第15話 エクリオ、馬車の中にて
エクリオの聖なる泉は、どうやら城の周りに広がる広大な森林の中にあったらしい。城に戻るには馬か馬車が必要だと言われ、美澪は馬車を選んだ。そうして今、美澪とヴァルは馬車の中で向かい合って座っている。
本来ならば、専属侍女であるメアリーも同乗するべきなのだが、大事な話があるからと言って別の馬車に乗ってもらった。
ガタゴトと揺れる馬車の中、美澪は腕を組んでヴァルを睨め付ける。対してヴァルは、黙ったまま車窓の外を見ていた。
先程から何度呼びかけても反応を示さないヴァルに、我慢の限界に達した美澪は、乾いた唇を舐めて口を開いた。
「……これ以上待ってもなんにも話してくれないなら、あたし……ヴァルのこと、嫌いになります」
「それはダメッ!!」
血を吐くように叫んだヴァルに驚いた美澪は、目を丸くして、暫しの間、固まった。
ヴァルは、縋るような瞳を美澪に向けたまま、ハァハァと肩で息をした。それから苦痛に耐えるような表情を浮かべ、視線を足元に落とした。
そして弱々しい声で「……嫌いになったらイヤだ」と言った。
美澪は何度か口を開閉させたのち、
「……ごめんなさい、ヴァル。あたし、深い意味で言ったわけじゃなくて……。嫌いになるって言ったの……嘘なんです。冗談。だってまさか、ヴァルがそんな反応するなんて思ってなくて……」
そう言い訳する間も、顔を上げようとしないヴァルを見て、美澪はただ「ごめんなさい」と言うことしかできなかった。
永遠にも思える時間を沈黙が支配し、聞こえてくるのは馬車の車輪が轍を残す音と馬の蹄が地を蹴る音だけだった。
……これからどうしよう、と美澪が車窓の外に視線を向けた時、ヴァルが独り言のように「謝るから嫌いにならないで……」と言った。
(嫌いにならないで、って……)
美澪は困惑した。
どうしてそこまで美澪に嫌われることを恐れるのか、理由がわからなかったから。
美澪は瞳を閉じて深呼吸すると、膝の上で強く握りしめられているヴァルの手を、そっと優しく包み込んだ。
「……ヴァル。あたしは別に、あなたに謝ってほしいわけじゃないんです。ただ、なんであんな……王太子に対抗するようなことをしたのかなって。……あたしが住んでた国には王様なんていなかったから、君主制って言われても、いまいちピンとこないけど。でも、あのひと剣を持ってたし、王族だから法律とか関係なく人を切っちゃうのかなって。もしヴァルが殺されちゃったら嫌だなって思ったから。だから、なんであんな危ない行動したのよ、って怒ってたんです」
できるだけ落ち着いた声で、真摯に自分の気持を吐露すると、ようやく支子色の瞳がこちらを向いた。
美澪はホッとして「やっとこっちを見てくれましたね」と苦笑した。
ヴァルは美澪を上目使いに見て「正直に話したら、ボクのこと、嫌いにならない……?」と言った。
美澪は幼子を相手にするように、
「ならない。嫌いになりません」
そうハッキリと言って笑った。それにぎこちなくほほ笑んだヴァルは、
「……あいつ、他に女がいる……」
眉根を寄せて、歯をギリリと咬み締めたヴァルに、美澪は目を丸くした。
「おんな……。だ、誰でしょう?」
「それは、わからない……」
言って、力なく頭を振ったヴァルの言葉に信憑性を感じた美澪は、
「……まぁ、仕方がないですよ。王太子殿下にも好きな人くらいいるでしょう。ってことは、あたしと王太子殿下。どっちも強要されて結婚するんですね」
(結婚する前から愛人がいるってわかっちゃった。この場合、どうすればいいんだろう。それにあたしは、王指太子殿下のこと、好きじゃないし。……まぁ、複雑な心境ではあるけど)
指をもじもじ動かして、もんもんと考え込む。
「それにね、美澪。あいつ、魂が……そっくりだった」
「魂が……?」
うん、とうなずいたヴァルは、躊躇うように視線を泳がせ、
「あいつの魂、ゼスフォティーウにそっくりだった」
「――え?」
ドクンッ、と美澪の心臓が大きくはねた。それは一瞬のことで、思い違いだったのかと首を傾げると、美澪の異変を感じ取ったヴァルが不愉快そうに美澪のベールを剥ぎ取った。
「……美澪、あいつに惹かれてたでしょ?」
美澪はビクッとして、
「え!? と、突然なにを言い出すんですか!」
「あいつと初めて会った時、何か感じなかった?」
「な、何かって?」
「懐かしい感じがしたとか、胸が高鳴ったりとか」
「あっ……あった、かも」
「ほーら、やっぱりね!」
それ見たことかと呆れ返った視線を向けられ、美澪は身を縮こまらせた。そうして居心地悪げにそわそわする美澪に、
「言っておくけど、ひと目惚れとかじゃないから」
そう、ため息混じりに言われた美澪は、
「分かってますよそれくらい! どうせアレでしょ。あたしの魂がヴァートゥルナと同じだから、ゼスフォティーウの魂を持った王太子殿下に、無意識下で惹かれてるとか言いたいんでしょう?」
早口でまくし立てるように言った美澪の顔を、ヴァルはまじまじと見つめて、感心したようにうなずいた。
「正解だよ、美澪。ボクが心配しなくても、ちゃんと分かってたんだね」
「こう見えて察しがいいんです。あたし」
美澪の言葉に、ヴァルはハハッと笑顔をみせた。
(それにしても、『愛人』がいるのか……)
その単語が喉にひっかかった魚の小骨のように、不快で不快で仕方がなかった。




