第14話 せめぎ合い
日本では――しかも女子高校生――そうそう受けることのない淑女としての扱いに、美澪は恥じらい戸惑った。
狼狽える美澪に好感を覚えた様子のイリオスは、自然な動作で美澪の手を解放した。
どうしたら良いか内心困っていた美澪は、右手が自由になったことに胸をなでおろし、安堵の表情を浮かべる。
そして、引っ込めようとした細い手首を、ヴァルが右横からつかんだ。
「――ヴァル?」
美澪は、後方に控えていたはずのヴァルが、いつの間にか自分の隣に並び立っていたことに驚いた。
「ヴァル? どうしたんですか?」
ヴァルは何も言わずに、美澪の手首を強く引いて、己の胸の中に閉じ込めた。これにはさすがの美澪も動揺し、
「ヴァル……! あなたなにやってるんですか! いますぐに離してください……!」
そう抵抗しながら言った美澪に、当のヴァルは何も言わず、蠱惑的な笑みを浮かべて、白魚のような手を持ち上げた。
そして騎士服の胸元からハンカチを取り出すと、イリオスが口づけた手の甲をゴシゴシと拭いていく。
目を丸くした美澪は、
「ヴァ、ヴァル、なにする気ですか? ていうか……いたっ、痛い痛い! 強く擦り過ぎです!」
美澪に言われたヴァルは、拭きすぎて赤くなってしまった手の甲を見ると、そうすることが当然のように、熱を持った美澪の手の甲にキスをした。
そして、唇を離す寸前に、薄い皮膚をちろりと舐めていった。
「な……!?」
「……にするんですか!」と小声で抗議した美澪に、ヴァルは、「消毒しただけだよ。ほら、ボクの神力でキレイになった」と美澪の耳もとで囁いた。すると――
「貴様。我が妃に何をした」
イリオスは険しい表情を浮かべ、腰に佩いた剣の柄に手を添えた。
しかしヴァルはどこ吹く風で、汚れたハンカチをつまみ持つと、汚物を捨てるかのように手を離す。
そして、ひらりと着地したハンカチをぐちゃぐちゃに踏みにじった。
「な……っ!」
「ヴァル!?」
驚愕した王太子と美澪を見たヴァルは清々しい笑顔で、
「穢れた魂で、エフィーリア様に無体な事をなさるからです。エフィーリア様の魂は、純粋で清廉なガラス玉のように繊細なヒュドゥーテルの宝。……今後のお務めに差し障りが生じないよう、僭越ながら、私めが神力にて浄化いたしました」
「貴様……!」
一触即発の空気に、2人と美澪以外の人間は、一様に身構えた。
(なになになに!? これから戦争でも起こるんか!?)
はわわ、と慌てた美澪は、イリオスのそばに侍従らしき人物を見つけ、咄嗟に彼に向かって話しかけた。
「あっ、あの! そこの侍従の方! 私、少し疲れてしまいました。今宵、休める場所まで案内してくださる!?」
思いのほか大きな声になってしまったことに若干の恥ずかしさを感じながら、美澪のおかげで緊張の糸が切れた随従者たちは、それぞれの仕事に移り始めた。その様子を見た美澪は、
(よし! ……あとはこいつらね……!)
美澪は憤りを笑顔の下に隠してヴァルのもとへ行く。ひくつく口角を右手で押さえながら、
「ヴァル。あたしのためにありがとう。おかげ様で、もう大丈夫です。……王太子殿下の侍従の方が、今夜休む部屋に案内してくれるらしいです。ほら、ね? ヴァル、行きましょう!」
と言って、仕方がなくヴァルと腕を組んだ。
「王太子殿下、我が騎士の無礼をどうか広い御心でお恕しくださいませ。……それに私はまだ、こちらに召喚されて七日も経過しておりません。少々疲れが生じてしまったようです。夜の晩餐会まで居室で休ませて頂いてもよろしいでしょうか?」
「……ええ。そうするべきでございましょう。――ザック」
「はっ!」
呼ばれた兵士が、イリオスの前に片膝をつく。
「ハーバートとともに、エフィーリア様を城にお連れしろ。それとザック、貴様はエフィーリア様の警護につけ」
「はっ! かしこまりまして」
頭を垂れたザックの姿にうなずいたイリオスは、
「ハーバート、聞いていたな。よろしく頼むぞ」
そう言って大きな丸メガネをかけた青年が、
「はい、おまかせください」
と元気よく応えてペコリとお辞儀をした。
(ヴァルからエクリオは軍事国家だって聞いてたけど、実際に見るとすごいわね。映画のワンシーンみたい)
イリオスたちの様子をじっと見ていた美澪だったが、ふとイリオスと瞳が合ってしまった。まさか、無視するわけにもいかず、ヴァルを伴ったまま、軽く膝を曲げた。
「……それではエクリオ王太子殿下。夜の晩餐会でお会いいたしましょう。――メアリー、行きましょう」
イリオスの言葉を待たず、一方的に会話を終わらせた美澪は、イリオスの侍従に案内されて森の中へと入って行った。
王太子直属の騎士団を従えたイリオスは、小さくなっていく美澪の姿をじっと眺めていた。
(……美しい顔に幼さが残る、か弱い御仁だと思っていたら、なかなかどうして頭の回る、たくましい娘だったな……)
イリオスはふむ、と顎に手を添えた。
(さて。あの娘をどうするか……)
そう考えた時、美澪にまとわりつくパラディンの姿を思い出した。
イリオスはチッと舌打ちをし、舞い上がる砂をマントを翻して防いだ。
「あのパラディン……邪魔だな……」
忌々しげに呟いたイリオスは、「戻るぞ」と言って、城に向かって歩き出した。




