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第34話 自壊

 美澪は、「ふっ、ふふふ」と瞳を閉じて笑った。


「……なんで。なんであなたがそんな顔するんですか。あなたは王妃殿下を愛しているんですよ? あたしが何度確認しても、あなたは『王妃殿下を愛している』と言いました。……なのに。なのにどうして? どうしてあなたが傷ついた顔をするんですか!」


「っ、ミレ――」


「あたしは! あなたのことなんか好きじゃない! むしろ、サイテーな男の人だって思ってます。使命じゃなかったら、あなたみたいな人に抱かれたくもない! ……なのに、あなたが笑うたびに胸がぎゅって苦しくなって。あなたが王妃殿下のことを愛してるって言うたびに、心ががズキズキ痛くなるんです。……イリオス殿下。これはあたしの気持ち? それとも、トゥルーナの気持ち? いったい誰の気持ちなの!?」


 美澪ははらはらと涙を流しながら、心から問いかける。


 しかしイリオスは、悲痛な表情を浮かべて(かぶり)を振った。


「……ミレイ。……すまない。それは俺には分からない」


 美澪は、石畳の上をよろよろと移動しながら、涙で霞む視界を空に向ける。


「ふふっ。そうですよね。私自身よく分かっていないのに、殿下に訊くだけ無駄でしたね。……そういえば殿下。以前、王妃殿下におっしゃっていましたよね? あたしのことを『出会ったばかりの小娘』って。……ああ、こうも言ってました。王妃殿下に『お前を愛している』って」


「それは! ……っ、例の写し鏡で覗いた時の話だな?」


「王妃殿下のことを想ってるなら、中途半端なことしないでください! あなたは小娘をからかって遊んでるだけかも知れないけど、あたしは異邦人で、たった17歳の高校生なんです! 大人の駆け引きとか、淑女の遠回しな嫌味とか……そういうのは、あなたと王妃殿下の2人で勝手にやってください! お願いだから、あたしを巻き込まないで……!」


 美澪は、嗚咽を漏らしながら石畳に崩折れて、アイアンの柵に凭れ掛かった。


「……ねぇ、知ってます? あたし、こっちに来て、まだ2週間も経っていないんですよ。ヒュドゥーテルでは、エクリオに嫁ぐまでの3日間、朝から深夜まで勉強ばっかりしてました」


「!」


「それで、休む間もなくエクリオに来てみれば、夫には愛人がいるし。しかもその愛人は、王妃殿下だっていうんですから。だから私は、王妃殿下に意地悪されても、誰にも相談できないし逆らえない……」


「なぜ俺に言わない?」


 美澪はキョトンと首を傾けて、「ふっ、あはは」と笑った。そうしてひとしきり笑ったあと、美澪はスッと表情を無くして訪ねる。


「王妃殿下の味方に助けを求められると思いますか?」


 囁くように問いかけると、イリオスは拳を握って「俺はミレイの味方だ」と即答した。


 美澪は「ぷっ」と吹き出すと、いつの間にか紙のように真っ白になった顔を上げて、右腕を伸ばした。


「じゃあ、あたしを元の世界に帰してください。こんな世界、もうこりごりです」


 泣きすぎて溶け落ちそうな瞳をイリオスに向けると、イリオスは顔をくしゃりと歪めて、「それは、できない……!」と言った。


「……すまない。すまない、ミレイ。すまない……!」


(このひとは、何に対して謝ってるんだろう。あたしを元の世界に帰せないから? それとも王妃殿下を愛し続けているから? ……まぁ、もう、どうでもいいや……)


 美澪はそう思いながら、ぼうっと空を見上げて、涙を流し続けたのだった。





 イリオスは、美澪に拒絶された場所に佇み、彼女の涙が止まるのをただ黙って待っていた。


 美澪は壊れた人形のように、涙をはらはらと流し続け、虚ろな瞳で宙を見つめている。


(俺が追い詰めてしまったのか? それともグレイスが? いや、ミレイを取り巻く全てのものが彼女を追い詰めたのだな……)


 イリオスは、夜が深いテラスに立ち続けた。


 気づけば、パーティーホールは静まり返っていた。おそらく、侍従たちが上手く解散させたのだろう。そう考えていると、馥郁(ふくいく)としたロータスの香りが鼻先を掠めた。


 そのおかげで、振り返らなくとも、ヴァル(あいつ)の存在を感じ取ることができた。


「……遅かったな、聖騎士(パラディン)


「――あははっ! ボクの正体を知っても、まだそう呼ぶんだ?」


「貴様の名など呼びたくない」


「あはっ。ボクも呼ばれたくない。オマエ、気が利くじゃないか」


 ヴァルはクックッと笑いながら、イリオスの横を通り過ぎ、美澪のもとへ向かった。


 イリオスが超えられない境界線を、ヴァルはいとも容易く超えて行く。それが何故か、悔しくて堪らなかった。


「ああ、ボクの愛し子(エフィーリア)……。たくさん傷ついて、痛くて、苦しくて、悲しかったね。でも大丈夫だよ。美澪が安心できるところへ連れて行ってあげるからね」


「なんだと?」


 イリオスは腰に()いた剣を抜き、美澪に触れようとしたヴァルの首筋に切っ先を当てた。鈍く光る剣先が、ヴァルの白磁のように白い肌を裂き、一本の赤い筋を通した。


 ヴァルは生温い血が、首筋を辿って鎖骨に溜まる様子を興味なさげに一瞥し、刃が皮膚に食い込むことを恐れずイリオスを振り仰ぐ。


「なぁに? 人間ごときが、ボクの邪魔をするの?」


 ヴァル瞳孔は猛禽類のように鋭くなり、対して口元は笑みの形に開かれる。


 一息にトドメを刺されてしまう、と錯覚する程の殺気に、イリオスは剣先を離して後退した。


「そうそう。それでいいんだよ。ボクはオマエに邪魔されるのだけは許せないんだ」


 そう言って、軽々と美澪を抱き上げると、


「だいじょーぶ。心配しなくても、ちゃんと連れて戻ってくるからさ。――今はまだ、ね?」


 ヴァルは指を鳴らし、美澪を連れて神域へと消えた。


 その際に生じた風が、ロータスの甘い香りと血液の鉄錆の臭いを掻き混ぜて、イリオスの周囲に死臭に似た悪臭を撒き散らしていった。


 イリオスは鼻を覆うこともせずに、その臭いを肺いっぱいに吸い込んだ。


(グレイスを突き放せない自分も、美澪を手放せない自分も、)


「――吐きそうだ。クソ野郎」


 言って仰いだ(そら)には満点の星が輝いていて、己の美しさを競うように瞬く星々の姿が、皮肉げに笑っているように見える。


 ここはヴァルの神域ではないと分かっているのに、きゃらきゃらと笑う星たちがヴァルの心境を表している気がして、イリオスは胸が悪くなるのを感じた。


 いつまでもここにいるわけにはいかず、抜き身の刃を一振して鞘に戻すと、後ろ髪を引かれる思いで踵を返した。


 照明が消えた舞踏会場を後にし、壁掛け(とう)の明かりに照らされた薄暗い廊下を歩いていく。すると、目の前まから蝋燭(ろうそく)の灯りが近づいてくるのが見えて、イリオスはその場に立ち止まった。


 大理石の床をスルスルと滑るブリオーの裾を視界にとらえ、知らぬうちに詰めていた息を吐き出すと、イリオスは切れ長の瞳を細めた。


「なんの用だ。……グレイス」

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