祖父の料理
祖父の料理
白髪の老人が、古ぼけたエプロンを纏い、錆びついた作業台の前に立っている。くすんだステンレスの壁を配管が這い、頭上では船体が軋む「ギィィ」という音が絶え間なく響く。
「火加減は、こんなものか」
古い電磁調理器が、唸りを上げて青い光を灯す。俺は百十八歳。かつて「最後の料理職人」と呼ばれていた男だ。
23世紀、合成食品が食糧問題を解決すると、本物の食材を包丁で刻み、火で調理することは「非効率な悪」だと笑われた。それでも俺は、家族のために、俺の料理を待ち望んでくれる仲間のために、台所に立ち続けた。
だが、宇宙移民船「エターナル・ホーム」での事故がすべてを奪った。リアクターの暴走。妻と息子は、一瞬で蒸発した。俺と息子の嫁、幼い孫だけが緊急隔壁の向こうで生き残った。その後、移民船は惑星に不時着し、救助の過程で俺たちは離れ離れになった。
俺は今、この廃棄ステーションで孤独な墓守をしている。
作業台の下から、木製の玩具箱を取り出す。中には小さなロボット人形や、色褪せたミニチュアの鍋と包丁。これが、俺の宝物だ。
「おもちゃの台所」。
孫が欲しがっていたものだ。本物の火は危ないからと、完璧に再現した玩具。押せば料理の匂いが漂い、触れれば優しく温かくなるはずだった。
息子の嫁と孫は火星へ渡り、もう大人になったはずだ。あの日以来、会ってはいない。俺が作ったこの玩具だけが、家族の記憶を繋ぐ唯一の糸だ。
料理とは、ただ腹を満たすものじゃない。子供を成長させ、未来へ運ぶために大人たちが用意する、小さな愛の形だ。おもちゃも同じ。子供の心を未来へ運ぶ、親たちの祈りだ。
今、俺は最後の料理を作っている。
「記憶のシチュー」。
合成タンパクをベースに、枯れたハーブを練り込む。一口食べれば、幼い頃の台所が蘇るはずだ。祖母の煮物の湯気、父が魚を焼く音、母が笑うときの、ほんのり甘い香りが。
だが、この料理を食べる者はもういない。
俺の体はほとんど機械だ。消化器官の半分は人工物で、味を感じる神経も年々鈍くなっていく。
誰も食べない。それでも作る。
作らなければ、俺という人間が、かつて愛した日々が、この宇宙から完全に消えてしまうからだ。
もし誰かがこのステーションを見つけたら、この鍋を温めてくれ。
そして、この玩具をどこかの子供の手に渡してほしい。
料理は、愛を閉じ込める魔法だ。
おもちゃは、その愛を未来へ手渡すための鍵だ。
老人が「おもちゃの台所」のスイッチを入れると、ボッという小さな音と共に、懐かしい魚の焼ける匂いが漂ってきた。
漂う記憶の香りに、老人の凍りついていた頬が、ほんのりと緩んだ。




