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冬の金沢強行軍  作者: タイシ


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タイトル未定2026/01/26 09:34

北陸の冬、それは「灰色」という言葉だけでは到底足りない、生気を根こそぎ奪い去るような絶望の色をしています。


ご提示いただいた過酷な体験を、当時の空気感や身体的な苦痛、そして理不尽な組織への怒りを込めて、小説形式で構成しました。


聖域の冬、内臓の凍結

第一章:熱に浮かされた宣告


その日、私の視界は熱気でぐにゃりと歪んでいた。 インフルエンザ。体温計は39度を超え、肺の奥からせり上がる咳は、まるで喉元を錆びたナイフで削られるような痛みを伴っていた。しかし、何より耐えがたかったのは、腹部の痛みだ。内臓を大きな万力でギリギリと締め上げられているような鈍痛。意識が混濁する中、私はただ、湿った布団の重みにしがみついていた。


「立て。これは功徳を積む試練だ」


耳元で、湿り気を帯びた低い声が響いた。 目を開けると、そこには「班長」と呼ばれる男と、二人の信者が立っていた。彼らの瞳には、病人をいたわる慈悲など微塵もない。あるのは、自分たちが正しいことをしているという、吐き気のするような確信だけだった。


「今日、K市へ行く。折伏しゃくぶくだ。向こうで待っている者がいる」


「無理だ……死んでしまう……」 掠れた声で拒絶したが、彼らは私の両脇を無造作に抱え上げた。 「死なない。信心があれば、病など霧のように消える。お前が動けないのは、心のどこかで魔に屈しているからだ。北陸の地でお前の宿命を転換するんだ」


有無を言わさぬ暴力的なまでの「善意」。私は着替えすら満足にさせてもらえず、厚手のコートを無理やり着せられ、東京の冷たい空気の中へと引きずり出された。


第二章:雷鳴と鉛の空


東京から北陸への道程は、地獄への行軍だった。 新幹線の窓の外、景色が関東の乾いた冬から、次第に湿った、重苦しい冬へと変貌していく。トンネルを抜けるたびに、雪の白さは増し、空の低さは増していった。


金沢駅に降り立った瞬間、肺に突き刺さるような冷気が私を襲った。 北陸の冬の空は、泣き出しそうなほど重い。そして、遠くで「ゴロゴロ」と地を這うような音が響いた。


「鰤起こし(ぶりおこし)か……」


同行者の一人が呟く。冬の雷。本格的な雪の季節の到来を告げる、日本海特有の不吉な轟音だ。 激しい雷鳴とともに、空から叩きつけられるのは雨ではなく、湿った重い雪の塊だった。体温は奪われ、インフルエンザの悪寒は極限に達した。ガタガタと震える膝を、班長の強い視線が射抜く。


「しっかりしろ。折伏は戦いだ。お前の弱気が、相手の仏性を閉ざしてしまうぞ」


私の内臓は、もう叫び声をあげる気力も失っていた。ただ、締め付けられる痛みが波のように押し寄せ、雪の上に倒れ伏したくなる衝動を、恐怖心だけで繋ぎ止めていた。


第三章:沈黙の玄関先


K市にある、ターゲットの自宅に着いたのは、日が暮れかけた頃だった。 雪はさらに激しさを増し、街灯の光を吸い込むように降り積もっている。指先の感覚はなくなり、意識は常に遠のきかけていた。


「……お願いします。どうか、私たちの話を聞いてください」


班長はインターホンを何度も鳴らし、出てきた住人の男に対し、執拗に教義を説き始めた。私はその横で、ただの置物のように立たされていた。雪が肩に積もり、それが体温で溶けて服に染み込んでいく。


住人の男は、最初は戸惑っていたが、次第にその表情に明確な「嫌悪」と「蔑蔑」の色を浮かべた。 「……こんな雪の日に、病人を連れ回して。あんたたち、正気か?」


男の視線が、青白い顔で震える私に注がれる。私は、助けてくれと言いたかった。しかし、背後に立つ班長の無言の圧力が、私の声を喉の奥で氷つかせた。


「これは彼の意志です。彼は自らの宿命を変えるために、ここに立っているのです」


班長の嘘が、冬の夜気に響く。 男は鼻で笑った。 「宗教だか何だか知らないが、人間を人とも思わないような奴らの話は、一言も聞きたくない。帰れ。警察を呼ぶぞ」


門前払い。それも、この上なく惨めな形での拒絶。 私たちは一歩も踏み込むことができず、ただ寒空の下で、バタンと閉ざされたドアの音を聞くだけだった。


第四章:虚無の帰路


帰りの道中、班長たちは不機嫌を隠そうともしなかった。 「お前の信心が足りないから、相手が心を閉ざしたんだ」 「あの時、もっと前に出て体験談を話すべきだったな」


そんな言葉が、私の耳を通り過ぎていく。 金沢の駅に向かうタクシーの窓から見える景色は、ただ真っ黒な闇と、白く光る雪だけだった。 鰤起こしの雷が、再び遠くで鳴った。まるで、滑稽な私たちをあざ笑うかのように。


東京に戻った時、私のインフルエンザは悪化し、合併症で一週間以上の入院を余儀なくされた。 病室の真っ白な天井を見上げながら、私はあの金沢の、鉛色の空を思い出していた。 得たものは何もない。功徳など、どこにもなかった。 ただ、自分の尊厳が雪に埋もれ、汚されたという事実だけが、締め付けられる内臓の痛みとともに、刻み込まれていた。


あの冬の雷鳴は、今も時折、私の耳の奥で、冷たく鳴り響いている。





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