流転の國 エルフの里⑤
ネクロをエルフの里の族長との交渉役に任命したマヤリィは、現在の悪法が改正され、里の皆が『心穏やかに健やかに自由に過ごせる環境』が作られることを願っている。しかし、交渉が決裂した場合は、悪法に苦しんでいる女性など一部のエルフの民を流転の城で保護すると言う。
エルフの里の族長に委ねられた判断。
それによって『救済作戦』の行方は変わってゆく…。
《こちらシャドーレにございます。…畏まりましたわ、ネクロ様。では、作戦の通りに》
シャドーレは念話を受けると『透明化』を解き、その場に姿を現した。エルフの里の運命は決まったのだ。
ここはエルフの里の中心にある広場。
いつの間に用意したのか広場の中央にステージが設置され、その上に立って彼女は呼びかける。
「全てのエルフの民に告ぐ。私は流転の國の最高権力者マヤリィ様に命じられ、貴方達を救う為に今日ここに来ました。苦しむ者達よ、私の声を聞きなさい」
そこに立っているのは、銀色のウェーブヘアに尖った耳をした長身の女性だった。刺繍の施された白いロングドレスを身に纏い、女神のような微笑みをたたえた絶世の美女である。
…え?本当にシャドーレさんですか??
「エルフの里が今どのような環境にあるのかは全て分かっています。流転の國の主様は苦しむ者がいることを見過ごすわけにはいかないと仰り、皆を救う為に私がここに派遣されました。…さぁ、集まりなさい。最高権力者である主様の名において、貴方達を保護させて頂きますわ」
エルフの女性に『変化』したシャドーレが美しく威厳に満ちた声でそう呼びかけると、一人の若いエルフの女性が近付いてきた。
彼女は小さな女の子を連れ、よろよろとした足取りで歩いてくる。
「本当に…助けて下さるのですか…?」
やつれた顔でかすれた声で訊ねる。
「ええ。私もかつて主様に救われた身です。今日、私が使者としてここに来たのは、同族である貴方達をなんとしても救いたいと思ったからなのです」
それを聞いた女性は目に涙を浮かべて、
「有り難いことにございます。…今の法律が変わらないまま娘が大人になってしまったら、残酷な制度に縛り付けられてしまうと絶望しておりました。私は仕方ないとして、どうか子供だけでも救って下さいませ…!」
そう言って跪こうとするが、彼女のお腹には膨らみがあった。
「跪かずとも良い。楽な体勢でいなさい。…絶望する必要はありません。貴女の大切な子供だけでなく、貴女のことも必ず守ると約束しましょう。もう何も心配せず、私についてきなさい」
シャドーレは台本通りにステージの上でエルフの使者を演じる。すると、
「助けて下さい、私にも幼い娘がいます…」
「どうか、お願い致します…」
二人のやりとりを聞いていたエルフの女性達が次々とステージに近付いてくる。
「流転の城には、里の住人全てを保護出来るだけの余裕があります。慌てず、遠慮せず、困っている者は私と共に行きましょう」
今の時間帯、エルフの男性は家を留守にしている。この広場にも、男性の姿はほとんど見当たらない。
《名演技でしたわ、バイオ。このまま『変化』を解かずに、隙を見て城に戻りなさい》
《了解した、シャドーレ》
たった今『流転の國の主様の使者』と話していた、妊娠中の子連れエルフの正体はバイオだった。こちらに注目を集める為に、一芝居打ったのだ。
シャドーレは正式に流転の國に引き抜かれたマヤリィ直属の配下、バイオは魔術師見習いの罪人という身分ではあるが、元は桜色の都の国王に仕えていた者同士。色々あったが気心の知れている仲である。
《では、先に失礼する》
作戦の途中にシャドーレと会話する為の『念話』と、城へ帰還する際に必要な『転移』の宝玉をひとつずつ与えられたバイオは、誰にも気付かれずに玉座の間に転移した。
「只今戻りました、ミノリ様」
転移したバイオは『変化』を解き、玉座の間に待機していたミノリの前に跪く。
「ご苦労様、バイオ。その様子だと、うまくいったのね?」
「はっ。続々とエルフの女性達が集まってきております。作戦通り、時間を見計らってシャドーレ…様からミノリ様に念話が入るかと存じます」
さすがにミノリの前でシャドーレのことを呼び捨てには出来ない。
「分かったわ。その時が来たら、ミノリがシャドーレの所へ行って、エルフの女性達と共に第5会議室に『転移』する。第5にはシロマが待機してるから、体調の優れない者がいても安心よ」
「はっ。…私も第5会議室にて待機した方がよろしいでしょうか?」
「いいえ。貴女は行かなくていい」
バイオの言葉を聞いて、ミノリは厳しい顔になる。
「立場を弁えなさい、バイオ。此度の作戦では、シャドーレが舞台上で扱い易いという理由で特別に貴女を選んだだけで、それ以上の命令は与えられていないの」
「はっ!申し訳ございません!!」
ミノリの書いた脚本には『流転の國の主様の命を受けたエルフの使者』と『エルフの里に現れた使者に助けを求める子連れエルフ』の二人が登場する。前者を演じるのがシャドーレである以上、後者を演じるのに一番都合の良い人物がバイオだっただけで、本来は重要な作戦に罪人である彼女を参加させるべきではないとミノリは思っていた。ご主人様がバイオに『流転のクリスタル』を与えたことは直接聞いているが、やはりミノリはバイオのことを信用出来ない。
「とはいえ、此度の作戦が順調に進んでいるのは貴女のお陰でもあるわ。ありがとう。…貴女に与えられた任務は終わったから、この後はいつも通り訓練所で過ごせばいいと思う」
特にご主人様は何も仰らなかったし、訓練所でランジュに見張らせておけば安心だとミノリは思った。
「はっ。有り難きお言葉にございます。…それでは、訓練所に向かわせて頂きます。此度は重要な作戦への参加をお許し下さり、ありがとうございました」
バイオはそう言って深く頭を下げると、玉座の間から退出した。
(…仕方ないわよね。子連れエルフ役にシロマが立候補したら、途端にシャドーレの威厳がなくなるんだもの。そういう意味では、旧知の仲であるバイオがいたのは幸いだったかもしれない。ちゃんと役に立ってくれたし)
シャドーレはマヤリィ直々に桜色の都から引き抜いた優秀な配下だが、流転の國においては皆の後輩でもある。たとえ演技でも、先輩であるシロマに対してあのような台詞は言えないらしい。
(桜色の都では序列がはっきりしてたことを考えると、シャドーレが畏まるのも無理ないわ。…にしても、美しき使者役のシャドーレ、最初から見たかったな…)
ミノリはシャドーレから念話が送られて来るまで、色々と想像しながら待機するのだった。
一方、エルフの里の広場では、美しき使者の前に沢山の女性や子供が集まってきていた。
(今ならまだ男達は帰ってきませんわね。そろそろミノリに連絡を…)
と思っていたら、
「あの…貴女様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか…?」
集まっている中の一人から突然声をかけられた。
(名前!?そこまでは脚本に書かれていませんわ!)
まさか本名を名乗るわけにもいかず、
「えっと…私は……」
シャドーレは必死でアドリブを考える。
「ガラドリエル、と申しますわ…」
交渉が決裂した際の『エルフの民保護作戦』は成功しました。
脚本→ミノリ
エルフの使者役→シャドーレ
子連れエルフ役→バイオ