表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/47

第18話 エクリオの新王妃

 ――アネモス城、一階の廊下。


 イリオスは、謁見の間に向かって廊下を歩いていた。


「……俺はなぜ、あのような事を」


 言って、薄い唇にそっと触れた。無意識に浄化を求めたのか、自然とミレイに口づけていた。


 イリオスらしくない突発的な行為だったが、それがまさか、あのような騒動になってしまうとは夢にも思わなかった。


「……ミレイ殿は大事ないだろうか」


 口づけた後のミレイは、まるきり別人だった。


 パラディンが言っていたように、心身に負担がかかったせいでああなってしまったのならば、その責任は当然自分にある。


(……容体が落ち着いた頃に、見舞いにでも行くか)


 そう考えていると、廊下の向かいから歩いてくる人物が見えた。


 イリオスはすぐさま端に避け、臣下の礼をとった。


 滑るように歩いていた人物が、頭を下げたイリオスの前で歩みを止めた。


「朱雀の伴侶、王妃殿下にご挨拶申し上げます」


 言って深く頭を下げたイリオスに、


「面を上げなさい」


 王妃は鈴を転がしたような可憐(かれん)な声で命じた。


「はっ、ありがたく」


 そう言って、立ち上がったイリオスの前に、エクリオの新王妃、グレイス・ラ・エクリオが優雅にたたずんでいた。


 グレイスが静かに右腕を上げると、後ろに控えていた侍女とメイドが後方へ下がっていった。そうして会話の内容が聞き取れないであろう位置まで後退し、目を伏せ影のように整然と動きを止めた。


「……玄関ホールで騒ぎがあったとか」


 扇を開いて口元を隠したグレイスに、


「はい。エフィーリア様が私の魂の(けが)れを浄化してくださった後、意識を失っておしまいになられたのです」


 そう言ったイリオスの耳に、扇の柄が(きし)む音が届いたが、気付かなかった振りをしてグレイスの言葉を待った。


 しかしグレイスは何も言わず、扇で口元を隠したまま、物言いたげな視線を向けてくるだけだった。


 小さく息を吐いたイリオスは、御前を離れる許可を得ようと口を開いた。すると「なぜ」と、ささやくように問いかけられた。


 イリオスは、続きを促すようにグレイスを見た。グレイスは、震える手で扇を閉じ、(すが)るような目で見てくる。


「なぜ、そのようなことに……?」


 分かりきっている事をわざわざ質問され、(あき)れを含んだため息がこぼれた。


「……王妃殿下はおかしなことを仰る。エフィーリア様が私の穢れを払って下さったということは、すなわち私に触れたということ。それでもお聞きになりたいと?」


「――はい。あなたの口から真実を聞きたいのです。……イリオス」


 泣くのを耐えるような声で名を呼ばれ、胸の奥が軋む音を聞いた。


 イリオスは、まっすぐグレイスを見て、


「口づけを」


「え?」


「口づけをいたしました。王妃殿下」


 胸の痛みを堪え、控えている使用人たちに不信感を与えないよう、淡々と答える。


 しかしグレイスは酷く動揺した様子で、手に持っていた扇を床に落とし、抱きつくようにイリオスの両腕をつかんだ。


「口づけをした? イリオスが、わたくし以外の女に……?」


「っ、王妃殿下……!」


 イリオスが焦った声を上げると、グレイスは「皆、下がりなさい」と使用人たちを下がらせた。そしてイリオスの手を引き、手近な空き部屋へ入ると鍵を閉めた。


 イリオスは、閉じられた扉に背を預けて、自分の腕の中に飛び込んできた華奢(きゃしゃ)肢体(したい)を抱きしめた。


「……すまない、グレイス。俺が悪かった。お前の心の準備も出来ていないうちに、このような騒動を起こしてしまって……」


「……ぅ、……うぅ……っ」


 何も言わず、静かに嗚咽を漏らす少女の形の良い頭を、優しくなでてやる。するとグレイスは、涙にぬれた美しい(かんばせ)を上げて、縋るような目を向けてきた。


「イリオス……あなたからしたんじゃないのでしょう? 浅ましいエフィーリアが、あなたの唇を奪ったのでしょう?」


「……それは、」


 罪悪感に目をそらすと、胸元に衝撃が襲った。――グレイスが叩いたのだ。


 鍛え上げられたイリオスの身体を、ドン、ドン、と何度も叩きながら、グレイスは鮮やかなオリーブグリーンの瞳から涙を(あふ)れさせた。


「ひどい、ひどいわ! なぜ、あなたから口づけたの。今朝、わたくしに愛していると告げた唇で!」


「グレイス……」


 ひどい、裏切り者、と腕を振り上げ続けるグレイスの細腕をつかみ、身を屈めてぐしゃぐしゃになったグレイスの顔を覗き込んだ。


「グレイス。俺の意思ではないと言ったら……信じてくれるか?」


 そう言うと、イリオスの拘束から逃れようと暴れていた動きが止まった。


 グレイスは、呆然(ぼうぜん)とした顔でイリオスを見上げた。流れる涙はそのままに、戦慄(わなな)く口を開いた。


「……まさか、ゼスフォティーウの強制力が働いたというの……?」


 イリオスはうなずき、「おそらく」と答えた。それに対してグレイスは、


「そんな……。ただ側に居ただけでエフィーリアの浄化を求めてしまったなんて……」


「俺も驚いた。今代のエフィーリアは、ヴァートゥルナ神の再来と言っても過言でない、と聞き及んではいたが」


「では本当に、エフィーリアに心を奪われた訳ではないの?」


 猶も言い立てるグレイスの姿に苦笑したイリオスは、


「仮にも一国の王太子が、出会ったばかりの小娘を手籠めにすると思うか? それも城に帰還してすぐ、玄関ホールでだぞ」


 言って一笑してみせると、グレイスはようやく得心がいった様子で「それもそうね」とうなずいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ