第68話 ベルンハルトがすべきこと
「姉さん、ベルンハルト殿、いい?」
ドロシーとベルンハルトを椅子に座らせ、ヨーゼフが腰に両手をあてて話し始めた。わざわざドロシーとベルンハルトを離して座らせたのは、私語を禁じるためだろう。
「舞踏会は貴族の戦場だから。姉さんも分かってると思うけど」
王都に到着すると、ドロシーの父であるベルガー侯爵が迎えてくれた。
今日はゆっくり屋敷で過ごそう……とドロシーは思っていたのだが、屋敷に到着するなり、ヨーゼフの部屋に連れてこられたのである。
「ヨーゼフ、戦場っていうのはちょっと言い過ぎじゃないかしら?」
「言い過ぎじゃないよ。社交界で上手くやるっていうのは、貴族にとって大事なことなんだから」
貴族の主な収入源は領地からの税収であり、貴族の仕事は領地の経営だ。
だがしかし、領地の経営は部下に任せ、本人は社交界で自分の影響力を広げることにだけ注力する貴族も多い。
それを愚かだ、と評することはできない。貴族社会において、社交界での立ち位置はすこぶる重要なのだ。
「顔、体型、服装、装飾品、ダンスの技術、社交性、従者……ありとあらゆるものが周りから評価される。もちろん家柄が一番大事だけど、それだけじゃやっていけない」
ヨーゼフの言葉は真実だ。実際、それほど上級貴族の出身でなくても、社交界で注目され、恵まれた縁談や地位を手にする者は男女ともに多い。
だけどわたくしもお父さまも、そんなに社交場は得意じゃないのよね。
「姉さんはまあ、ベルガー侯爵家でそれなりの教育は受けてるけど……」
ヨーゼフに視線を向けられ、ベルンハルトは気まずそうに目を逸らした。小動物に睨まれた狼みたいなのに、その反応はあまりにも可愛すぎる。
やっぱりベルンハルト様って、最高だわ……!
「ベルンハルト殿。舞踏会にはあんまり出席していなかったと思うけど、苦手なの?」
「……あまり必要性を感じておらず。どうしてもと招かれた際は、顔を出していましたが」
ベルンハルトが舞踏会を好まないのは想像通りだ。
社交界のことばかりを気にする軟弱な貴族連中たちより、実務に励むベルンハルトの方が何倍も男性的魅力があるに決まっている。
やっぱりベルンハルト様って、素敵な旦那様だわ!
「姉さん」
「なにかしら?」
「いちいちベルンハルト殿にうっとりしないで。顔がうるさい」
「顔がうるさい!?」
ヨーゼフに注意されるかと思って黙っていたのに、まさか顔を注意されるとは。納得はいかないけれど、ベルンハルトにうっとりしていたのは事実だ。
「姉さん。舞踏会に出るにあたって、ベルンハルト殿がなにをするべきか分かる?」
「え? 服は用意してあるし、顔は世界で一番格好いいし、体型だって男性らしくて素敵で……分かったわ!」
「なに?」
「女性の視線を独占してしまって、他の男性から嫉妬され過ぎちゃうから、どうにかしないと……ってこと?」
はあ、と盛大に溜息を吐くと、ヨーゼフは首を横に振った。
「ダンスレッスン」
ドロシーとベルンハルトが首を傾げると、ヨーゼフは先程と全く同じ言葉を繰り返す。
「だから、ダンスレッスン! ベルンハルト殿、ダンス得意じゃないんでしょ!?」
ヨーゼフの予想だったのだろうが、当たっていたらしい。ベルンハルトはゆっくりと頷いて、はい、と蚊の鳴くような声で答えた。
舞踏会と言えば、ダンスだ。
未婚女性は何人の男性に誘われるかをステータスにするし、未婚男性は誘いに失敗すれば恥をかく。
どう踊るかよりも誰と踊るかが重視されるイベントではあるものの、ダンスの技術だって大事だ。
そういえば、ダンスが上手くない子はよく馬鹿にされていたわ……。
ドロシーは特別ダンスが得意なわけではないが、幼少期から練習を重ね、人並み以上のスキルはある。
しかし、ダンスをちゃんと習う余裕がある者だけではない。特に成り上がり者はダンスが下手である場合が多く、よく貴族に笑われていた。
「……ヨーゼフ殿のご指摘通り、俺はダンスが得意ではありません。踊らずにはいられないでしょうか。今まで、踊ったこともないのですが」
「だめに決まってるでしょ。主役なんだから。それに、姉さんをパートナーがいない晒し者にするつもり? それとも、他の男と踊らせるの?」
わたくしとヨーゼフで踊ればいいじゃない。
ドロシーはそう言おうとしたのだが、ヨーゼフに睨まれて口を開くことができなかった。
既婚者は基本的に配偶者とのみダンスを踊る。しかし父親や未婚の兄弟とダンスを踊るのも一般的なことなのだ。
ベルンハルトが踊らなくてもドロシーにはヨーゼフがいるし、他の男と踊る、なんてことはあり得ない。
しかしどうやら、それは貴族の常識であり、ベルンハルトの常識ではないらしい。
「ヨーゼフ殿」
立ち上がったベルンハルトの眼光は鋭く、けしかけたヨーゼフ自身が思わず後ずさるほどだった。
「受けます、ダンスレッスン」
まるで戦場に行くことを決意したかのような表情である。
無理をなさる必要はないわ、ベルンハルト様。
なんて、言えるはずがない。
だってわたくし、ベルンハルト様と踊りたいんだもの!




