プロローグ
ユージーン大陸の東に位置するバクタ王国には魔法使いが存在する。そう言われていたのは、わずか三百年前までのこと。王国内で魔法使い狩りが行われ、現在では魔法使いは絶滅したとされている。
私――――ソラリア・レイハートの遠い祖先は魔法使いだった。
ワインレッド色の瞳に漆黒のストレートの髪を背中に下ろしているだけなのだが、幼い頃は魔女だと言われていじめられた時期もあった。
黒髪に暖色系の瞳は、魔女や魔法使いを見極める特徴の一つだったからだ。
なぜ、そんな髪と瞳の色を持つ私が生まれたのか。
それは、魔法使い狩りにあった時の母の先祖が魔法を使えなかったからだ。
平民の間では一族が根絶やしにされたが、貴族は例外だった。魔力の有無がわかる魔道具を使い、魔力がないと判断されれば、魔法使いの髪色や瞳の色であっても、生きることが許された。
私と同じ髪と瞳の色を持つ母は、私が二歳の頃に妹を生んですぐに体調を崩して亡くなり、父は約一年前に事故で亡くなっている。
男系男子を重きとするこの国は、女性が爵位を継ぐことを許していない。
どうしても男子が生まれなかった場合、幼い頃から養子として親戚の子を迎えるか、娘の婿を養子として、爵位を継がせることになっている。
娘しかいないレイハート公爵家も例外に漏れず、長女である私の結婚相手を公爵にするために、貴族の男性を婿として迎え入れることは、昔から予定されていた。
一年前、十八歳になった私は、ロガン・オウガと結婚した。彼は侯爵家の次男で、とても心の優しい人だと思っていた。それが優柔不断であるだけだったことに気がついたのは、妊娠がわかって少し経ったある日のことだ。
その日は王家主催の夜会に出席していた。広いホール内には立食スペースやダンスフロアがあったが、踊る人はおらず、オーケストラの演奏をバックに、招待客は小さな輪を作って歓談していた。
いつもならば果実酒を呑む私だが、妊娠中のため、お酒は医者からは控えるように言われていた。
未成年が参加していないパーティーでは、ジュースはあまり置いていない。私は通りかかった給仕に声をかけ、果実ジュースを持ってきてほしいと頼んだ。
「お姉様、顔色が悪いわ。疲れたんじゃない? 向こうで休みましょう」
「疲れたのは確かだけど、どうしたの? あなたが話しかけてくるなんて珍しいわね」
「姉の心配をしたっておかしくないでしょう? さあ、こっちよ」
お父様譲りの金色の髪に、空のような青色の瞳を持つ、二つ年下の妹――ソレイユに誘われ、会場の壁際に置かれているソファに座ることにした。
ソレイユはいかにも気の強そうな顔立ちの目鼻立ちの整った美人で、男性から人気はあるが、婚約者はいない。
それが昔から疑問だが、お父様も彼女もその答えは教えてくれなかった。
二人掛けの柔らかな暖色系のソファに腰を下ろすと、ゆっくりと体が沈み込んだ。柔らかいクッションは好きだが、ここまで柔らかいと落ち着かない。
立ち上がろうとすると、ソレイユが愛らしい高い声で話しながら、私の隣に座った。
「お姉様、私ね、あなたに伝えたいことがあるの」
ソレイユには婚約者がおらず、レイハート公爵家で一緒に暮らしているが、姉妹仲はあまり良くない。父がソレイユばかりかわいがり、私は部屋で勉強ばかりさせられていたため、ソレイユとそう多く話したことはなかったし、私が彼女と関わらないようにしていたこともある。彼女の視線や話し方が、いつも私を馬鹿にしているように感じられたから、そんな相手と真剣に話す気にならなかったのだ。
そんな彼女が私に話したいことがあるなんて、ろくな話ではないに決まっている。気分が悪くなる話をこんな場所で聞きたくもない。
「……こんな時にどうしたの? 話なら家に帰ってから聞くわよ」
「そうしたいのは山々だけど、それが無理なのよね」
ソレイユはにたりと薄気味悪い笑みを浮かべると、視線を私から彼女の前方に移した。
視線を追うと、その先には人を避けながら、先ほどジュースを頼んだ給仕がこちらに向かってくるのが見えた。その横には夫のロガンがいる。 タキシード姿のロガンは、背が高くひょろりとした体型だが、気を抜くと猫背になる。小心者の性格なので、少しでも体を小さくして目立たないようにしようとしているらしいが、逆に目立っており、周りから好奇の視線を送られている。
どうして、この人を私の婚約者に……いや、レイハート公爵家を継がせようとしたのか。
生前に聞いても教えてもらえなかったし、結婚した今でも理由がわからない。
優しくて顔立ちが整っている。
それだけでは、公爵になる条件を満たしているとは思えなかった。
「ソラリア、体調が悪いのかい? 無理はせずにゆっくりすればいい」
近づいてきたロガンはなぜか額から汗をだらだらと流していた。ホール内は人の熱気で暑いことは確かだが、尋常ではない汗の量だ。
「私よりもあなたのほうが体調が悪そうよ?」
「大丈夫だよ。それよりも、こ、これ」
ロガンは震える手でグラスを差し出してきた。濃い紫色の液体が透明なグラスの中で、大きく揺れ、今にも外に飛び出しそうだ。
「ありがとう」
不審に思いながらも、喉が渇いていたのでグラスを受け取った。かといって、すぐに口にする気にはなれなかった。
にやにやと笑うソレイユと冷や汗を流し続けるロガンが、どうしても怪しく感じられ、私はソレイユに持っていたグラスを差し出した。
「やっぱり、飲みたくなくなったわ。あなたが飲んでちょうだい」
「嫌よ!」
ソレイユは一瞬にして笑顔を消し、立ち上がって拒否した。
その表情から、明らかにグラスの中には飲んではいけないものが入っているのだとわかった。
「どういうことなの?」
ジュースを持ってきてくれたウエイトレスが近くに立っていたので尋ねると、彼女は焦った表情で首を横に振り「私はただ頼まれたものを持ってきただけでございます」と答えた。
記憶を探り、私はグラスを彼女からではなく、ロガンから受け取ったことを思い出した。
「私にグラスを渡してくれたのは、ロガン。あなただったわね」
「え? あ、いや、そんな」
詰問口調で問いかけると、ロガンが今にも泣き出しそうな表情になった。その時、ソレイユが私の手からグラスを奪い、私の口に押し付けてきた。
「体調が悪そうよ。喉が渇いているんでしょう? さあ、飲んでよ!」
口を閉ざし、顔を背けて抵抗していると、ソレイユは私のお腹を触る。
「お姉様、飲まないのなら、このお腹を攻撃するわよ」
「やめて!」
どうしてこんなことをするのか。
そんなことを考える前に、お腹にいる子供を守りたい。
その気持ちだけが頭によぎり、私は咄嗟に声を上げた。だが、その行動はソレイユの望み通りだった。
ソレイユは果実ジュースを私の口に含ませると、吐き出そうとする私の口を押さえる。
「大変。お姉様が吐きそうになっているわ! 誰か、気分を良くする薬を持ってきてください!」
ソレイユがわざとらしい演技をしている間に、私は彼女を振り払い、急いで飲んだものを吐き出したが、時すでに遅しだった。
喉の奥が熱くなり、体の中から熱いものがせり上がってきた。口から熱いものが溢れ出し、立っていられなくなった私が床に倒れこむと、ソレイユが私の隣にひざまずき、顔を近づけてくる。
「お姉様、恨まないでね。ロガンは私のものよ。あとのことは心配しないで。実は、私のお腹にもロガンの子がいるの。私とロガンがレイハート公爵家を守っていくから、邪魔者は安らかに眠ってちょうだい」
ソレイユはにやりと笑い、私の耳元でそう囁いた。
信じられない。ロガンはソレイユと浮気していたのね。二人は私の前ではほとんど話さなかったから、仲が悪いのだと思い込んでいた。
関りがないのに仲が悪くなるわけがない。そのことにさえ気づけなかった私は、本当に私は馬鹿だ。
「嫌だ! 死なないで! 僕を見てくれソラリア! ソラリア!」
ソレイユを押しのけ、ロガンが私の体を揺さぶった。
ふざけたことを言わないでよ。ソレイユに毒を入れる隙はなかった。それなら、毒を入れたのはあなたでしょう。
そう言って、頬を思い切り叩いてやりたかったが、まったく力が入らない。
涙でぐしゃぐしゃになったロガンの顔が、だんだんぼやけていく。
「ソラリア! 僕は君だけを愛しているんだ! だから目を開けてくれ! こんなことになるとは思っていなかったんだ。悪いのはソレイユなんだ! 全部話す、話すから、死なないでくれ!」
やめて。愛しているなんて嘘。私を本当に愛しているのなら、どんな状況でも浮気なんてしない。
人生がやり直せるとしたら、絶対にロガンと一緒の未来を歩んだりしない。
お腹にいる私とロガンの子、こんなことになって本当にごめんなさい。もし、あなたも生まれ変わることができるなら、今度は私と私を本当に愛してくれる人との間に生まれてきてほしい。
だって、ロガンみたいな父親はいらないでしょう?
それから、ソレイユ。あなたのことも絶対に許さない。次があるのなら、絶対にあなたなんかに殺されない。
意識が遠くなっていき、目を開けるのも辛くなってきた。全てを諦め、瞼を閉じた瞬間、どこからかパチンと指を鳴らす音が聞こえた。
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