに頷き、狭い道を駆け出した。
周囲に反響する足音。マルヴィナを先頭にして、彼等は道を進む。
そして。奴は、居た。
奴は壁にもたれ掛かり、苦しそうに肩で息をしながら立っていた。マルヴィナに貫かれた肩は血で真っ赤にそまり、腕を伝って床にまで赤いシミを作っている。
デーモンは彼等の出現に一瞬驚いたものの、すぐにその灰色の瞳を敵意で燃やし、睨み付けた。どうやら、最期の抵抗らしい。
だが、アルフレッドにはそんなこと、どうでもよかった。
「……ようやく、見つけた」
彼は携えていた拳銃の銃口をデーモンに向け、ぼそりと呟いた。手が、震えた。否、恐れからではない。彼はそのままかつかつと足早に進み、その銃口をデーモンの頭に押し付けたのだ。
サイモンが呆気に取られている様子だったが、アルフレッドは気にしなかった。
「最期に何が言いたい? 聞いてやる」
デーモンは敵意をむき出しにしながらも、アルフレッドの言葉に、ぜえぜえと息を切らしながら――言ったのだ。
「……君は、本当に……が…………とでも思っているのか?」
「……は?」
既に限界なのだろうか。切れ切れにしか聞こえない声。それでも目の前のデーモンは、咳ばらいをしてから再び口を開いた。
「……君は……私が、本当にマーガレットの母親を……殺したとでも、思っているのか?」
「……何をくだらないことを」
――聞くだけ損した。アルフレッドは今の言葉に、心底そう思っていた。
今の今になって、自らの罪を認めようとしないとは。証拠は全て、このデーモンが犯人であることを示していた。
それがあって、一体何を今更惑わすような言葉を吐く。今更自らの罪から逃げるような言葉を吐く。
――駄目だ。考えれば考えるほど、腹が立つ。
舌打ち一つ。奥歯をぎりと噛む。拳銃のグリップを握りしめる。
もはや一刻の猶予も要らない。こいつは、俺が殺す。
抵抗する様子さえないデーモンの頭。それを銃で撃ち抜こうとしたその瞬間の、ことだった。
ふ、と。周囲が一瞬暗くなった。咄嗟にその闇に、アルフレッドは持っていた銃を向ける。
デーモンよりも、この空気が異様だ。アルフレッドはそれにすぐ気づいたのだ。だが、その中でも一番最初に動いたのは、マルヴィナだった。
しかし異様な気配を感じた彼女が、携えた長剣を引き抜こうとするより早く、その"黒い手"が彼女に迫る。
「がっ!!」
黒く大きな手は、彼女の身体全体をその掌で突き飛ばし、一瞬にして無力化させたのだ。昏倒するマルヴィナを見て、サイモンは驚きを隠せない様子だった。
彼は手に持った棍を構え、その闇を睨んでいる。しかし、"そいつ"は特に気にすることもなく、指を一つ弾いた。
刹那、今度は上から無数の黒い小さな手が。グロテスクに蠢くそれは、降り注ぐと同時に檻の形となり、容易くサイモンを閉じ込めたのだ。
「ふざけるな!! これはどういうことだ!!」
サイモンは思わず叫んで檻を揺らしたが、一向にびくともしない。
一瞬にして、二人が戦闘不能になった。その事実にアルフレッドは、寒気で身震いした。
間違いない。あいつしかいない。果たして、奴と再会するのは何年ぶりだ。かなりの時が経った気がしてならない。しかし、それでいながら全く衰えることを知らない、圧倒的な強さ。
今度は上から奴が襲い掛かるが、それはアルフレッドには見えていた。
そいつに照準を向け、数回引き金を引く。しかしその怒りを含んだ凶弾は、奴を取り巻く周囲の闇がはじき返す。
その上、黒い闇の中から巨大な拳がアルフレッドに向かって、彼の頭上へと落ちてきたのだ。
これは流石に躱すしかない。アルフレッドが後ろに飛びのいたその直後。どすんと重く鈍い音を立てて、黒い大きな拳が地面を揺らした。
あとコンマ何秒か遅かったら、腕か脚をあの拳に持っていかれていた。そう彼は咄嗟に判断したが、しかしその直後。ふと、別のことを思ってしまった。
――いや、この男に限って、自分を傷つけることはない。こいつは自分が回避できることを十分承知していた上で、この一撃を放ったのだ。
それを考えると、アルフレッドは酷い苛立ちを覚えた。まるで、自分で遊んでいる。そう思えたからだ。
「……いい加減その影から出てきたらどうだ」
自分の目の前に落ちてきた、黒く深い闇。それに銃口を向けて、吐き捨てる。闇は愉快な笑い声を響かせるかの如くざわざわと蠢き、やがて人の形を取り始めた。
今目の前にしていた闇の如く黒い髪。同じように濃い灰色のダークスーツ。そして、それには似つかわしくない程に白い肌。魔性を湛えた黄緑色の瞳と――耳に付けた魔よけの銀のピアス。間違いない。あの男だ。
「俺の邪魔をするとは……」
アルフレッドの唯一の師。5年前、ある事件を機に袂を分かち……今は宿敵の男。
「どういうつもりだ! ジェームズ・フォータス!!」
びりびりとその空気を震わせるかの如く、アルフレッドはその男の名を呼び、吠えた。
怒りと、殺意と、堪え難い負の感情を込めて。
一方で、闇から出てきたジェームズは特にそれを気にする様子もなく。ただ、彼は後方にいるデーモンを、その黒い手の化け物――グラスプで庇ってから口を開いた。
「仕方ないだろ? 3人ものレディにどうしても、って懇願されちゃってね。……紳士のたしなみってやつだよ」




