Episode2 #12 Tarantula
「ええっと……それで……」
ジュードと出会った経緯を大方シドニーに話したバートは、ふとそうこぼした。
「どうして今そんなことを、僕に聞いたんですか?」
バートのそんな質問に、シドニーから返ってきた言葉と言えば。
「ん? 単なる個人的な興味だな」
バートは思わずずっこけ、ダフネ女史とクリスはため息を一つ。ウィリアムは特に反応しなかったようだった。
「まあ、そんなに落胆せんでくれ。ニュースが二つあるんだ。一つはいいニュース。もう一つは悪いニュース」
「いいニュースは?」
間髪を入れずに、ダフネ女史が呆れた様子でそうシドニーに問う。彼は特に気にする様子もなく、笑っていた。
「ウィリアムから渡された件の……例のレナード宛のだ。その手紙の解析結果が分かった」
「じゃあ、悪いニュースって?」
「その手紙の正体がタランチュラだった、ってことだ。ジェームズとジュードの所にもこいつが届いていた可能性は高い」
「……タランチュラ? 毒蜘蛛の?」
あまりの禍々しい名前に、バートは驚きを隠せずにそう問うと、シドニーは『よくぞ聞いてくれた』と言わんばかりに目を爛々と輝かせ、頷いた。それを見ていたダフネ女史が、どこか嫌そうに顔をしかめていた。
「そう。毛むくじゃらの毒蜘蛛だ。大抵の人はタランチュラを『凶悪な有毒動物』と見るが――それは何故か。分かるか?」
「……分かりません」
バートが真面目に首を横に振る。それを見ていたダフネ女史の顔が更に険しくなったことに、バートは気づく術はなく。次の瞬間、シドニーは軽く息を吸って――そして口を開いた。
「タランチュラの語源はイタリアの港町タラントに由来している。16、7世紀の話だ。タラントでは毒蜘蛛に噛まれると『タランティズム』という病気を発症するとされてな。死なないためにはタランテラという踊りを踊らなければならなかった。この踊りからタランテラの有名な曲をショパンやチャイコフスキー、ドビュッシー他にも多数の作曲家が作曲しているから聞いてみるといい。で、肝心の蜘蛛の毒性だがタランチュラと称される蜘蛛の大抵の毒は人体にほとんど影響を与えない。つまりタランティズムは迷信だったわけだ。実際の所タランティズムの正体はヒステリー症だと考えられていてな。タランチュラはとんでもない濡れ衣を着せられたという所だ。他にも同じ地域に猛毒を持つジュウサンボシゴケグモという小さな蜘蛛が生息していてそれとタランチュラを勘違いしたという説もある。まあどちらにせよ凶悪な蜘蛛という印象が強い訳だ。しかし実際のところそれは大間違いだったし極めて子煩悩な蜘蛛でな。自分の子供を腹に載せて保護し移動するという習性を持つ。なかなか可愛らしいだろう。それにヒステリーというのは……」
「シ・ド!」
よどみなく、息継ぎもほとんどなく。止まる様子の無い説明に圧倒されるバートを見かねたのか、ダフネ女史がたまりかねて遂に口を開く。シドニーはしばらく黙った後、ああと頷いて、何かをごまかすように少し笑った。
「とにかくだ。私が今言っている『タランチュラ』は毒蜘蛛そのものではなくて、この手紙のことなんだ」
そう言いつつシドニーがバートたちに見せたのは、一枚の手紙。アルファベットで書かれてはいるが、どうやらトークス語ではなさそうだ。
「……何語ですか? これ」
「ラテン語だ」
シドニーはバートの質問に答えた後、そのタランチュラの概要を語った。
タランチュラは、いわゆる『呪い』の一種である。もっと詳しく言うと、『手っ取り早く悪魔や天使連中に言うことを聞かせる呪い』なのだそうだ。
その呪いを成立させるために、2種類の事項が基本的に盛り込まれることも含めて、悪魔との契約手続きと似通っているらしい。
まず基本的事項。契約を口外してはいけない、この呪文の効力がある限り、術者を傷つけてはいけない等の、術者自らの身を守る事項だ。
それと、従わせたい事柄を出来るだけ詳しく書く。この2種類を盛り込めばほとんど完成だ。あとは、その言うことを聞かせたい悪魔などに見せるだけでいい。
しかし、韻を特定の回数以上踏む、ラテン語及びヘブライ語、古代ギリシャ語で書かなければいけない等のルールも多い。だがそういう厄介なルールがあったとしても、その威力は絶大だ。何せ、僅かな願いを、強制的に聞かせる訳なのだから。
しかもその呪い解除方法が厄介だ。シドニーが言った通り――"タランチュラの毒は、タランテラを踊り続けなければ抜けない"のだ。つまり、タランチュラの呪いは、その書面に書かれたことを遂行するか、それとも死ぬか。そのどちらでしか解かれない。
だから有史以降16、7世紀ぐらいまで、その呪いを使って悪魔や天使を使役することが横行した。無理矢理この呪いに掛けられたことを屈辱に思ったデーモンが、術者を殺害するケースも少なくなかったそうだ。
しかし、この呪いにも欠点がある。一度これを受けたデーモンには、二度目以降のタランチュラの呪いが効かなくなる。抗体のようなものが出来るらしいのだ。それ故、次第に抗体を持つデーモンが増え、現代ではこの呪いはほとんど廃れてしまった。
ジェームズ達は、そんな厄介な呪いの餌食に。シドニーの説明を聞き、バートの身体中から血の気が引いていった。
その一方で。
「で、さ。ジェームズ達にその抗体はあるの?」
シドニーの説明を聞いていたクリスが、突如口を開く。シドニーは虚を衝かれたように目を見開き、黙り――そして苦笑いを浮かべた。
「あー……。まあ、まずないだろう。あいつら、"若すぎる"。抗体を持っている世代じゃあない」
「……やっぱり」
クリスが、本日何度目か分からぬ落胆の溜息を吐く。
「最初はジュードとジェームズの小競り合いって聞いてな、縄張り争いだと思っていたんだが――」
「それはない、と私がシドに言いましたからね。悪魔が一匹死んで、その後釜を狙おうなどという不埒な行動はしないよう、きちんと教育はしていますから」
ほほ笑んで、ウィリアムがそう付け加える。それを見たシドニーは軽く肩を竦めた後、話をつづけた。
「まあ、打開策は無いわけじゃあない。まず第一に、レナードに仕込まれた『タランチュラ』の効力は極めてユルい。恐らく、『ジュードとジェームズを殺せ』と、まあ、要求を大きくしたせいだろう。こういう呪いは、要求の大きさに比例してその他の縛りが緩くなる。悪魔一人ならともかく、二人以上殺せとなると他の部分に手落ちが生じる。……必然の結果だ。それで、この基本的事項には『口外してはならない』という項目がない。第二に――お前たちがいる、ということだ」
「……へ?」
そこまで言われた途端、バートとクリスは、視線が自分達に集まっていることに、気が付いた。何かを期待されている。それを否応なしに受け取った二人は、思わず黙ってしまった。そんな二人を見てか、ウィリアムは優しく微笑みながら二人へと近づいた。
「大丈夫です。貴方達に任せる、ということは、貴方達ならやれるだろうと力量を見極めた上で言う言葉なんですから。そう力まずに」
「……何をさせるつもりなんですか」
クリスが恐る恐る、口を開く。ウィリアムは微笑みを深くし――そして、ゆっくりと口を開いた。
「しつこいようですが――タランチュラの毒を解く方法は、二つ。狂うように踊り続けるか、それとも――」
ここまでくれば、二人も予測はついた。しかしそれは、あまりにも常軌を逸した行動であると、彼等は同時に思っていた。
だが、ウィリアムの言葉は、彼等のその嫌な予想を裏切ることは、無かったのである。
「――毒を受け入れる前に、死ぬか。それだけです」
「……要するに、殺せと?」
今度はバートが口を開く。ウィリアムはそれに朗らかに笑い、深く縦に首を振った。
「極端に言うとまあ、そういうことですね」
バートとクリスは数秒間、ウィリアムの言った言葉が真実であるかどうかを信じることができなかった――。
――それから。バート達はウィリアムから語られた計画の一部始終を聞き、必要な装備も渡された。
ジェームズ達は、デーモンだ。魔術を使えば彼等が何処にいるかはすぐ把握できるし、そこまではホウキで飛んで行けばすぐだろうとのことだった。
「……はぁ」
部屋を出た直後、バートは思わず大きな溜息を吐いた。それを聞いたクリスが、バートの方を向く。バートは目を見開き、驚いたような表情をした。
「ああごめん。別に嫌なつもりでついた訳じゃないんだ」
「……いいって。バート」
流石に突然社長から、『三人を殺せ』と言われるとは、誰が思おうか。いくらこの仕事に慣れているとはいえ、クリスもそんなことを言われるのは初めてだった。だから、バートがため息をついても無理はない。そうクリスは思っていた。……だが。
「いや、そうじゃなくてさ。ホント」
バートは首を横に振っていた。クリスが首を傾げると、バートは話を続ける。
「……なんていうか。奇妙な感じがするんだ。嫌、とか。怖い、とかじゃなくて」
奇妙な感じ。バートの言葉では、その感情をそうとしか表現できなかった。それはまるで、卵の殻に少しずつヒビを入れていく感覚。音を立てて広がる"それ"から何が出てくるか、それにバートは言い知れぬ感覚を覚えていた。
だが、それを聞いたクリスの返答は意外なものだった。
「それってさ、単に緊張してるってことじゃないかな?」
「…………」
緊張、というシンプルな言葉。それにバートは目を見開き、思わずまごつく。確かに、それはあるかもしれない。というかそれそのものだ。バートは苦笑いを浮かべた後、肩を竦めた。
「……それはあるかも。忘れてた」
「便利な言葉だから、覚えておくといいよ」
クリスが僅かに笑みを浮かべてバートの肩を叩く。バートもそれにつられて笑った。
――しかし。
それから、先を歩くクリスの背を見ながら――バートはふと僅かに立ち止まり、思った。これは、単なる"緊張"という言葉で言える感情なのだろうか、と。
――怖い? 嬉しい?
いや、違う。これは、深い深い闇の中を必死に目を凝らして、何かを探す感覚だ。更に寄って見てみたいという好奇心と同時に、近寄りがたい何かを感じて逃げたいと思う気持ち。その二つが同居していて、自分でもどうしていいか分からない感覚だった。
バートはウィリアムから渡された短剣の鞘を引き抜き、その手に持ってみた。銀色の刀身は自らの顔を映すほどに綺麗に磨かれていて、その刃も極めて鋭い。
――ふと、その刃に触れてみたくなった。バートのその"感覚"は、そういう感覚に似ていた。怪我することは分かっている。痛いかもしれない。しかし、その切れ味を見てみたくなったのだ。
恐ろしい、と同時に、見てみたいものがそこに、ある。バートの言う奇妙な感じとは――そういうものだった。
「………………」
唐突に、バートは左手の親指をその銀の刃に触れさせた。ぷつ、と音を立てて、その銀の刃に指が僅かに食い込む。薄く斬られた皮膚から流れた赤い血は、指から手のひらを伝い、そして、床へと滴り、落ちていった。
意外にも、痛みは全くと言っていいほどに感じなかった。




