第17話 ヴァルの独白
ヴァルとメアリーが、穹窿天井の廊下を進んで到着したのは、花とアカンサスが彫刻されたペアドアの前だった。
「パラディン伯様。メアリー様。こちらのお部屋がエフィーリア様の居室兼寝室でございます」
ヴァルが無言でうなずくと、部屋の入口に控えていた二人の使用人が扉を開けた。
広々とした室内は桃色と白色で統一されており、可愛らしく幼い印象を受けたが、随所に設置された優美なデザインの家具と天井から吊り下げられた真鍮のシャンデリアによって、洗練された格式高いものになっていた。
「ミレイ様がお喜びになりそうですわ」
メアリーのつぶやきに、
「エフィーリア様はエクリオの王太子妃となられるお方でございますが、デビュタントに参加なさるお年頃の女性と聞いておりましたので、このように誂えてみました」とメイドが言った。
「ミレイ様のお心に適っていると思います。短い期間で良くぞここまで。ミレイ様が目を覚まされたら、さぞお喜びになるでしょう。ミレイ様に代わりお礼申し上げます」
「恐れ多いことでございます」
言って頭を下げたメイドを一瞥し、ヴァルは絨毯を踏んでシャトーベッドまで向かうと、シワのないシーツの上に美澪の身体を横たえた。
着飾ったままだと寝苦しいだろうと思ったヴァルは、美澪の髪を解き装飾品を外すと、ボレロを脱がせるようメアリーに命じた。指示に従ったメアリーは、
「寝間着にお着替えいただきましょうか?」
と伺ってきたので、ヴァルは首を横に振った。
「いや、あとでいい。美澪の眠りを妨げてしまってはならないからね」
メアリーは「かしこまりました」と言った。するとメイドのひとりが、
「わたくしたちは、エフィーリア様の隣室に控えております。御用がおありの際は、サイドテーブル上のベルをご使用くださいませ。――メアリー様。よろしければ城内をご案内いたします」
「まぁ! ありがとうございます。……パラディン伯様、わたくしはミレイ様のお荷物を整理したあと、城内を案内していただきます。ミレイ様をよろしくお願いいたします」
そう言い残して部屋を後にしたメアリーとメイドたちの気配が消えるのを待って、ヴァルは、美澪の眠るベッドの縁に腰を下ろした。
美澪の幼い寝顔を見下ろし、額にかかる髪を避けてやる。
時折、苦しそうに眉根を寄せる美しい顔を、ぬるま湯で湿らせた手ぬぐいで優しく拭いていく。それを何度も繰り返しながら、汗と一緒に化粧を拭い取っていくと、美澪の寝顔が穏やかなものになった。
ヴァルはホッとして、手ぬぐいを水桶の中に戻し、美澪の隣で横になった。美澪とそう変わらない体格をしているヴァルには、セミダブルのベッドは狭苦しくなく、むしろ美澪にくっついて寝られる所が気に入った。
ヴァルは美澪の横顔を見つめながら、先程起きた騒動を思い返していた。
『嫌、嫌よ。もっと愛して……。わたくしのことを愛してるって言ってくれたではないの。永遠に愛していると言ったではないの……!』
「……トゥルーナ。姉さん。永遠の愛なんて存在しないんだよ」
『……あなた様はいつもそう。あの女の名ばかり呼んで、わたくしのことは放っておいた……』
「エフィーリアは……。グレイスは、ボクたちの加護を与えた愛し子だった。ボクにとっては、妹も同然だったんだ……! それなのに、ゼスフォティーウは、大事なグレイスを連れて行ってしまった。やがてグレイスもゼスフォティーウを愛するようになって、姉さんの心は壊れてしまった……」
『わたくしは、わたくしには、あなた様しかいないのに……』
ヴァルは頭を振った。
「そんなことはない! 姉さんは一人なんかじゃなかった。ボクがいた! トゥルーナ、ボクたちは双子神だ。二人で一柱の神だったんだ! なのにどうしてボクを残して消滅しちゃったの? なんで姉さんの瞳にはボクが映らないの?」
支子色の瞳から、涙が溢れた。
気を失う寸前まで、ゼスフォティーウの名を呼んでいた。
裏切られたのに。
ひどい仕打ちも受けた。
最後には無惨にも捨てられて……。
「……あいつを殺せばよかったんだ。神殺しの剣で、ゼスフォティーウを殺してしまえばよかった……!」
だがトゥルーナはその剣で、己の身体を貫いてしまった。
ヴァルは憎んだ。
ゼスフォティーウを。
グレイスを。
だが、彼らへの神罰は天帝が許さなかった。
天帝の望みは唯一つ。
――ペダグラルファの安寧。
「ハッ! ……クソみたいな話だ」
ヴァルは天井を仰いで、前髪を掻きむしった。
流れる涙はそのままに、無表情で眠る美澪を見つめた。
トゥルーナと同じ紺青色の美しい髪をした少女。大人になる前のあどけない顔の中心で、宝石のように輝く瑠璃色の瞳。真白で汚れ一つない魂の持ち主。そしてその魂は、トゥルーナのものと同じ形をしている。
ヴァルは愛おしい気持ちを隠せなかった。
今度こそ守り抜いてみせると自らに誓った。
「……ねぇ、美澪。君は知らないだろうけど、ゼスフォティーウの生まれ変わりは必ず人間の女に恋をするんだ。グレイスが死んだあと、トゥルーナの魂を持ったエフィーリアが生まれた。エフィーリアはゼスフォティーウの魂――エクリオの王族に恋をし、真実の愛とやらに敗れ、絶望しながら死んでいく。それを何度も、何度も何度も繰り返すうちに、エフィーリアの魂がトゥルーナの形を取り戻していった」
ヴァルは、まろくひんやりとした美澪の頬をなでる。
「ボクは待った。待ち続けた。何人ものエフィーリアが自害していくのを瞳にしながら、トゥルーナが戻ってくるのを待ち続けた」
そうしてトゥルーナは戻って来た。
泉 美澪という人間の少女の姿で。
「……でも誤算だったのは、ボクが美澪を愛してしまったことだよ。ボクが待っていたのは、愛していたのはトゥルーナだったはずだ。だから、美澪を使ってあいつに復讐して、エクリオを壊滅させてやろうと思っていた。……なのに君は、姉さんの魂をその身に宿しながらも全くの別人。……ただの美澪だったんだ」
美澪を神域に呼び出した日を覚えている。そして初めて、ヴァルの孤独を気にかけてくれたエフィーリア。
「美澪。キミは特別なんだよ? だから、こんなくだらない使命なんてさっさと辞めて、ボクと一緒に神域に帰ろう? そしたらずーっと一緒だよ」
ボクが永遠に愛してあげる。
美澪を見つめる支子色の瞳は、純愛と欲望が複雑に混じり合い、とろりと溶け落ちてしまいそうな程、蠱惑的に妖しく光っていた。
その時、ヴァルは気づかなかった。美澪の右手の指先が、ピクリと動いたことに……。




