流転の國 エルフの里⑧
第4会議室でルーリを待つマヤリィ。
まだ任務は終わっていません。
ルーリがエルフの美女に『変化』してリスを傷付けたアラタという青年に『魅惑』魔術をかけている頃、流転の城の第4会議室でマヤリィはシェルと話をしていた。
「…そう。彼は昔からリスの婚約者と決められていたわけではなかったのね。…流転の國領内に存在しているというのに、エルフの里についてこれまで私が何も知らなかったこと、本当に申し訳なく思っているわ」
「滅相もございません、ご主人様。エルフの里の近況を確認するべきだったのは私の方にございます。…私が確認を怠った為に、この短期間で法律が改悪されたことにも気付けず、結果的にご主人様の御手を煩わせることになってしまいました。悔やんでも悔やみきれないことにございます」
シェルが沈痛な面持ちで深く頭を下げる。
マヤリィはシェルを可哀想に思いながらも、現在の状況を教える。
「…今、助けを求めるエルフの人々をシャドーレ達が保護しているところよ。その中に貴方の知っている人もいるかもしれないわね」
「はっ。有り難きお取り計らいに感謝致します。故郷はなくなっても、善良なるエルフの民が無事ならば、これ以上望むことはございません」
こうして二人は暫く会話を続けていた。
なぜシェルがここに来たかというと、彼もまた『救済作戦』の詳細を聞いていたからである。計画が破綻した時点でネクロから念話を受けたシェルは、最後にアラタに会っておきたいと思い、ルーリが彼を連れてくるのを待っているのだ。勿論、このことは事前にマヤリィが許可しているが、シェルの様子を見ると心配になる。
「…シェル。彼を待つのは構わないけれど、ルーリには戦闘不能にした上で連行するよう命じたから、かなり酷い状態になっていると思うわよ?その点に関しては大丈夫かしら」
しかし、シェルは顔を真っ青にしながら言う。
「ご主人様。貴女様のお優しいお心遣いに感謝致します。…されど、彼はリスを玩具のように弄び、精神的にも肉体的にも消えない傷を付けた男にございます。私は妹の代わりに、彼の死に様を見る覚悟でここに参りました」
それを聞いたマヤリィは余計心配になったが、シェルの心を受け止めようと思った。
「いいでしょう。貴方の気持ちを尊重するわ。…けれど、気分が悪くなったらすぐに部屋を出なさい。ルーリは、敵とみなした相手に対しては容赦なく殺戮を行う一面を持っている。…彼は惨たらしい死に方をするかもしれないわね」
結局のところ、マヤリィが手を下すのか、或いはルーリに最後まで任せるのか、決まっていないのが現状であるとシェルは認識していた。ただ、マヤリィは彼に罰を与える前に少しだけ話をしたいと思っていた。
「ルーリ様が悪魔種に属することは存じ上げております。私の想像が及ばない恐ろしい魔術をお使いになるのではないかということも想定しております。…しかし、ご主人様は…それをお許しになることが出来るのですか…?」
今度はシェルがご主人様の心配を始める。
マヤリィが優しすぎる性格であり、罪人に対しても慈悲深く接することは皆が知っている。しかし、残念ながら、その慈悲深さは性犯罪者には適用されないのだ。
「…大丈夫よ。私もリスを傷付けた愚か者だけは許せないと思っているの。それに、たとえルーリが情け容赦のない悪魔だとしても、そんな一面も含めて私は彼女を愛している。だから、心配いらないわ」
マヤリィ様、ここでいきなり愛を語り始めないで下さい。しかもシェル相手に。しかも本人いないのに。
(ご主人様は配下達の全てを愛しておいでなのか…。やはり、この世界の誰よりも懐深く優しい御方でいらっしゃる…)
シェルは口には出さなかったが、マヤリィの『愛している』という言葉を都合よく理解した。
と、その時。
第4会議室に魔法陣が出現する。
「マヤリィ様。大変お待たせ致しまして申し訳ございません。ルーリ、只今戻りました」
そう言ってマヤリィの御前に跪くルーリの後ろには、血塗れで意識を失っているエルフの青年アラタがいた。
「我等が仲間である大切なリスを傷付けた愚か者を連れて参りました。お確かめ下さいませ」
ルーリの言葉にマヤリィは頷くと、『鑑定』を使って、目の前の青年がリスの婚約者だと名乗って毎日のように彼女を玩具にした張本人だと確信する。
「ご苦労だったわね、ルーリ。確かに、この者で間違いないわ」
「勿体ないお言葉にございます、マヤリィ様」
ルーリはそう言うと、一歩下がる。
マヤリィはアラタの前に立ち、話をする為に回復魔法を使う。
「『回復』発動。この者を目覚めさせよ」
話が出来ればそれでいいので、『全回復』は使わない。
僅かな光がアラタを包んだかと思うと、すぐに意識を取り戻す。
「…こ、ここは……」
「お目覚めかしら。『流転の國』へようこそ」
例によってマヤリィは微笑みながら話しかける。
それを聞いたアラタは飛び起きるが、
「痛ぇ…」
意識が戻る程度にしか『回復』していないので、ルーリに付けられた生傷が痛む。
「あまり動かない方がいいわ。貴方は今傷だらけなのよ?」
「あんたは…誰だ?人間…みたいだが……」
「口を慎め、アラタ!」
アラタの問いに激昂したのはシェルだった。
「この御方は流転の國の主様であられる。本来ならばお前などがお目通りかなう御方ではない」
(シェルって怒るんだ…)
少し離れた所から見ていたルーリが感心する。
「…お前は、シェル?…てか、なんで…流転の國の主様が俺を……?」
「私の大切な配下であるリスを傷付けた貴方を許せないからよ。それに、貴方がどんな考えを持ってリスを苦しめたのか、聞いておこうと思ってね」
悪法を定めた族長よりも、愚直にそれに従う若者の言葉を聞きたい。流転の國の主は微笑みながら魔力圧をかける。第4会議室にビリビリとした空気が広がっていく。
しかし、アラタは挫けずに訴える。
「お、俺は何も悪くありません…!ただ、法律に従っただけです…」
「…それにしては、随分とリスを傷付けたようだが?新しい法律には、女を粗略に扱っていいとでも記されているのか?」
シェルが詰め寄る。
「だって…あいつが抵抗するから…」
アラタは言い訳を始める。
「俺はリスの婚約者なんだ…。将来は俺の子供を沢山産ませて、エルフの里を繁栄させるつもりだった。…勿論、俺だけじゃない。第二、第三の婚約者だっているんだ…」
そういえば、リスが言っていた。帰省している間だけでも、婚約者だという男が四人も現れたと。
「それに、里の大人達だって喜んでたんだ。リスが妊娠することを皆望んでた。…そもそも、結婚して子供を産むことこそが女の幸せだろ?」
アラタの言葉を聞いたシェルは思わず彼をぶん殴る。
「馬鹿野郎。痛みを伴う性行為を強要して、無理やり子供を産ませて、それでリスが幸せになると本気で思ってるのか?」
「…ふん。生殖能力のないお前には言われたくないね、シェル。29にもなって童貞なんだろ?お前みたいな生産性のない奴が人口増加政策について口出しする権利はあるのかなぁ?」
痛みを堪えながら、シェルを罵るアラタ。
「そこまでにしなさい。…今度は私の質問に答えてもらうわよ?」
マヤリィの声がナイフのようにアラタの耳に突き刺さる。第一印象より遥かに怖い…。
「貴方は本当にリスを幸せにしたいと願っているのかしら?…話を聞く限りでは、法律を盾にして自分の欲求を満たそうとしているようにしか思えないのだけれど」
「そ、そんなことはありません…!俺は本当にリスのことを…!」
いや、説得力なさすぎ。
しかし、アラタと同じ考えを持ち、同じ行動をした連中は他にも沢山いただろう。
「あ、そうだ…!お願いです。リスに会わせて下さい!ここにいるんでしょう?」
「今頃そんなことを言い出すとは驚いたわ。リスがここにいると分かっている以上、真っ先に彼女に会いたいって言うと思っていたのに。…貴方の愛ってその程度なの?」
「なっ…」
アラタは反論出来なかったが、
「で、でも…リスは俺の子供を身篭っている可能性が…!俺は既に父親になってるかもしれないんです…!」
「馬鹿野郎」
そう言ってもう一度アラタを殴るシェル。
「お前に教えてやるよ。リスは妊娠してない。この間の検査で分かったんだ」
アラタは痛みに悶えながら、
「そんな…!あれだけヤッたのに…!?」
心の底から残念そうに言う。
そんなアラタを見て、シェルはため息をつく。
「ご主人様。このような見苦しい有り様をお目にかけてしまい、申し訳ない限りにございます。斯くなる上は、私がこの者に報いを…」
マヤリィの御前に跪き、アラタを断罪する命令を請う。
「いいえ。彼に罰を与えるのは貴方ではないわ」
マヤリィはそう言うと、何もない空間に向かって、
「本当にいいのね?リス?」
「はっ。ご主人様のご配慮に感謝致します」
そこに現れたのはリスだった。
「リス…!?」
アラタは突然のリスの登場を喜ぶ。
「会いに来てくれたんだな…!」
「うるさい。貴様の顔なんか見たくもない」
(リス…?本当に、リスなのか…?)
離れた所から見ていたルーリが戸惑う。
言葉遣いもあれだし、何より魔力値が桁違いに高くなっている。
「リス…」
シェルは予想外のリスの登場に驚いている。
(まさかアラタの前に姿を見せるなんて…)
「もう一度会ったら、とっておきの風系統魔術を食らわせてやろうと思ってた。…ジェイ様にお借りした『流転の指環』の餌食となれ!!」
(そうか、魔力値の急激な上昇はマジックアイテムによるもの…!)
ルーリは納得する。
(リスもジェイと同じ風系統魔術の使い手。だから『流転の指環』が使えるのか…!)
ルーリが考察している間も、マヤリィは冷静にリスを見ていた。恐らく、事前に話し合いを重ねて、リスの考えを尊重した結果なのだろう。
ルーリにもシェルにも知らされていなかった最後の任務はリスに託された。
「リス、一体どうしちゃったんだよ…?怖いこと言わないで俺と一緒に帰ろうぜ。なぁ、リス…」
アラタは引きつった表情でリスに話しかける。
しかし、リスはアラタの言葉を無視して、
「私のご主人様は決して拷問などなさらない。だから、私も貴様を楽に死なせてやる」
そう言って『流転の指環』をアラタに向け、魔術を発動させた。
「『烈風』よ、愚かな男の喉笛を切り裂け」
目にも留まらぬ速さで風の刃が宙を舞う。
その瞬間、アラタは絶命した。
思いがけないリスの登場。
思いがけないリスの言動。
そして、風系統魔術が彼に襲いかかります。