第27話 4日目の披露宴
エクリオ王室の赤色と黄金を使った装飾に、天井に吊るされた豪奢なシャンデリア。立食形式のパーティーらしく、其処此処に並ぶ豪華な料理やデザートの数々。
「なのにあたしは、ずっと座ってばかりですね」
パーティー会場の特等席に座っている美澪は、王太子妃としての品格を保ったまま、穏やかな笑みを貼り付けて器用に愚痴っていた。
美澪の左後ろに護衛として控えているヴァルは、「何か食べたい物があるなら持って来るよ」と言ってくれたが、首を横に振って遠慮した。
「なんか、多分疲れだと思うんですけど、どうも調子が悪くて……。痛いのを我慢して傷までつくって血を舐めたのに、全然効果無かったし……」
身体は重いわ、頭痛はするわ、胃もたれ吐き気で食事もろくに取れず。化粧で誤魔化す前の素顔は、メアリーが悲鳴を上げるほど酷いものだった。
「こう、何かに取り憑かれたみたいな感じで。もう、しんどくてしんどくて……」
はぁ~、とため息を吐きながら、椅子の肘掛けに肘をついた美澪は、そのまま頭を支えようとして止めた。
「あー、危なかったぁ~。王太子妃が弱ってる姿を、各国の使節団に見せちゃうところだった」
「危ない危ない」と、真紅のレースで縁取られた扇を開き、目元から下を隠す。
メアリーは以前、教養の授業で、水の国と火の国の他に親密な関係を持った国はないと言っていた。
だが、イリオスに訊ねてみたところ、他国間同士の交流は盛んに行われているらしい。なかでもエクリオは、軍事国家ということ――魂の穢れによる国王の乱心で何度か他国が巻き込まれた――で、ヒュドゥーテル以外の国にも関心を寄せられているらしい。それゆえに、政治的な面も大切にしなければならないと言われた。
そして、政治的側面だけでなく貿易も盛んに行われているらしく、特にエクリオでは金を使った装飾品や装身具が好まれるので、金の埋蔵量が一番多い木の国とは友好関係を維持する必要があるとのことだった。
ちなみに、現在のエクリオ国王妃グレイスは、ディエボルン出身の公爵令嬢だったらしい。エクリオには遊学に来ていて、それでイリオスと知り合い、ディセオ国王に見初められたという。
「……メアリーの嘘つき」
美澪がボソリと呟くと、
「別に嘘はついてないと思うよ。メアリーは、面白い関係性は、ヒュドゥーテルとエクリオしかないって言っただけ。実際にそうでしょ?」
と真っ当に反論され、「確かにそうだけど」と納得してしまった。
「……というか、なんでヴァルが私とメアリーの会話内容を把握してるんですか! それにメアリーは、『面白い関係性』だなんて言ってません」
「はいはい。『親密な関係性』ね」
「分かってるなら最初からそう言ってください」
(……それにしても、王族って本当に大変。王太子妃の体調不良ひとつで国家間が揺らぐなんて。あたしはつい最近まで、ただの女子高校生だったのに……)
ハァ、と何度目かのため息を吐くと、ヴァルに「これを飲んで」とグラスを渡された。
「なんですか、これ。あたし、お酒は飲めないんですけど……」
「あはは。ただの葡萄ジュースだよ。美澪ってば、ため息ばっかりついてるんだもん。それに、ずっと気を張ってて疲れてるでしょ? 甘いジュースでも飲んで一息つきなよ。ねっ?」
「ヴァル……!」
疲労で弱った心に、優しい気遣いが染み渡った。
(国同士の交流とやらで妻を置き去りにしてる夫よりも、やっぱり頼りになるのはヴァルよね。……でも)
美澪はグラスをじっと見たあと、チラッとヴァルを一瞥した。
(……これ、本当に飲んでも大丈夫なのかな?)
飲むのをためらっていると、グラスに口をつけようとしない美澪の様子を見て、ヴァルが悲しそうな顔をした。
「ひどいよ、美澪。最近は仲良くなれたと思ってたのに、ボクを疑うの? ……まぁ、別にいいけど。安心して。それはメアリーから受け取ったものだから」
「メアリーに?」
侍女は未婚の伯爵令嬢で、そばに侍ることが出来ないので、会場内のどこかでパーティーに参加しているはずだ。
(あたしのことなんか放っておいて、パーティーを楽しめばいいのに。もう、メアリーったら)
美澪は、姉のように慕うメアリーの気遣いに感謝すると、グラスに口をつけた。程よく冷えた甘く芳醇な葡萄ジュースが、疲れた身体に染み渡る。
「はー、美味し――」
ドクン、と心臓が一際大きく拍動し、度数の強いワインを飲んだ時のように、喉がかぁっと焼ける感覚が襲ってくる。
取り落しそうになったグラスの脚を、なんとか持ち直し、全身の血液が煮えたぎるような痛みに耐える。破裂しそうなほど強く拍動する心臓を、ドレスの上から鷲掴み、荒くなる呼吸に体勢を崩した。
「――ミレイ!!」
異変に気がついたらしいイリオスが、美澪の元に駆け寄ってくる姿をぼやける視界の端に捉える。
「来るのが遅いですよ……ばか……」
そう言って、美澪の意識は暗転した。
*
前方に傾いだ美澪の身体を、イリオスは、間一髪滑り込んで受け止めた。どうやら、頭部打撲は避けられたようで安心する。
遅れて到着した侍従に「殿下、お召し物が……!」と言われ、その時初めて式典用の軍服が濡れていることに気がついた。
「……妃が持っていたグラスの中身がかかっただけだ。私の服などどうでも良い。それよりも、早く宮廷医を呼べ! 私は妃を居室に連れていく」
「かしこまりました!」
宮廷医を呼びに行ったハーバートを見遣ったのち、「会場にいる者たちは――」と指揮を取ろうとして、「必要ない」とヴァルに止められた。
「美澪は大丈夫だから、あんたはパーティーをお開きにしてくれ。――美澪はボクが連れて行く」
「なにを……!」
美澪を腕の中から掻っ攫うようにして居室へと向かう背中に、「後で説明してもらうからな!」と叫ぶと、ヴァルはイリオスを一瞥して颯爽といなくなった。
「ミレイ……何があったんだ……」
イリオスはすぐにでも後を追いたい気持ちを押さえて、独り、パーティーを締めくくった。




