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カデンツァ  作者: 立田
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――私は歌姫です。神に授けられた声で、祈りを捧げる。




 ええ、私がこの礼拝堂付き独唱者になったのは二年ほど前のことです。 でもその前からずっとここで暮していましたから、別に何かが特に変わったというわけではありません。ここにやってきたのは確か五歳のとき、住んでいた町の教会で歌っていたのを目にとめていただいて。 そのまま家族とは、もう会ったことはありません。よくは覚えていないのですが、典型的な貧しい農家で大勢兄弟がいたように思います。だから、私を手放す代わりに、と渡された金貨はくらしの足しになったんじゃないかしら。あまり一緒には過ごせなくて、もう顔もおぼろだけれど、すこしは家族のために貢献できたとしたらうれしいですね。そう思えるようになるまでには、いろいろありましたけれど。こちらに来た当時は、家族が恋しくて泣いてばかりいましたし。しかも見たこともないような都市に突然放りこまれたんですもの。


 ご存知のように、各地から集められた子供たちは礼拝堂に所属する学校で、歌唱だけではなく、歴史や語学、礼儀作法などをみっちり仕込まれます。 勉強の辛さ、規則の厳しさに加え、上に進めば進むほど競争が激しくなるのです。敵愾心がさらなる研鑚への鍵にも成り得ることもあるのですけれど、大人顔負けの残忍さで行われる嫌がらせに耐え切れずに退学する子も少なくありません。私も、故郷の訛りなどをひどく笑いものにされて、やめようと思いつめたこともあります。そんな時、聖誕祭ミサのソロに抜擢されたんですね。厳密にいえば、それは今私がやらせて頂いているような独唱ではなかったのですけれど。


 この礼拝堂の聖誕祭ミサは、深夜に始まり、参列者全員が手に持つロウソクが全て燃え尽きる明け方まで続きます。 そんなわけですから、一人の僧が礼拝をすべて取りしきるわけにはいきません。 というわけで、聖歌隊のなかから何人かを選び、僧が交代する間、参列者席の両脇に立つ柱の上から交互に歌わせることになっています。そのとき私が歌うことになったのは、聖母に彼女が身ごもったことを伝える天使の言葉でした。少しの光でもきらめくように作られた、金糸の刺繍のついた衣装を着せてもらいながら、震えが止まらなかったのを昨日のように思い出せます。あまりに真っ青な顔をしていたので、教師が私の代役の子にも準備をしっかりさせて、横で待機をさせていたくらい。そんな様子でしたから、ロウソクもうまく持てなくて、次の出番の子に支えられるようにして柱の螺旋階段を昇りました。


 上が明るくしてあることとあいまって、見下ろす礼拝堂は闇に沈んでいました。ただ、参列者が手に持っているロウソクの小さな灯火がいくつもの列になって、その中で瞬いていました。それを見ているうちに、吸い込まれるように気が遠くなって、もうすこしあの状態が続いたら落ちていたんじゃないかしら。そうしたら丁度オルガンが鳴ったんですね。伴奏というわけではなく、独唱の最初の一音が歌いはじめる合図だったのですけれど、それが、うなじから冷えきった金属の棒を打ち込まれたような衝撃だったんです。反射的に背筋が伸びて、口から声が飛び出していきました。それからはもう無我夢中で、どこをどうやって歌ったのかも覚えていません。


 これは、どうしても説明しづらいことなのですけれど、歌っているときに、我を忘れて、恍惚となることがあります。強いて言ってみるとするなら、足もとから何かが流れ込んで、身体中を通り抜けてから頭頂から放射されていくような。あまりの快感に肌が粟立つ、すべてのものが決して届かないほど遠くて、また隔たりが何もないほど近くに存在している、あの相反した感覚。それを初めて体験したのが、そのときでした。それで、私は歌うことから逃げられない、と分かったんです。逃げてしまえば、きっとそのあとで、身体の一部を切り落とすより辛い思いをするだろうと。ですから、私は命の続く限り、神から授かったこの声で祈りを捧げてゆくのでしょう。そう、あの瞬間に決めたのです。


 歌い終えてから、やきもきした次の子が上がってくるまで、ただ立ち尽したままでした。追い立てられて、力の入らない足でどうにか階段を降りて、しばらくは誉めて下さっている方の言葉も聞き取れないほどの虚脱状態が続いたんですよ。そういえば、あとになって、衣装にロウをこぼしたといって怒られましたっけね。もちろん、ロウソクを持っていた手の方も散々火傷していましたけれど、ぜんぜん熱くなかったんですから、ふしぎですね。


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