表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

【オムニバスSS集】青過ぎる思春期の断片

こんなにも不出来な私でも、生きていく他ないので。

作者: 津籠睦月

 陽キャじゃないから他人と話せないだとか、コミュ力が無いから上手く関係性が(きず)けないだとか、人づき合いの成否を性格(キャラ)能力(スペック)のせいにする人間は多い。

 だけど、私は知っている。

 他人と上手くつき合えるかどうかは、結局のところ、自分に“ゆとり”があるかどうかだ。

 気楽に他人と話ができる心の余裕(よゆう)、他人の心情や事情を()める精神の余裕――それがあるかどうか、だ。

 どんな人格者でも、コミュニケーションの達人でも、自分のことしか考えられない切羽詰(せっぱつ)まった状況(じょうきょう)では、他人を思いやっているゆとりなんて持てない。

 まして、気づけば自分のことでいっぱいいっぱいの私なんて、尚更(なおさら)そんなゆとりがあるわけがない。

 

 私は元から、自分に自信の無い人間だ。

 元から、自分が他の人間と“(ちが)う”ことを自覚している。――それも、悪い方向で。

 

 いつも、何かとタイミングが悪くて、周りをイライラさせる。

 いつも、言動が他の人と少しズレて「何言ってんの、この子」みたいな目で見られる。

 博愛主義(はくあいしゅぎ)の大人なら「自分のペースで良い」「他人と意見が違うのも君の個性」なんてフォローしてくれるのだろう。

 だけど、私が今()るのは、そんな“建前(たてまえ)”もロクに無く、“周囲と違う人間”は普通に差別されがちな、残酷(ざんこく)な子ども社会だ。

 (みんな)から「鈍臭(どんくさ)い子」「変わった子」という目で見られ続けて、自己肯定感(じここうていかん)なんて育つはずもない。

 

 自分に自信が無い人間は、いつも心がいっぱいいっぱいで、ゆとりなんて持っていられない。

 いつでも周りの目が怖くて、何に(おび)えているのかも分からないまま、ビクビクオドオドしてしまう。

 きっと他の人にとっては何でもない挨拶(あいさつ)ひとつにも、緊張(きんちょう)して心が(ふる)える。

 心に余裕の無いこの苦しさは、きっと“普通の人”には分からない。

 

 何か行動を起こそうとするたび、何かを間違(まちが)えていないかとドキドキする。

 “他の人が当たり前に知っていること”を知らずに、変な勘違(かんちが)いをしているんじゃないか……。

 “私なりのベストなやり方”が、実はとてつもなく非効率(ひこうりつ)的外(まとはず)れで、(みんな)はもっと簡単(かんたん)最適(さいてき)なやり方で物事を進めているんじゃないか……。

 いつも他人の優秀さを異常に(おそ)れ、いつも自分を悪い方に(うたが)う。

 “他人より(おと)った私”が見つかってしまうのを恐れて、無意識に人目を()ける。

 現代人は承認欲求(しょうにんよっきゅう)が強いなんて言うけど、私は「目立ちたい」「注目されたい」と思ったことなんて一度も無い。

 こんな私が多くの人の目に(さら)されるなんて、とんでもない。

 

 こんなにも心にゆとりが無いのは、私が人間(ひと)として不出来(ふでき)なせいなのだと、ずっと思ってきた。

 だけど、気づいた。

 私より能力が低くても、余裕で他人と付き合える人間はいる。

 私よりずっと能力が高いのに、私と同じくらい余裕が無くてオドオドしている人間もいる。

 “人生は心の持ちようひとつ”って、きっと結構(けっこう)真実なんだ。

 

 だけど、それが分かったところで、そう簡単に性格は変えられない。

 実際問題、私が何かと他人より(おと)っているのは事実なのだ。

 結局何かと弱肉強食なこの世の中で、人より劣った人間は、人より(きび)しいサバイバルを()いられる。

 

 公平だの、平等だの、いじめや差別の無い世の中だの、多様性(たようせい)だの、SDGsだの……立派(りっぱ)でお綺麗(きれい)な“理想”が、今までどれだけこの世で(さけ)ばれて来たか知れない。

 だけど私が今()るこの現実は、ちっともそんな優しい世界になっていない。

 きっと皆、(えら)い大人から押しつけられた理想より、身近な弱者や敗者をつついて(たた)いて嘲笑(わら)う方が(たの)しいんだ。

 

 大人たちはよく、いじめや差別が“悪意”から生まれると思っている。

 いじめや差別をするのは、性格からして“悪い”人間なのだと。

 だけど、私は知っている。

 少なくともあの子たちは、それを“悪い”と思ってやっていない。

 心の奥底には“悪意”があるのかも知れないけど、それはたぶん、本人さえ無自覚の、無意識レベルの“意識”なんだ。

 あの子たちには“悪いこと”をしているつもり(・・・)が無い。

 周りから“悪いこと”だと言われても、本人たちはそれが“悪いこと”だと認識(にんしき)していない。

 

 あの子たちは、ただ“(たの)しいこと”をしているんだ。

 相手が(きず)つき、心を()むような行為(こうい)を“おもしろがって”やっている。

 さらには仲間内でその“愉しさ”を共有(シェア)して、行為をますますエスカレートさせる。

 誰かが()めさせようとすると「愉しいことに水を()すな」と不機嫌(ふきげん)になる。

 だから、厄介(やっかい)なんだ。だから、残酷(ざんこく)なんだ。

 だから、理屈(りくつ)()めさせるのが(むずか)しいんだ。

 

 本能的な“愉しさ”の前では、善悪やモラルなんてあまりに弱々しい。

 まして“快楽に弱い子”に、そんなものが(ひび)くわけがない。

 「いじめをしてはいけません」なんて、当たり前の説教(せっきょう)で解決できるようなものじゃないんだ。

 

 結局大人は、標的(ひょうてき)にされる子どもを守る(すべ)なんて持てていない。

 子どもは必死に、自分がターゲットにならないよう、立ち回り続けるしかないんだ。

 (だれ)にも助けてもらえないなら、自分で自分を守るしかないんだ。

 

 不出来(ふでき)な人間は、何かと言っては“存在の消滅(いなくなること)”を(ねが)われる。

 ただ“ありのまま”でいるだけなのに「生きる価値(かち)が無い」と断罪(だんざい)される。

 好きで足を引っ()っているわけじゃないのに、わざと気に(さわ)ることを言っているわけじゃないのに、自分で選んで“能力の低い人間”に生まれたわけじゃないのに……一方的に、生の価値を決めつけられる。

 あまりに重い存在否定(そんざいひてい)を、あまりに軽く、簡単に投げつけられる。

 

 だけど、生きる意味を否定されたところで、死を願われたところで、そう簡単にこの命を手放すことはできない。

 自分で生を終わらせるには、大概(たいがい)の場合、壮絶(そうぜつ)苦痛(くつう)(ともな)う。死に対する、本能的な恐怖(きょうふ)もある。

 何より私自身、まだこの人生を()ててしまいたいわけじゃない。

 (のぞ)まれなくても、(うと)まれていても、生きていくしかないんだ。

 望むような自分じゃなくても、他人(ひと)より(おと)っていても、生きていくしかないんだ。

 だから、生きていく(ほか)ない私は、自分が生きていける方法を考える。

 こんなにも不出来な私でも、何とか毎日を生きていけるよう、必死に知恵(ちえ)(めぐ)らす。

 

 私の“出来(でき)なさ”に(おこ)る人達は、「どうしたら出来るようになるのか」を教えてはくれない。

 “出来ない私”に苛立(いらだ)つなら、私が“出来る”ようになれば、全て解決して皆幸せになれるはずなのに、その方面に頭を使ってはくれない。

 そもそもあの人達にも「分からない」のかも知れないけど……能力の差を()める知恵と努力は、いつでも“出来ない側”が()わされる。

 そもそも方法も何も分からないから“出来ない”のに「出来るようになれ」なんて、明らかな無理難題(ムリゲー)だ。

 

 せいぜい私に出来るのは“出来る人”の真似(まね)をすること。

 そして“出来ない”ことがバレないよう誤魔化(ごまか)すことだけだ。

 “出来ない私”を(いつわ)って、“普通の人”の仮面を(かぶ)る。

 いつか見破(みやぶ)られるんじゃないかとヒヤヒヤして、心はいつも綱渡(つなわた)りの緊張感(きんちょうかん)だ。

 とてもじゃないけど、余裕なんて持っていられない。

 

 心にゆとりがあれば、人づき合いを楽しむことも出来るんだろうな――なんて思う。

 もっと積極的(せっきょくてき)に他人に話しかけて、交友関係(こうゆうかんけい)を広げることも出来るのかも知れない。

 今の私には何より、そこの余裕が()りていない。

 コミュニケーションを楽しむ余裕、人生を楽しむ余裕、何気(なにげ)ない毎日を楽しむ余裕が……。

 

 “出来ない自分”を必死に誤魔化(ごまか)す日々でも、()れればいつかゆとりが持てる日も来るのかな――なんて、希望を(いだ)いてみることもある。

 (うそ)(つらぬ)き通して(まこと)にする例があるように、私のこの偽りも、いつか本当にならないかな、なんて考える。

 こんなにも不出来な私でも、死にたくはないから、生きていくより他ない。

 だから、せめて希望を夢見る。

 心の持ちようひとつで変わる人生が、絶望(ぜつぼう)(ころ)んでしまわないよう、必死に頭を(めぐ)らす。

 必死に頭と精神(こころ)を使って――今日も、何とか生きていく。

Copyright(C) 2024 Mutsuki Tsugomori.All Right Reserved.

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ