第26.5話 イリオス視点
イリオスは、花園から立ち去っていく美澪の後ろ姿を見つめ続ける。やがて美澪の姿が見えなくなると、イリオスはハァと息を吐いて俯いた。
「少しでも信頼関係が築けるようにここに来たのだが……母上の話で怯えさせてしまったか……。ん? これは……」
美澪が立っていた場所に、手折られた一輪の白バラが落ちている。
(……ミレイの髪に飾った白バラか)
イリオスは白バラを拾い上げ、その香りを嗅いだ。すると、白バラのバニラの香りに混じって、甘くみずみずしい香りがした。
「ミレイの香りが移ったのか」
そう独りごちると、スラックスのポケットからハンカチを取り出した。そして、ハンカチの上に白バラを置いて優しく包んだあと、それをジャケットの内側にしまう。
イリオスはフッと自嘲気味に笑った。
「グレイスを愛していると言ったくせに、ミレイに背を向けられたことに傷ついているとは……」
――矛盾していて、なんとも女々しい。
(そのような男だから、グレイスに捨てられ、ミレイに背を向けられるんだ)
イリオスは顔を上げて花園を見渡した。
……イリオスの母が愛した美しい花の園。
かつて母が言っていた。父から賜った、母のための花の園だと。
イリオスは幼い頃に見た、少女のようにはにかむ母の顔を思い出し、目頭が熱くなるのを感じた。
「……母上。なぜ逝ってしまわれたのですか」
憎らしいほど晴れ渡った蒼穹を見上げて、イリオスは歯を食いしばる。そうして踵を返すと、母が愛した紅色のバラを見遣った。
(死ぬほど恋い焦がれています、か)
「……父上のために死ぬなんて馬鹿げている。そんなものは『愛』とは言わない。……母上、見ていてください。俺は父上のようにはならない。ミレイを死なせることはしない。そのために、グレイスへの気持ちを捨ててみせます」
愛いしていたグレイスでさえ連れてこなかった母の花の園。
母が身罷ってから、イリオスが手入れをしてきた花園に、己の妻となったミレイを連れてきた。
ミレイはこの行為に、どれだけの想いが込められているか知らないだろう。……だが、いまはそれでいい。
(ミレイは故国に帰りたいと言ったが、それは叶わないだろう。例え帰還する方法を知ったとしても、ミレイは帰ろうとしないはずだ)
イリオスはクッと不穏な笑みを浮かべた。
「早く子どもを作ろう。そうすればミレイはどこにも行かない。いや、どこにも行けなくなるだろう」
――優しいミレイは、子どもをおいて故国に帰ることはできないはず。
おあつらえ向きに、晩餐会はあと6日続く。その間、新婦と新郎は寝所を共にする決まりとなっている。
「……今夜の晩餐会は早めに切り上げるか」
そうつぶやいて、イリオスは花園を後にした。
美澪を愛していないと言いつつ、薄暗い廊下を歩くイリオスの胸中には、狂愛が芽吹き初めていた。




