第73話 久しぶりに二人で
久しぶりに見るエドウィンは、相変わらず貴族的美貌を大いに備えた男だった。
やたらと豪華な服もよく似合っているし、歩き方一つとっても、その辺の貴族とはまるで違う。
そしてエドウィンは、真っ直ぐにこちらへ近づいてきた。急に会場全体が静かになったのは、この場にいる全員がドロシーとエドウィンに注目しているからだろう。
ケルステン公爵家の跡継ぎであるエドウィンと、ベルガー侯爵家の長女であるドロシー。間違いなく血筋的には釣り合いのとれた婚約だった。
それを、エドウィンが一方的に破棄したのだ。男爵家の娘であるカロリーネと婚約する、という理由で。
そんなわたくしたちが久々に会うんだから、周りが気にするのも当然よね。
積極的に話したい相手ではないが、だからといって無視するわけにもいかない。エドウィンの背後には、ケルステン公爵だって立っているのだから。
ケルステン公爵はエドウィンと同じく華麗な美貌の持ち主だが、既に頭髪は白く、杖をついている。公爵はなかなか子供ができず、やっと生まれたのがエドウィンなのだ。
「久しぶりだな、ドロシー」
馴れ馴れしくドロシーを呼び捨てし、エドウィンはにやにやと笑った。
「……ええ。お久しぶりですわね」
名前を口にするのも嫌だ。言外にそう伝えてやると、エドウィンは軽い溜息を吐いた。
「元気そうじゃないか。田舎暮らしが性に合っているらしいな」
「そうみたいですの。空気も澄んでいて、身体にもいいところですから」
あからさまな嫌味に笑顔で応じる。カロリーネと違って、エドウィンは格上の相手だ。形式的な礼儀を守る必要がある。
「それはよかった。心配していたんだ。文でも送ろうかと思ったぞ」
「まあ。ありがたいですわ」
馴れ馴れしい笑顔を浮かべたエドウィンが内心でなにを考えているのか、いまいち想像しにくい。
大勢の前で婚約破棄をしておいて、今さら礼儀正しい態度をとろうとしていることも不思議である。
「エドウィン先輩」
いきなり会話に入ってきたのはヨーゼフだ。彼と一緒にいた学校の生徒たちが、興味深そうな眼差しを向けてくる。
エドウィンはもう卒業してしまったが、二人は同じ学校に通っていた。ドロシーよりよほど、ヨーゼフの方がエドウィンと話した回数は多いだろう。
「カロリーネ殿はあちらにいらっしゃいますよ」
微笑んで、エドウィンがカロリーネの場所を示す。彼女は壁際に立ち、じっとこちらを見つめていた。
エドウィンがきても、カロリーネはすぐにここへこなかったわ。
それに今も、遠巻きにわたくしたちを見ているだけ。
この二人、なにかあったのかしら?
「……分かっている」
頷くだけで、エドウィンはカロリーネを迎えにいこうとはしない。
「そうだ。僕、先輩と話したいと思っていたんです。生徒会選挙について、アドバイスをいただきたくて」
それ以上カロリーネの話は広げず、代わりにヨーゼフはエドウィンを見てにっこりと笑った。
生徒会選挙、という言葉にざわついたのは、なにも彼らと同じ学校に通う生徒ばかりではない。
名門貴族の子弟が通う学校において、生徒会はそれなりの権力を持つ。
学生である彼らが学校の運営に深く関わる……ということではないが、生徒会に所属していたこと自体が、光り輝く経歴となるのだ。
生徒会役員は毎年、立候補者の中から投票で選ばれる。選ばれるのは上位四名で、投票数が多かった順に、会長、副会長、書記、庶務を務める決まりである。
実質、ただの人気投票なのよね。
選ばれるのはいつも、名家の男たちだ。様々な要素が絡み合うため、在校生たちにとっては誰に投票するかも重要になってくるイベントである。
確かエドウィンは、最上級生の時に会長を務めていたはずだ。
「……もう選挙に出るのか?」
「はい。ありがたいことに、学院長から推薦をもらいましたので」
ヨーゼフがさらっと答えたのと同時に、背後の集団から歓声が上がる。そしてエドウィンは、苦虫を嚙み潰したような顔になった。
「……ドロシー」
小声で名前を呼ばれ、ベルンハルトに腕を引かれる。平民上がりのベルンハルトにとっては、全く理解できない話題なのだろう。
説明してやりたいが、ここで全てを説明するわけにもいかない。
最上級生でもないのに選挙に出る時点で、ヨーゼフはすごく優秀さが認められているってことよね。
学校での人間関係を、たかが学生時代のもの、と軽視することはできない。国の要職を務める者は大半が学生時に生徒会を務めた者ばかりだから。
「……ヨーゼフ。その話は後でゆっくり話そう。今俺は、ドロシーに用がある」
エドウィンは表情を変えずに再びドロシーの前に立った。
「開始まではまだ、少し時間がある。久しぶりに二人で話さないか?」
「……はい?」
予想もしていなかった言葉に、ドロシーは目を丸くする。いったい、エドウィンはなにを考えているのだろうか。
エドウィンは婚約者がいる身で、わたくしは既婚者よ。それなのに、二人で話そうだなんて!
「行こう、ドロシー」
エドウィンは強引にドロシーの手を掴んだ。とっさに振り払おうとするが、力ではエドウィンに敵わない。
抗議の声を上げようとした瞬間、エドウィンに耳元で囁かれた。
「俺の父親も見ていることを忘れるなよ」
「……っ!」
エドウィンの父・ケルステン公爵。彼は名門・ケルステン公爵家の当主であり、そして現在、武官長として国王陛下に仕えている。
つまりケルステン公爵は、全ての武官にとって上司にあたる存在だ。もちろんベルンハルトだって、例外ではない。
「……分かりましたわ」
ここで彼に逆らうのは得策ではない。渋々頷いて、ドロシーはベルンハルトへ視線を向けた。
大丈夫ですわ。わたくしはもう、婚約破棄を突きつけられて、何も言えなくなったあの時のわたくしじゃないもの。
ケルステン公爵がいない場所へ移動できると考えれば、エドウィンの提案もそう悪くはないだろう。
エドウィンに案内されるがまま、ドロシーは広間に隣接したバルコニーへと向かった。
背中で、ベルンハルトの鋭い眼差しを感じながら。




